カテゴリー「大馬鹿文庫」の64件の記事

息を吐ききる・・「真空の法則」2

 世界的アルピニストの野口健さんが、かつて富士山を登山している時に、その呼吸法について興味深いことを仰っていました。

 人は普通、高いところに登れば上るほど、ハーハーと呼吸が短くなり

それに対して息を吐ききる呼吸をすれば、新鮮な空気が自然と入ってきますよ。

Peo1406180830001p3


 一見、当たり前のことですが、私の心に「気づきの風」が吹きました。

 そう、私たちは「からっぽ」=「真空」になりさえすればいい・・。

 あとは大いなるものが自から然(しか)らしめてくれるのです。

 この自分を超えた力が働くことを親鸞は「自然法爾」(ジネンホウニ)と呼びました。

 「からっぽ」になりさえすれば、仏の方から自然に必要なものが与えられる「絶対他力」親鸞は身をもって確信していたのでしょう。

 その意味では、彼の念仏は自分を「からっぽ」にして、大いなる御仏の船に乗るための行でもあったのです。

P6979thumb640xauto76

 私たちは自ずから然らしめる力に
 生かされている・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

道は必ず開ける・・

 人はどんなに追い込まれたと思っても、自分の居る「魂のステージ」を少し上げるだけで、別な道が見えてくるものです。

 例えばアントニオ猪木さんはどうせ死ぬことを決意するのであれば、「死」ではなく、「志」を選べと言っています。

300x


 またマランソンランナーの瀬古利彦さんは自分を笑い飛ばすことで、逆境を乗り越えたと言います。

 このような「魂のステージ」を変える方法を紹介しましょう。

☆「道は必ず開ける」☆

道は必ず開ける・・ 

道は必ず開ける・・2

道は必ず開ける・・3

道は必ず開ける・・4

道は必ず開ける・・5

道は必ず開ける・・6

道は必ず開ける・・7

Rimg0112

ドイツ・フランクフルトにて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「成功の遺伝子」・・藤沢秀行の「強烈な努力」

 藤沢秀行(しゅうこう)といえば、碁石を持てば60を超えるタイトルを手にし、二度のガンを克服した天才として有名だ。

特に先日のテレビ番組「成功の遺伝子」の中で、現在の日本サッカー代表、武藤選手が、藤沢秀行の生き様を「成功の遺伝子」としていると聞いて本当に驚いた。

 テレビで藤沢に出会った彼は、その「強烈な努力」に驚くとともに、猛烈な努力を始めたという。

まさに藤沢の生き様が、武藤選手の「成功の遺伝子」を覚醒させたのだ。

 やはり一流選手には、必ず一流の人物の影響があるのだ。

 もっというと、「天才は天才がつくる」のである。

 さて藤沢の哲学者のような言葉には“碁の神様”を前にした謙りが感じられる。

 平成10年に現役引退を表明した「シュウコウ先生」の言葉は実に奥深いものがある。

「誰にも負けないくらい勉強」して、棋聖6連覇をはじめ、史上最高齢の六十六歳でタイトル(王座)を獲得するなど、長年トップ棋士として活躍したシュウコウ先生が次のようなソクラテスの「無知の知」のようなことを言われているのだ。

「碁打ちを50年もやっているのに何もわかっていない。

しかし、奥が深く、変化が広大無辺だからこそ、我々は強くなれる」

「プロのわれわれも何もわからない。

無限の方向に進んでいるのだからね。知っているったって本当は--何も知らないんだ」

「碁の神様がわかっているのが100だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい5か6か、あるいはもっと下です」

O0255030010177992725

 おそらくシュウコウ先生は、人間の持つ小賢しい知恵などは捨ててかからなければ、“碁の神様の叡智”が湧いてこなかったに違いない。

 この世の一番の「大馬鹿者」が一番の「智者」であることもある。

 

 このような意味で「天才」の自覚とは、「まだまだ、これから・・」の謙りの強烈な自覚でもある。

 ちなみに『致知』の巻頭には、このシュウコウ先生のいまわの際(平成21年5月)の病床でのエピソードが紹介されていた。

 ・・枕頭に集まっていた若手碁士たちに一枚の色紙を渡した。

 そこに墨痕鮮やかに踊っていたのはただ一語。

 「強烈な努力」


 
 自らの人生信条を記し、後輩たちを叱咤激励したというのである。・・

 B4cd1daa

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまのままで行きな・・大馬鹿者になれ

詩人の坂村真民さんに

「ある赤い鳥のことば」 という作品がある。

赤い鳥が真民さんに語りかけるという

独特なスタイルをもった詩だ。

が、自分自身に赤い鳥が語ってくれていると思うと、また別な味わいが出てくる。

その一部を紹介してみよう。

しんみんさん
世界一の気狂いか
大馬鹿者になれ
百尺竿頭
手放してしまえ
人間の笑いなど
気にするな

・・
しんみんさん
凡愚は凡愚でよいさ
悟れないところに
大悲があるんだ
まのままで行きな

・・
しんみんさん
軽くなあれ
軽くなあれ
タンポポの種のように
われわれ鳥たちのように

自在になあれ
 

 ちなみに今朝、近くの産土神社に詣ると、

 強い風にたくさんの枯葉が舞っていた。

 それも朝日の中でただひたすら舞っていた。

 まるで光の中でダンスしているようであった。

 鳥や木の葉などは私たちに無言の説法をしてくれているようである。

 ・・軽くなあれ、大馬鹿者になれ・・と。

Shinwa1


               

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「今が臨終」の悟りの歌・・「真空の法則」2

 法然、親鸞などの悟りをそのまま生きたのが妙好人と言われる人たちで、下駄職人の浅原才市(1850~1932)は次のような悟りの歌を詠んでいる。 

平生に臨終すんで 葬式すんで
わたしゃ あなたをまつばかり

臨終まつことなし 今が臨終
なむあみだぶつ

 無難禅師や浅原才市のように今、今死にきって空っぽになるとき、逆に生かされていることに気づく。

 そしてそれは、必ず何者かの到来を意味するのだ。

風と空気は ふたつなれど
ひとつの空気 ひとつの風で
わしと阿弥陀は ふたつはあれど
ひとつお慈悲の なむあみだぶつ

わしが南無阿弥陀仏になるじゃない
阿弥陀仏の方からわしになる
なむあみだぶつ

 風と空気は二つに見えるけれども、本来は一つである。

 自分とは丁度、風船みたいなものだ。

 自分の力=自力で浮いているように思っているが、それは錯覚である。

 本当は空気の力=絶対他力で浮き、風(仏の慈悲)のお陰で動けるのである。

 そしてその風船が破れた時、自分が亡くなるように思うが、本当は本来の自分に戻ったに過ぎない。「南無阿弥陀仏の方からわしになる」のであり、自身が「パワー・スポット」にもなるのである。

 すなわち、空気と一つになって本当の自分が宇宙に満つる力、生かす力そのものであることに気づくだろう。

 162sub_pic

今が臨終 なむあみだぶつ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「からっぽ」になれ・・「真空の法則」1

坂村真民先生に「からっぽ」と題した詩があります。

頭を

からっぽにする

胃をからっぽにする

心をからっぽにする

そうすると

はいってくる

すべてのものが

新鮮で

生き生きしている

__tn_rimg0008

      「真空の法則」を生きる

 詩人は、まさに平易な言葉で宇宙の真実について語る達人です。

 特に真民先生の詩からは沢山の気づきと勇気をもらうことができます。

 ビジネスのアイデアがほしければ、これまでの固定観念を捨てて「からっぽ」になれば、必要なアイデアが自然に「はいってくる」のです。

 健康がほしければ、「病気を治したい」という心を「からっぽ」にすれば、健康な生命の流れが自然に「はいってくる」のです。

 お金がほしければ、財布から不要なレシートやポイント・カードなどを一掃して「からっぽ」になれば、必要な富は必ず自然に「はいってくる」のです。

 悟りがほしければ、心も体もサムシング・グレートに全部おまかせして「からっぽ」にすれば、その偉大なる存在から悟りが回向して自然に「はいってくる」のです。

 このすべてを空っぽにすることで希望を成就させることを「真空の法則」とも呼びます。

 この宇宙には真空を嫌う性質があり、空っぽのところに自然と生命のエネルギーが流れ入ってくるようにできているのです。

 例えば河の流れの一部に真空地帯をつくればたちどころに、水の流れがその空を埋めようとします。

 ちなみにやましたひでこさんによると、「断捨離」とは、ガラクタを「捨てる」とともに必要でないものを「断ち」、執着から「離れる」生き方だそうです。

 この「断捨離」で「部屋」が変わると「心」も変わり、家そのものが「パワー・スポット」になるというのです。

 その意味では自分自身も毎瞬、毎瞬心を空っぽにしてゼロになるとき、何でも創造できる「パワー・スポット」にすることができるのです。

O0600045011293716196

   空のように「からっぽ」になれ・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「成功の遺伝子」・・藤沢秀行の「強烈な努力」

藤沢秀行(しゅうこう)といえば、碁石を持てば60を超えるタイトルを手にし、二度のガンを克服した天才として有名だ。

特に先日のテレビ番組「成功の遺伝子」の中で、現在の日本サッカー代表、武藤選手が、藤沢秀行の生き様を「成功の遺伝子」としていると聞いて本当に驚いた。

 テレビで藤沢に出会った彼は、その「強烈な努力」に驚くとともに、猛烈な努力を始めたという。

まさに藤沢の生き様が、武藤選手の「成功の遺伝子」を覚醒させたのだ。

 やはり一流選手には、必ず一流の人物の影響があるのだ。

 もっというと、「天才は天才がつくる」のである。

 さて藤沢の哲学者のような言葉には“碁の神様”を前にした謙りが感じられる。

 平成10年に現役引退を表明した「シュウコウ先生」の言葉は実に奥深いものがある。

「誰にも負けないくらい勉強」して、棋聖6連覇をはじめ、史上最高齢の六十六歳でタイトル(王座)を獲得するなど、長年トップ棋士として活躍したシュウコウ先生が次のようなソクラテスの「無知の知」のようなことを言われているのだ。

「碁打ちを50年もやっているのに何もわかっていない。

しかし、奥が深く、変化が広大無辺だからこそ、我々は強くなれる」

「プロのわれわれも何もわからない。

無限の方向に進んでいるのだからね。知っているったって本当は--何も知らないんだ」

「碁の神様がわかっているのが100だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい5か6か、あるいはもっと下です」

O0255030010177992725

 おそらくシュウコウ先生は、人間の持つ小賢しい知恵などは捨ててかからなければ、“碁の神様の叡智”が湧いてこなかったに違いない。

 この世の一番の「大馬鹿者」が一番の「智者」であることもある。

 

 このような意味で「天才」の自覚とは、「まだまだ、これから・・」の謙りの強烈な自覚でもある。

 ちなみに『致知』の巻頭には、このシュウコウ先生のいまわの際(平成21年5月)の病床でのエピソードが紹介されていた。

 ・・枕頭に集まっていた若手碁士たちに一枚の色紙を渡した。

 そこに墨痕鮮やかに踊っていたのはただ一語。

 「強烈な努力」


 
 自らの人生信条を記し、後輩たちを叱咤激励したというのである。・・

 B4cd1daa

| | コメント (1) | トラックバック (0)

全てはうまくいっている・・タモリの天才

 もう大部前の話になるが、赤塚不二雄の葬儀におけるタモリの弔辞には驚いた。

 何でも白紙で彼は弔辞を読んだそうだ。

 それはともかく、弔辞から伺える赤塚さんの眼力とその生き方には、改めて感動した。

 まだ無名のタモリの天才に気づいた「眼力」とそれを世に出したところの「無償の愛」。

 何より私の心を動かしたのは次の一節だった。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。

それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。

この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。

すなわち『これでいいのだ』と。

 ・・平成20年8月7日、森田一義

Tamori

 どんな出来事も「これでいいのだ」と一度、肯定できれば善き事に変わるのではないだろうか。

 なぜなら、どんなに悲惨に思える出来事も、その背後には「神の栄光」が隠れているからだ。その裂け目からその光tが現れようとしているからだ。

  前に紹介した「黄金の仏陀像」の話を思い出そう。

 一見不都合に思える出来事とは、「黄金の仏陀像」を隠していたコンクリートが剥がれている現象に過ぎない。

 その悲惨な現象の自壊のプロセスを通して「黄金の仏陀像」という本物が現れようとしているのだ。

 私も赤塚さんに倣って云おう。

これでいいのだ。

全てはうまくいっている。

全ては魂が生長するための糧である、と。

Sis

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大馬鹿の成功法則2・・内なる冒険家になる

自分の中にある無限の宝庫に気づいて宇宙大の力を掘りあてよ。

 大体、地球人が大きな考え方をできない最大の要因は、実は自分の中にあらゆる問題を解決する宝庫があることに気づいていないことである。

 一角の人物になったものはみんな自分の中にある宝庫、つまり天才に気づいた人ばかりである。

 例えば将棋の米長さんは小学校のときに難しい詰め将棋を解いて、近くの理髪店のオヤジさんから「君は天才である」と言われたことがきっかけんなってプロになることを志したという。

 この「気づく」ということは、丁度、宝探しの地図を手に入れて、財宝のありかを確認したようなものである。

 人は誰も「サムシンググレートの子」であり、「神の子」であり、本質的には全知全能であるはずなのに、ほとんどの人が少しの能力しか出していないのは、そのことに気づいていないからである。

 この「気づき」の瞬間は、米長さんのように第三者から来ることもあれば、大自然から「気づき」をもらった芸術家達も沢山いる。

 偉大な宗教家でも哲人でも必ずその「気づき」の瞬間というものがあるものである。

 このことを宗教では悟りとか、解脱とか言うのであるが、これも平たく言えば何かに「気づく」ことなのである。

 さて、この無限の宝庫に気づいて、実際に宇宙大の力を掘りあてるには、その宝物が本当にアルということを信じて、繰り返し、掘削していく行動が必要がある。

 都会で温泉に行き当たるには、やはり温泉が地中深くあることを信じて、ボーリングを繰り返す必要があるように、繰り返し繰り返し、自分の気づきに沿って訓練する必要がある。

 この気づきと具体的な行動があいまって、初めて私たちは自分の中に無尽蔵の宝庫があることに目覚めるのである。

 この宝庫はまさに宇宙大の宝庫であり、汲めども汲めどもわき上がってくる「生命の泉」である。

 私たちはもっと先入観を捨てて大馬鹿になり、自分の中にある「無限の力」を掘り出す“内なる冒険家”になる必要があるのだ。

O0600045011293716196

人生一手の違い―「運」と「努力」と「才能」の関係 (ノン・ポシェット) Book 人生一手の違い―「運」と「努力」と「才能」の関係 (ノン・ポシェット)

著者:米長 邦雄
販売元:祥伝社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大馬鹿の成功法1・・宇宙大の価値基準を持て

大馬鹿の成功法・・その一

 自分の知識、考え方を一度、チャラにして宇宙大の価値基準を持て。

 大体、成功を邪魔しているのは、私たち地球人があまりに自分中心の考え方で心を暗くしているからである。

 成功のチャンスを掴もうにも両手が心配事で塞がっていたら、せっかくの機会も逃げてしまう。

 私たちがとことん馬鹿になって、心が軽くなったときに、つまり心底明るくなったときに、私たちは、宇宙大のチャンスの手を握ることができるのだ。

 私たちが宇宙を創造したところの「サムシンググレート」の子供だとすれば、私たちは力まなくても心をカラッポにしていれば、自然と宇宙の方が動き出して私たちを幸福にしてくれるのである。

 なのに私たちは目の前に現れた物に対して小さな価値基準で批判したり、グチをこぼしたりする。

 そんな自分の作った小さな基準を捨てて、宇宙大の基準で物事を考えてみてはどうだろうか。

 ここで言う宇宙大の価値基準とは、物事をもっと長期的に、多面的にそして大きく考えるということである。

 生命の営み一つにしても、地球上で私たちの目にしている生命は、本当の生命の働きのごく一部分でしかない。もっと言うならば地球人は本当の生命のすごさを知らないでいるのだ。

 小さな基準からは小さな成功しか生まれないが、大きな基準からは大きな成功が生まれる。

 一度、自分の持つ知識、小さな考え方を捨てて、深呼吸することである。

 宇宙大に広がる「サムシンググレート」の息吹をまず、感じてみようではないか。

 そこから大馬鹿者の希有壮大な生き方が始まる・・。

 ちなみに生命については、かつて連載した「宇宙的規模で生命を考える」を参照していただきたい。

P6979thumb640xauto76

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧