カテゴリー「哲学」の411件の記事

一瞬で世界を変える方法・・総集編

一瞬で世界を変える方法・・

それは.....

今、見ているもの、出合っているものの

本物を観るということです。

私たちが間断なく出合っている人、物、事、自然には

それぞれに見せる顔というものがあります。

ただ、そこには本物と仮のお面を被っている偽物の二つがあるのです。

例えば、この地球上で見せている生命の姿も仮のものであり、本来の生命の本質はほんの少ししか現れていないのではないか、と観るのです。

私たちの命は地球上の重力下という特殊な環境のもと、様々な種を生み出し、この地球上に満ちあふれているわけですが、それでも生命の持つ無限性から観るならばまだまだなのです。

この命の持つ可能性、無限性に目を向けて行動するとき、世界は変わります。

なぜなら、今目にしている苦しみも問題も生命の無限性がこれから現れるためのプロセスにすぎず、本物ではないからです。

例えばハイポニカという農法を編み出した野澤さんという人をご存じでしょうか。

以前の文章から引用してみましょう。

野澤重雄氏ハイポニカ(水気耕法)によるトマト、キュウリ、サトウキビなどの栽培は示唆にとんでいる。

一株のトマトから一万三千個ものトマトが実るという驚嘆すべき栽培法の基本は、野澤氏によると本来の生命力は、現在の地球自然の状態では発揮されておらず、その制限している原因である土という塊から解き放ち、養液を流速を与えて循環させている水の環境に置いてやると
本来の驚くべき生命力が現われてくるというのだ。

同氏によると生命の本質とは「生長・発展する力」であり、「変化し、動いている」ものである。


この本質を引出す環境を設定すると生命は無限に生長する右上がりのベクトルをとるという。生命は変化、動きを通してその本質(生長・発展する力)を露にしていく。

 言わば、
地球上における生命は物質という強い抵抗に合いながら顕現している「生命の見かけの現象」であり、ベルクソンの言うエネルギーの蓄積と爆発という「生命の本質」をおおい隠しているのである。

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 生命の哲学者、ベルクソン

 この生命の本来持つ驚くべき「生長・発展する力」を信じて見守る。

 そして伸びる兆しが見えれば全身全霊で誉めて、感謝すること。

 このことができるようになれば、間違いなく世界は変わります。

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「より高い次元での統合」は可能か・・井筒俊彦の啓示

井筒俊彦の言う種々の対立を超えた「より高い次元での統合」は如何にしたら可能なのか。

 そのために井筒が行った方法とは、「西洋と東洋の深層における対決」「対話」というものであった。(『意味の深みへ』の「人間存在の現代的状況と東洋哲学」参照)

 井筒によると、「人類文化をある意味で二分する東洋と西洋の文化を、今までよりもっと根源的な形で、より深いレベルで、対決させ、両者の高次の統合の可能性を、あらためて考え直してみることが必要になってくる」と云うのである。

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 それでは、東洋の深層における「世界像」とは何か。

 この世界像の最も顕著な特徴は、第一に意識と物質とが峻別されることなく、むしろ逆に両者が互いに浸透し合うような流動性を示すこと、次に、そこではいわゆる事物が存在者ではなくて、むしろそれぞれ一つのダイナミックな存在的「出来事」であること。

 結局、全体としての世界は、こういう数限りない存在的「出来事」の相関的、相互依存的、相互浸透的な編目構造の不断に繰り拡げられ、畳みこまれる流動的プロセスとして現われるのでありまして、要するに、それが世界と呼ばれるものの真相である、ということになります。

 一方、西洋における深層にも、現代自然科学の、まったく新しい存在観、存在感覚に裏づけられたまったく新しい「世界像」があり、そこでもまた、物質と意識の本質的峻別は無力化されてしまう。

元来、物質と意識とを矛盾的対立関係におくのは、ニュートン力学のパラダイム、あるいはデカルト的二元論に基く見方でありまして、このような見方をするかぎり、ものの本源的透明性とか、ものとものとの相互浸透などということは考えられません。

しかし、皆様もご承知の通り、現代物理学では、この旧来のパラダイムは既に新しいパラダイムに置き換えられ、デカルト的な物と心の二元論は否定されつつあります。

自然科学のこの新しいパラダイムが、いわゆる「事物」の存在論的構造そのものに意識の積極参加を認め、それによって事物の実体的凝固性を「溶解」し流動化するような性格のものであることが注目されております。

まり、今までいわば固い凝結性において考えられていた物質的世界が、意識の内面からの参与によって、限りなく柔軟で、常に変転する「出来事」の相互連関の複雑微妙な創造的プロセスとして見られるようになってきた、ということであります。

1 賢明なる読者は気づかれたように、現代の自然科学的パラダイムに基づくこの西洋的世界像は、伝統的な東洋哲学の世界像に酷似するところがあり、西洋の物理学者の中にもそのことに気づいて華厳や禅などの世界観を積極的に取り入れようとしている人もいる。

 つまり、「東西の文化的ディアローグ(対話)はその深層においては既に始まっている」というのが、井筒の強調したいところなのである。

 こうしてそれぞれ独自の強力な創造性を備えたこれら二つの「文化的枠組み」が、現代という歴史の時点で、ぶつかり合い、対話し合う、そのドラマティックな展開のうちに、井筒は「より高い次元での統合」を見いだそうとするのである。

 その意味では人間関係でもあるように、「ぶつかり合う」ことも決して悪いことではない。

 その衝突から対話が生まれてくるならば、より高次元の視点に立って自分と他者を眺めるという気づきと創造的進化が生まれる可能性も内包しているのである。

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  衝突から対話へ・・人類はより高次元
  の立場に立とうとしている。
  (ハイデルベルクにて)

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逆境で生まれる新文明・・意識革命を起こす本

地球人にパラダイムシフトを起こして意識革命を起こす三冊を紹介しよう。 

いずれも「意識の拡大」、物の見方の革命を促している。

 まずは「地球環境問題を仏教に問う 温暖化地獄を仏教・密教は救えるか」で、山本良一竹村牧男, ,  松長 有慶の三氏という 環境学者×宗教学者×僧侶の対談本である。

 宗教、仏教、そして真言密教は地球環境のために何ができるのだろう・・大きな問いかけに三人の識者がそれぞれの思いをぶつけており、哲学書としても一級品と見た。

 そして地球環境問題を解決する上で、今後避けて通れないのは「個人のライフスタイルの変革」であり、そのためのヒントを、仏教、密教の教義の中に探っていくのだが、環境問題と言う21世紀最大の問題に、仏教の教義、組織形態、ライフスタイルなどが改めて照らし出されてその存在意義と新しい可能性が見えてくるところが興味深い。

 思うに環境問題は、科学と宗教の垣根を超えて、人類の意識レベルを「惑星意識」にしていく可能性を秘めている。

 特に弘法大師空海の説いた「即身成仏」というコトバが、環境問題によって新たな意味と可能性をもって蘇りつつある点は注目すべきである。

 大日如来と一つになることはどういうことなのか。

 そこに咲いている小さな草花も大日如来の分身であり、自分自身ということにはなるまいか。

 とすれば、人類は自分自身でもある地球の自然を自ら破壊していることになる。

 このような「意識の拡大」なしに環境問題の根本的な解決にはならないのではないか。

 ちなみに現在の環境問題の日本のオピニオンリーダーである山本良一氏は、真言密教のマンダラ図に触発されて「環境マンダラ」なるものを考案している。
      

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 二冊目は本ブログでも繰り返し紹介してきた小林秀雄と井筒俊彦という現代日本を代表する知性、哲学者の共通項に迫った若松英輔さんの叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦である。

この本の帯にある・・

「哲学者は詩人たり得るか? 

日本古典の思想性を「詩」の言葉で論じた小林秀雄――。

古今・新古今の歌に日本の哲学を見出した井筒俊彦――。

二人の巨人を交差させ、
詩と哲学の不可分性に光をあてる、清廉な一冊。 」

 という言葉にすべてが言い尽くされている。

 二人の哲学的巨人を交差させ、詩と哲学の不可分性に光をあてる時に見えてくる世界・・。

 このブログでも繰り返し紹介しているが、この二人の巨人が追求したのは、存在の実相に迫り、実際に体験するとともに、それを己の文体で表現するという営みである。

 イスラムの神秘哲学者が追求した「神秘家かつ哲学者」の道をこの二人ほど極めた人はいないように思う。

 その取り扱った対象は違っても、その対象に対する迫り方はあまりにも酷似している。

 例えばギリシャの哲人たちに、二人は「実践的思索者」という「真理の探究」への燃えるような情熱を見ていた。

 この情熱はあまりに大きく、ヘラクレイトスの火の体験のようなもので、この真理への飢えにまさしく焦がれたような哲人もいたはずだ。

 観照は存在探究の道に違いないが、最初にあるのは、根源からの招きである。観照は、人間が愛する人に向かって全身を投げ出す行為に似ている、とアリストテレスは言った。

井筒俊彦が注目するアリストテレスは「神」の解析者ではない。それを「愛慕」する実践的思索者である。

・・アリストテレスの「神学」の底を流れるのは、絶対者への信頼と安住の確信である。そこには、浄土門の阿弥陀如来を彷彿させる母性的な神の姿すら浮かび上がる。

 神秘家の本分は、神を知解し、その甘美な経験に惑溺することではなく、その顕現を準備することである。

なぜなら、「個人的救済の余徳は万人にわかたれて全人類的救済に窮極するまでは決して止むべからざる」ということこそ、アリストテレスが師プラトンから継承した哲学の使命だったからである。

 アリストテレスは、井筒俊彦に、観照が哲学の道であることを明示しただけではない。

観照体験の究極は、個の制約と桎梏を超え、ついに「宇宙的実践」たり得ることを教えた。

それは「人間的実践即宇宙的実践として、あらゆる存在者の重量を一に脊(せお)った人間の実践的活動の極致」に他ならない。

一個の存在者が、真実の意味で「神充」を経験すれば、それは、世界の祝福を意味する。

ここにナザレのイエスの登場を、あるいは釈迦が仏陀に変貌する、いわば人間の聖化を高らかに告げ知らせる預言者の声を聞くことはできないだろうか。

『井筒俊彦--叡知の哲学』33~34頁

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 三冊目はあなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。 1秒でこの世界が変わる70の答え」。

 ひすいこたろうさんの本はほとんど読んできたが、この書はひすいさん流、「物の見方ガイドブック」の決定版と見た。

 とにかく、爆笑しながら、自分の「物の見方」が柔軟になっていくのがわかるのである。

世界は白いキャンバスなんです。

だからこそ、みんなが喜びを感じられるように、楽しくなるように、世界を自由に解釈すればいいんです。

・・どう解釈するか、認識するかで、現実の見え方がまったく変わります。

あなたの「認識」こそあなたの「世界」そのものです。

つまりあなたこそ、世界の救世主だったのです。

だから、神社のご神体は鏡なんです。

神様に拝んでいるとき、鏡に写っているのは拝んでいるあなた自身です。

あなたが変われば、

鏡に映るこの世界も一秒で変化します。

 

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逆境で生まれる新文明・・新しい自己像の再構築

 震災後の激変の中で問われているのが、前回も触れた「新しい自己像」の再構築ではないだろうか。

 井筒俊彦博士の言う我々の実存の中心を『自我』のレベルから『自己』のレベルに移行」させるためには、意識の焦点を表層から深層へと深めていく必要がある。

 井筒博士の場合、イブン・アラビーなどのスーフィーや東洋哲学の途轍もなく広い精神的鉱脈を探りながら、深層の自己へと深めていくには共通したパターンがあることを明らかにした。

 詳しくは「イスラーム哲学の原像」という名著を参照いただきたいが、簡単に言うと、多くの哲人・神秘家に共通するのが、往相・還相の悟りへの道を歩むということである。

井筒博士はこの中で「意識と存在の構造モデル」と題して、単純な三角形の図を描いている。すなわち絶対無としての存在が三角形の頂点として上に置き、感覚的、知覚的事物が底辺として下にくることになる。

 つまり多くの哲人・神秘家たちは三角形の向かって左側の辺をひたすら登って、意識と存在のゼロ・ポイントを目指そうとする。

そして遂に絶対無の頂点を極めた哲人たちは、今度は右側の辺をひたすら降りて今度はコトバで「無から有」を生み出そうとする。

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 この意識と存在の構造モデルは、仏教の禅で言えば「十牛図」が見事に現しているように思う。

 横山紘一氏「十牛図入門--『新しい自分』への道」によると、この十牛図には「自己究明」「生死解決」「他者救済」という人生の三大目的が現されているという。

 ちなみにこの悟りのマップとも言うべき「十牛図」では、牛に象徴される悟りを求める少年が牛の足跡を見つけ、居場所を発見し、つかまえ、飼い慣らし、牛の背に乗って家に帰ってゆくプロセスを前半の6段階が表している。(①尋牛②見跡③見牛④得牛⑤牧牛⑥騎牛帰家)

 が、⑦ の「忘牛存人」になると一転してその“ 悟りの象徴” であるところの牛が消えてしまい、⑧ の「人牛倶忘」に至っては牛のみならず人も忘れ去られて全くの白紙が描かれている。そして⑨ の「返本還源」では川が流れ、花が咲く、自我を超えた自然の姿が描かれ、⑩の「入廓垂手」(にってんすいしゅ)では世間の路で少年と老人が出合うシーンが描かれている。

 つまりこの「十牛図」では、“頓得の悟り”からいろいろの段階を経て悟りが深まっていく過程が図形化されており、悟り= 牛を追いかけていたことも忘れて無我の境に入るとともに自然や人との一体感を自覚することが“ 本当の悟り” であると示されているのである。

 横山氏の言葉を借りれば、この「十牛図」には三種類の自分が描かれているという。

  1.  偽りの自分
  2.  新しい自分
  3.  真の自分

 とすれば、大震災後の激変は、「偽りの自分」を脱ぎ捨てて「新しい自分」を発見し、さらには宇宙と一つの「真の自分」を見いだす「悟りの機会」を与えたとも言えるのである。

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逆境で生まれる新文明・・新しい自己像の誕生

 東日本大震災などで明らかになってきた新潮流は、コミュニティの拡大や「自然と共生する文明」へのシフトに伴う「新しい自己像」の誕生である。

 他ならぬ私たち人類の間で「全ては一つ」という新しい世界観ともっと拡大した自己像が誕生してきているのではないだろうか。

 この「新しい自己像」アーヴィン・ラズロ「人類の意識の進化」とも呼んでいる。

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 現在の地球は、今回の大震災はもとより、地球環境問題、頻発するテロ、異なる宗教的信条の違いによる軋轢、文化、人種、肌の色、言語、政治的信念の違いによる摩擦など、まるで沸騰した一つの鍋の中で全ての問題が煮立っているような状況である。

また今回の震災では世界中の人々の善意が集まるというポジティブな面も見られる。

 まして発達したインターネット網がそれらを一つにつないでより沸騰する速度を高めている。

 これらに加えて、宇宙の根本法則である進化の波動が、この悩める惑星には宇宙線のように無数に降り注いでいるように見えるのだ。

 このような地球温暖化も含めて加速度的に出来事を早めている動きは、実はラズロの云う「人類の意識の進化」も促しているのではないだろうか。

 日本が産んだ世界的哲人の一人、井筒俊彦博士は、このようなグローバル化、地球的社会にあっては、何よりも人間そのものを作り変える必要があると説いておられた。

それ(地球社会化)に内在する深刻な危険をはっきり意識しながらも、

しかもなお、我々が人類文化のグローバラゼーションの理念を信じ、『地球社会』の理想的な形での形成に向って進んで行こうと望むのであれば、

何よりも先ず我々は、我々自身を作り変えなければならない。

すなわち、我々の実存の中心を『自我』のレベルから『自己』のレベルに移行させなければならない。

あるいは、より正確に言うなら、『自我』を『自己』の表層的一部として、それを『自己』の多層構造全体のなかに定位しなおすことによって、完全に変質させなければならないでありましょう。 

井筒俊彦博士『意味の深みへ』

「人間存在の現代的状況と東洋哲学」から

 簡単に言えば、エゴという狭い自我から、セルフという拡大した自己へと私たちの実存の中心を移行させる必要があるのである。

 この転換を図る上で、参考になるのが井筒俊彦博士の「イスラム哲学の原像」や横山紘一氏の「十牛図入門--『新しい自分』への道」などの唯識論である。

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イブン・アラビーの「存在一性論」

  井筒の三角形モデルの頂点は、神秘家・哲人たちで様々な表現をされてきた。

 例えば老荘の「道」、易の「太極」、大乗仏教の「真如」「空」、禅の「無」などである。

 イスラムではスフラワルディーは「光」と呼び、イブン・アラビーは「存在」と呼んでいる。

 ここで云う「存在」とは存在者という意味ではなく「宇宙に遍在し十方に貫流する形而上学的生命的エネルギー」のことを指すという。

 この宇宙に遍満する「生命的エネルギー」が自己限定、自己分節していくことによって、すべての存在世界が展開していくというのだ。

 従ってイブン・アラビーの「存在一性論」にあっては、例えば「ここに花がある」とは言わない。「存在が花する」「ここで存在が花している」というような哲学的なメタ言語を使うことになる。田中さんであれば、「存在が田中さんしている」といった奇妙な日本語になる。

 三角形の頂点から見ると、世界が全く違うものとして見え始めるのだ。

 ちなみにイブン・アラビーなどのイスラムの神秘家たちは次のような考えを持っていた。

「哲学の訓練を経ない神秘家になんていうものは酔っ払いにすぎないし、他方、神秘主義的体験のない哲学者なんていうものは、概念的にしかものを考えることのできない明き盲みたいな合理主義者であって、存在の真相などわかりっこない」

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     「存在がスミレしている」?

 

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弁栄聖者の「存在一性論」

 井筒俊彦の 「イスラーム哲学の原像」には、「意識と存在の構造モデル」と題して、単純な三角形の図が描かれている。

 すなわち絶対無としての存在が三角形の頂点として上に置かれ、感覚的、知覚的事物が底辺として下にくることになる。

 つまり多くの哲人・神秘家たちは三角形の向かって左側の辺をひたすら登って、意識と存在のゼロ・ポイントを目指そうとする。

 そして遂に絶対無の頂点を極めた哲人たちは、今度は右側の辺をひたすら降りて今度はコトバで「無から有」を生み出そうとする。

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 井筒俊彦

 例えば弁栄(べんねい)聖者といえば、徹底した念仏によって如来とは「一大観念」であり、「一大心霊」との悟りに達した近代日本の生んだ偉大な宗教家・哲人である。

 そしてその心霊とは「光明」そのものであるとして、「光明会」を創始したのであるが、あの数学者の岡潔も私淑しておられたのであり、その悟りに基づく広大な観念哲学は、若松英輔さんが言うようにイブン・アラビーの世界を彷彿とさせるものがある。

 若松さんの引用している弁栄の言葉とその説明を紹介してみよう。

宇宙唯一の法身の手によりて成生したる万有なれば大は宇宙全体より太陽も地球も所有万物もいかに微細なる一切の個体は一大法身の分身なる個々なれば、個々は小法身なり。

・・中略・・しからば有る人が個法身の万物いかに微細なるも神を宿し能わざるほどの微細なるものなしと。(「万有生起論」)

・・イブン・アラビーが超越者を「存在」と呼ぶように、弁栄は「みおや」「法身」あるいは「神」と書く。

「神」の一語すら、一者の自己顕現・自己限定・自己分節的表現でしかないことを示す彼の強い意図がある。

『井筒俊彦--叡知の哲学』第10章「叡知の哲学」428~429頁

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弁栄聖者

 弁栄は「一大法身」を「一大心霊」とも呼び、この心霊の心に浮かび上がってきたところの観念が宇宙万物として造化・展開していくのである。

 しかも「小法身」たる私たちも「念仏三昧」により、「一大法身」たる「ミオヤ」と一つになることができるという。

 弁栄聖者は24歳の時に筑波山に二ヵ月こもって日夜念仏をとなえる厳しい修行をしている。

 米麦そば粉だけで飢えをしのぎ、口で念仏を唱え、阿弥陀仏の姿を心に思い浮かべ礼拝すること毎日徹底的に実践遂に「一心法界三昧」の境地に出たというのである。

 弁栄聖者によると、「一心法界三昧」とは、この宇宙に存在する森羅万象のすべてが自分の心の中にある事を悟ることだという。

 我々は肉体や思考や感情を自己と思い込んでいるが、「念仏三昧」の境地にはいるとき、自己と環境、自分と他人、さらには時間と空間の制限などあらゆる二元性を超えた世界に出ることができるという。

 この「念仏三昧」によって、自己の心が二元性を超えた「一大法身」の世界と一つになったのが「一心法界三昧」だというのである。

 まるで井筒俊彦の語るイブン・アラビーの「存在一性論」を聴いているようではないか。

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  一大法身の説法する世界・・

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人間革命を起こす「コトバの力」

 人類は環境問題や相次ぐテロの連鎖など、「自分自身の根本的な転換」に迫られていると云ってもよいだろう。

 この革命的な転換の鍵を握っているのが「コトバ」なのである。特に井筒俊彦や小林秀雄の言語哲学から学ぶところは多い。 

井筒俊彦の言語観を探る上で、前にも紹介した真言密教の僧侶たちを前に行った講演「言語哲学としての真言」は極めて重要だ。

 井筒によると、異次元のコトバの極限状態においては、「シニフィエ、つまり意味が零度に近く希薄化し、それに反比例して、シニフィアン、つまり音の方が、異常な力、宇宙的に巨大な力となって現れてきます」という

 つまり、聖書の「初めに言葉ありき」「初めに音ありき」と置き換えることもできる。

 実は小林秀雄のライフワークともいえる「本居宣長」においても、言語の始原は最初に長息としての声、つまり歌であったとしている。ちなみにその一部を引用しておく。

「ただの詞」より、発生的には、「歌」が先きだという考え、声の調子が抑揚の整う事が先きだという考えだ。

彼のこの大胆な直観には注目すべきものがある。

ーー宣長に言わせれば、歌とは先ず何を措いても「かたち」なのだ。

歌は「文」(アヤ)とも「姿」とも呼ばれている瞭然たる表現性なのだ。・・小林秀雄「本居宣長」

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 井筒の講演に戻るとーー

「これが、真言密教のコトバ構造におけるア音の原初的形態であります。すなわち、この極限的境位では、大日如来のコトバはアという一点、つまりただひとつの絶対シニフィアンなのであります」

 そして・・大日如来のア声としての「コトバ」が起点として意識が生まれ、その目覚めた意識から存在が分節的に展開していくというのである。

 前回も触れたように、この大日如来の自己創発的な展開は、実はその子供たる私たちにも見られる。

自分の口から出たこのア音を聞くと同時に、そこに意識が起こり、それとともに存在性の広大無辺な可能的地平が拓けていくのであります」。

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 大日如来自身の目覚めが「声」によるように、私たちも普段何気なく使っている自身の「声」を通して自分を、世界を認識しているのだ。

 例えば「私は教師です」と声に出して言えば、その声を真っ先に聞いているのは自分自身の心であり、そしてその心が教師であることを描き、認めるという認識作用が生まれる。

 そしてこの認める働きが現実に自分を教師らしく創造していくのである。

 簡単に云うと、声⇒心に描く⇒認めることにより具体的存在となる・・という一連の自己創発的な創造活動を私たちは無意識にしていることになる。

 とすれば、私たちが普段何を話し、思い描いているかが、運命や境遇を創っていることになる。

 まさに聖書の云う「言葉は神なりき」は、この意味において真実なのである。

 ちなみにこの声、つまり口密と身密と意密が、大日如来の身・口・意の三密と一つになったときに、私たちはこのままで「即身成仏」できるというのが空海の教えの神髄である。

 これを「三密相応」と呼ぶが、法然をはじめ、親鸞、一遍ら鎌倉時代の開祖たちは、三密の中でも口密、つまり「南無阿弥陀仏」と声に出して唱えることを最優先した。

 これも、「声」こそが意識と存在の原点であることを彼らが厳しい行を通して体感していたからではないだろうか。

 この「声の力」に関する研究は前にも触れた町田宗鳳さんの「法然・愚に還る喜び」に詳しく書かれているので、興味のある方は参照してみてください。

 ちなみに藤沢烈さんのブログから興味深い図を引用したい。

 私たちが空海の真言陀羅尼などをただひたすら唱えていると、イスラム神秘主義の「酔い心地」を通って、「自分が大日如来そのものであった」という「素の自分」に還ることができる。

 つまり、井筒俊彦の説いた「エゴからセルフ」への人間自身の根本的な転換こそが、これから全地球的規模で望まれる「パラダイムシフト」の序曲なのである。

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年末のメッセージ・・21世紀は「調和・統合」の時代

●年末のメッセージ●

「生命論パラダイム」においては、多くの聖者や哲人たちが瞑想などを通して把握したように・・この世界はサムシンググレートなる“一者”の表現する世界であり、全ては一つにつながっている・・と観る。

本当はただ一つの「いのち」しかないのであり、空海は宇宙のすべてを大日如来の顕現=分身として捉えていた。

 

これをベルクソンは「大いなる創造力の流れ」と呼び、イブン・アラビーはその「存在一性論」の中で「存在」と命名し、宗教多元主義を説いたジョン・ヒックは「実在者」と呼称している。 

 

 村上和雄・筑波大学名誉教授は「サムシング・グレート」と呼び、私達人間は「サムシング・グレートの最高傑作」だそうだ。

 

とにかく、このただ一つの「存在者」=サムシンググレートを私たちは生活の便宜上、時間や空間の枠をつけてバラバラなものとして捉える。

 

私達、地球上の人類の特性は、この「分離性」「閉鎖性」にあると言ってもよいだろう。

 

これは大自然と戦い、生き残る上で獲得せざるを得なかった性質だが、21世紀の地球世界が現実的にも一つになりつつある今日においては、この性質にブラッシュアップをかけて、アービン・ラズロの言う「一体性」「連関性」へと昇華していく必要があるのである。

 

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  ラズロ博士は「ワールドシフト」を訴える

 

 まさに21世紀は、「生命論パラダイム」に基づいた「調和・統合」の時代に入りつつあるのである。

 

 このことを最も深く考察したのが、井筒俊彦博士であった。このことは博士が企画し、成し遂げようとした西洋哲学と東洋哲学の対話・統合という仕事を見ればよくわかる。

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東西の哲学を一つに統合しようとした井筒博士

 
ちなみにこのような「生命論パラダイム」の世界を歌ったのが次の拙詩である。

一度、縁あるものが

たとえ死であっても

永遠に会えないということはあるのだろうか。

多くの聖者や哲人たちが瞑想などを通して分かったことは

この世界はサムシンググレートなる“一者”の表現する世界であり、

その他のものではないということだ。

本当はただ一つの「いのち」しかないのだ。

それを私たちは便宜上、時間や空間の枠をつけて

バラバラなものとして捉える。

本当は「みんないっしょ」であり、

ともに「歓喜の歌」を歌いながら

ともにダンスし、

ともに助け合い、生かし合い、

そして無限に生長しようとしているのだ。

我々の目の前から消えたと見える人々も

本当はサムシンググレートの御手の中にあって

いつも護られて、生かされている。

だから、必ず愛しき人と私は再会することができる。

否、この世での出会いも

本当はみんな「再会」なのだ。

だから、いつでもどこでもみんな、いっしょなのだ。

みんな、いっしょなのだ。

永遠に一つなのだ。

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 下記の坂村真民先生の詩は、この世界の真実を見事に詠いあげている。

いつもいっしょ 

 

いつもいっしょ

これがわたしの信仰理念

木とも石とも

蝶(ちょう)とも鳥たちとも

いっしょ

人間はもちろん森羅万象(しんらばんしょう)

いつもいっしょに生き

いつもいっしょに息をする

だから一人であっても一人でない

沈むことがあっても

すぐ浮きあがる

ふしぎな奇跡(きせき)が起きてくる

いつもいっしょ!

ああこの愛のことばを

唱(とな)えてゆこう

 (「 花ひらく心ひらく道ひらく 」 講談社+α新書より)

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         坂村真民先生

 ★いつもいっしょ・・アーカイブ編★

いつもいっしょ!・・みんな味方で敵はない 

  • いつもいっしょ!・・感謝で有り難いことに
  • いつもいっしょ!・・背中に手を置いて
  •  
  • いつもいっしょ!・・志のバトンタッチ
  •  
  • いつもいっしょ!・・スピリットからのメッセージ
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  •  

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    宇宙的目覚めの時代・・逆境で生まれる新文明・総集編

     龍村仁さんによると、かつてアポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカートは次のように語ったことがあったという。 

    「私達人類は今、宇宙的誕生(コズミックバース)、宇宙的目覚めの時代にさしかかっている」

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     これは、「赤ちゃん(人類)は、生まれ出て(宇宙から地球を見て)初めてお母さん(地球)を自分とは別の存在である、と認識し、そこから、母の一方通行の愛に甘えるだけではなく、母に対する感謝の気持ちや愛を育み、責任感を持つようになる」(龍村さん)という意味だそうだ。

     とすれば、現代文明がトインビーの云う様々な挑戦を受けている現在の逆境は、人類が宇宙的に誕生するための「陣痛」であるとも言える。

     現在の地球上の人類は大きな逆境にありながらも、その力を借りながら新しい文明の形をつくろうとしているのである。

     フランスの哲学者、ベルクソンによると、生命はあらゆる逆境を乗り越える力をもっており、創造的に進化しようとしていると云う。

     まさに東日本大震災の痛手から立ち上がろうとしておられる皆様の活躍に私たちが感動するのも、どんな逆境に遭いながらも、それを乗り越えようとしている生命の力、「創造的進化」の力に共感するからに違いない。以下、「逆境で生まれる新文明」1回目の序論と2回目以後の論考である。

    人類は「宇宙的目覚めの時代」へ入ろうとしているのである。

     

    平成23年4月18日付の日経新聞には、「トインビーをもう一度・・不都合な真実に『応戦』を」と題した興味深いコラム(土谷英夫氏)が掲載されていいた。

     そのコラムによると、英国の歴史家トインビーは文明は逆境から生まれると説いていたという。

    ・・文明は自然的環境や人間的環境からの挑戦(チャレンジ)に人々の応戦(レスポンス)が成功したときに興る。

    例えば「古代エジプト文明」は、気候の変化による砂漠化で生存の危機に直面した人々が、ナイル川沿いの沼沢地を豊かな農地に変えることで生まれた。

    ・・トインビー流に言えば、大地震・大津波という自然的環境からの挑戦と、原子力エネルギーに依存する人間的環境からの挑戦を同時に受けているのが、いまの日本。間違いなく66年前の「敗戦」以来の逆境だ。

    ・・「窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず」という「易経」の一節は、トインビーの文明論の核心をよく言い当てている。

    明治維新でも、終戦後でも、国のかたちを変える改革を断行した。いま変わらなければ、日本は衰退する。

     また、トインビーは挫折した文明の共通項に「自己決定能力の喪失」をあげているという。状況に振り回され、応戦できない文明は衰退するというわけである。 
      
     換言すれば、ポジティブに「応戦」できれば、今回の大震災は新しい文明やパラダイムが生まれてくる可能性もあるのではないだろうか。

     例えば惑星間というより大きな視点から見るとき、大震災後、下記の三つのパラダイム転換が起きてきているように思う。

     
    ①拡大したコミュニティー意識の誕生
    ②「自然と共生した文明」への進化
    ③新しい自己像の萌芽

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    逆境で生まれる新文明2・・拡大したコミュニティー意識の誕生

    逆境で生まれる新文明3・・「自然と共生した文明」への進化

    逆境で生まれる新文明4・・新しい自己像の萌芽

    逆境で生まれる新文明5・・十牛図による新しい自分の発見

    逆境で生まれる新文明6・・惑星的思考へのシフト

    逆境で生まれる新文明7・・ラズロ博士の「ワールドシフト」

    逆境で生まれる新文明8・・課題解決先進国・日本文明のミッション

    逆境で生まれる新文明9・・ジネン(自然)の思想

    逆境で生まれる新文明10・・宇宙的目覚めの時代

    逆境で生まれる新文明11・・ベルクソンの「精神のエネルギー」 

    逆境で生まれる新文明12・・新しい精神の科学 

    逆境で生まれる新文明13・・新しい精神の科学2 

    逆境で生まれる新文明14・・慈悲の文明(悟りの文明)の誕生

    逆境で生まれる新文明15・・祈りの文明へ・・科学と宗教の対話

    逆境で生まれる新文明16・・祈りによる高次元の開拓 

    逆境で生まれる新文明17・・村上和雄氏の説く魂と遺伝子の法則 

    逆境で生まれる新文明18・・「サムシング・グレート」から考える 

    逆境で生まれる新文明19・・コスモス(宇宙)の一貫性 

    逆境で生まれる新文明20・・思考のすごい力 

    逆境で生まれる新文明21・・月面上の思索

    逆境で生まれる新文明22・・創造的に進化する宇宙

    逆境で生まれる新文明最終回・・「知られざる大陸」を求めて

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