カテゴリー「哲学」の416件の記事

一瞬で世界を変える方法・・総集編

一瞬で世界を変える方法・・

それは.....

今、見ているもの、出合っているものの

本物を観るということです。

私たちが間断なく出合っている人、物、事、自然には

それぞれに見せる顔というものがあります。

ただ、そこには本物と仮のお面を被っている偽物の二つがあるのです。

例えば、この地球上で見せている生命の姿も仮のものであり、本来の生命の本質はほんの少ししか現れていないのではないか、と観るのです。

私たちの命は地球上の重力下という特殊な環境のもと、様々な種を生み出し、この地球上に満ちあふれているわけですが、それでも生命の持つ無限性から観るならばまだまだなのです。

この命の持つ可能性、無限性に目を向けて行動するとき、世界は変わります。

なぜなら、今目にしている苦しみも問題も生命の無限性がこれから現れるためのプロセスにすぎず、本物ではないからです。

例えばハイポニカという農法を編み出した野澤さんという人をご存じでしょうか。

以前の文章から引用してみましょう。

野澤重雄氏ハイポニカ(水気耕法)によるトマト、キュウリ、サトウキビなどの栽培は示唆にとんでいる。

一株のトマトから一万三千個ものトマトが実るという驚嘆すべき栽培法の基本は、野澤氏によると本来の生命力は、現在の地球自然の状態では発揮されておらず、その制限している原因である土という塊から解き放ち、養液を流速を与えて循環させている水の環境に置いてやると
本来の驚くべき生命力が現われてくるというのだ。

同氏によると生命の本質とは「生長・発展する力」であり、「変化し、動いている」ものである。


この本質を引出す環境を設定すると生命は無限に生長する右上がりのベクトルをとるという。生命は変化、動きを通してその本質(生長・発展する力)を露にしていく。

 言わば、
地球上における生命は物質という強い抵抗に合いながら顕現している「生命の見かけの現象」であり、ベルクソンの言うエネルギーの蓄積と爆発という「生命の本質」をおおい隠しているのである。

Bergson

 生命の哲学者、ベルクソン

 この生命の本来持つ驚くべき「生長・発展する力」を信じて見守る。

 そして伸びる兆しが見えれば全身全霊で誉めて、感謝すること。

 このことができるようになれば、間違いなく世界は変わります。

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叡智の哲学者・井筒俊彦論・・総集編

14万5000ヒットの御礼に「叡知の哲学者」たる井筒俊彦論もプレゼントします。
このブログでも何回か紹介している若松英輔さんの『井筒俊彦 叡知の哲学』に触発されたものです。
井筒俊彦―叡知の哲学

  この本の紹介には

・・少年期の禅的修道を原点に、「東洋哲学」に新たな地平を拓いた井筒俊彦の境涯と思想潮流を、同時代人と交差させ、鮮烈な筆致で描き出す清新な一冊・・
 とあります。
 若松さんのこの作品は私にとっても、待望の「井筒俊彦論」であり、お勧めの一冊でもあります。
 「井筒俊彦」という惑星的巨人を「読む」とは、世界の深層を「読む」ことであり、東西の神秘家・哲人の「原体験」を「読む」ことであり、未だ出現していない21世紀の哲学を「読む」(予見)ことでもあるのです。
 「井筒俊彦」を「読む」ことは、このブログのテーマである「惑星間哲学」という「新しいパラダイム」を「読む」ことにもつながっていくでしょう。 

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「スーパーセルフ」の開発が人類を救済する・・

 もし宇宙人なるものがいて、地球人の改造計画をするならば、どこから手をつけるだろうか。

 ある宇宙人は地球人の持っている自分像=セルフイメージの改革から手をつけるかもしれない。

Amr12060700140000p1               「火星年代記」などの名作で知られる
               SFの巨人、レイ・ブラッドベリ

 何故なら、現在の地球上の様々な問題の原因は、結局のところ、そのセルフイメージがあまりに狭く、低次元であるところにあるからだ。

 もしセルフが肉体としての自分というような極めて限定されたものではなく、宇宙に遍満するところのグレートセルフ、宇宙大生命だとしたら、その行い、習慣、ライフスタイルそのものが劇的に変わってくるに違いない。

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 何しろ、自分の肉体の周囲にあるあらゆる人々、草花、自然、海、道路、物・・など森羅万象が他ならぬ自分自身であり、どれもが尊い大生命の兄弟であり、礼拝せずにはおれない、かけがえのない存在になるのだ・・。

 よく言う「利他」という言葉も、このようなセルフイメージにあっては意味をなさない。むしろここにあっては、自分を礼拝し、大切にすることがそのまま「利他行」になるのである。

 ちなみに道元の言った「他己」とは、このような「スーパーセルフ」のことを指しているのだろう。

・・唱うれば、仏も吾れもなかりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

・・一遍上人

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 この「スーパーセルフ」=「光」なるものは、私たちの中にいつもある。 

 21世紀の人類が行うべきは、この内なる「スーパーセルフ」、つまり無限の資源の発掘である。

 一体、吾々の持つ力が如何なるものなのか、測ったものは誰もいない。

 何故なら、私たちの持つ潜在能力はおそらく無限であり、無尽蔵だからだ。

 あのイチローの見せるバッティング技術は、常に進化しており、彼は50歳まで現役でいる夢を持っているそうだ。

 彼はいわゆる人類の引いた常識という限定した線を書き換えることに喜びを見出しているようだ。

 が、これはイチローのような天才たちに限られた話ではない。

 私たちも今日一日、自分の持つ力(光)を120%出し切れば、確実に能力はアップするはずだ。

 何故なら80%しか出さない人は、いつも力を出ししぶることから、無尽蔵の能力の壺の蓋を開けることが出来ない。

 天才とは、この120%の可能性にかける人達のことを言うのである。


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     フランクフルトの朝

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「惑星意識」への進化・・意識革命を起こす本

  地球人にパラダイムシフトを起こして意識革命を起こす三冊を紹介しよう。 

いずれも「意識の拡大」、物の見方の革命を促している。

 まずは「地球環境問題を仏教に問う 温暖化地獄を仏教・密教は救えるか」で、山本良一竹村牧男, ,  松長 有慶の三氏という 環境学者×宗教学者×僧侶の対談本である。

 宗教、仏教、そして真言密教は地球環境のために何ができるのだろう・・大きな問いかけに三人の識者がそれぞれの思いをぶつけており、哲学書としても一級品と見た。

 そして地球環境問題を解決する上で、今後避けて通れないのは「個人のライフスタイルの変革」であり、そのためのヒントを、仏教、密教の教義の中に探っていくのだが、環境問題と言う21世紀最大の問題に、仏教の教義、組織形態、ライフスタイルなどが改めて照らし出されてその存在意義と新しい可能性が見えてくるところが興味深い。

 思うに環境問題は、科学と宗教の垣根を超えて、人類の意識レベルを「惑星意識」にしていく可能性を秘めている。

 特に弘法大師空海の説いた「即身成仏」というコトバが、環境問題によって新たな意味と可能性をもって蘇りつつある点は注目すべきである。

 大日如来と一つになることはどういうことなのか。

 そこに咲いている小さな草花も大日如来の分身であり、自分自身ということにはなるまいか。

 とすれば、人類は自分自身でもある地球の自然を自ら破壊していることになる。

 このような「意識の拡大」なしに環境問題の根本的な解決にはならないのではないか。

 ちなみに現在の環境問題の日本のオピニオンリーダーである山本良一氏は、真言密教のマンダラ図に触発されて「環境マンダラ」なるものを考案している。
      

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 二冊目は本ブログでも繰り返し紹介してきた小林秀雄と井筒俊彦という現代日本を代表する知性、哲学者の共通項に迫った若松英輔さんの叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦である。

この本の帯にある・・

「哲学者は詩人たり得るか? 

日本古典の思想性を「詩」の言葉で論じた小林秀雄――。

古今・新古今の歌に日本の哲学を見出した井筒俊彦――。

二人の巨人を交差させ、
詩と哲学の不可分性に光をあてる、清廉な一冊。 」

 という言葉にすべてが言い尽くされている。

 二人の哲学的巨人を交差させ、詩と哲学の不可分性に光をあてる時に見えてくる世界・・。

 このブログでも繰り返し紹介しているが、この二人の巨人が追求したのは、存在の実相に迫り、実際に体験するとともに、それを己の文体で表現するという営みである。

 イスラムの神秘哲学者が追求した「神秘家かつ哲学者」の道をこの二人ほど極めた人はいないように思う。

 その取り扱った対象は違っても、その対象に対する迫り方はあまりにも酷似している。

 例えばギリシャの哲人たちに、二人は「実践的思索者」という「真理の探究」への燃えるような情熱を見ていた。

 この情熱はあまりに大きく、ヘラクレイトスの火の体験のようなもので、この真理への飢えにまさしく焦がれたような哲人もいたはずだ。

 観照は存在探究の道に違いないが、最初にあるのは、根源からの招きである。観照は、人間が愛する人に向かって全身を投げ出す行為に似ている、とアリストテレスは言った。

井筒俊彦が注目するアリストテレスは「神」の解析者ではない。それを「愛慕」する実践的思索者である。

・・アリストテレスの「神学」の底を流れるのは、絶対者への信頼と安住の確信である。そこには、浄土門の阿弥陀如来を彷彿させる母性的な神の姿すら浮かび上がる。

 神秘家の本分は、神を知解し、その甘美な経験に惑溺することではなく、その顕現を準備することである。

なぜなら、「個人的救済の余徳は万人にわかたれて全人類的救済に窮極するまでは決して止むべからざる」ということこそ、アリストテレスが師プラトンから継承した哲学の使命だったからである。

 アリストテレスは、井筒俊彦に、観照が哲学の道であることを明示しただけではない。

観照体験の究極は、個の制約と桎梏を超え、ついに「宇宙的実践」たり得ることを教えた。

それは「人間的実践即宇宙的実践として、あらゆる存在者の重量を一に脊(せお)った人間の実践的活動の極致」に他ならない。

一個の存在者が、真実の意味で「神充」を経験すれば、それは、世界の祝福を意味する。

ここにナザレのイエスの登場を、あるいは釈迦が仏陀に変貌する、いわば人間の聖化を高らかに告げ知らせる預言者の声を聞くことはできないだろうか。

『井筒俊彦--叡知の哲学』33~34頁

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 三冊目はあなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。 1秒でこの世界が変わる70の答え」。

 ひすいこたろうさんの本はほとんど読んできたが、この書はひすいさん流、「物の見方ガイドブック」の決定版と見た。

 とにかく、爆笑しながら、自分の「物の見方」が柔軟になっていくのがわかるのである。

世界は白いキャンバスなんです。

だからこそ、みんなが喜びを感じられるように、楽しくなるように、世界を自由に解釈すればいいんです。

・・どう解釈するか、認識するかで、現実の見え方がまったく変わります。

あなたの「認識」こそあなたの「世界」そのものです。

つまりあなたこそ、世界の救世主だったのです。

だから、神社のご神体は鏡なんです。

神様に拝んでいるとき、鏡に写っているのは拝んでいるあなた自身です。

あなたが変われば、

鏡に映るこの世界も一秒で変化します。

 

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リルケ、小林秀雄の至高体験

 

 若松英輔さんの『神秘の夜の旅』に登場する越知保夫をはじめ、小林秀雄、井筒俊彦、マルセル、リルケ、ドストエフスキーなどに共通するのは、目に見えない“至高なる存在”を信じていたことだろう。らは信じていただけでなく、その臨在をまざまざと感じていた。

 それは自分を超えた存在を体験する「至高体験」(マズロ)であったとも言えるだろう。

 そして詩人たちはその体験から何物かを語り始める“語り部”となるのである。

 若松さんの霊性にあふれた言葉を引用してみよう。

詩人は自身を語る前に、託されたことを語らなくてはならない。

むしろ、何ものかに言葉を「委託」されたとき、その人は詩人になる。

詩人の努力は、言葉を探すところにだけあるのではない。

彼に「委託」する、主体からの「呼びかけ」を待つことである。

「過去の日の大浪」が意味するのは死者である。

読み進めれば、示唆というにはあまりに直接的な経験が、リルケにあったことがわかるだろう。(『神秘の夜の旅』135~136頁)

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リルケだけではない。小林秀雄にも、井筒俊彦にも、マルセルにも死者から「委託」された「直接的な経験」、つまり「至高体験」があったのである。

 小林秀雄の批評に至っては、彼が天才たちとの霊と直接会話しながら書いたのではないか、と思われる表現が随所に見られる。

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 その意味では、彼の批評とは死者を呼び出し、彼らと対話する「祈り」でもあったのではないか。

 彼はひたすら無私になって、天才たちからの「呼びかけ」を待っているのである。

 若松さんの引用しているリルケの詩を紹介しよう。

風に似てふきわたりくる声を聴け、

静寂からつくられる絶ゆることないあの音信(おとずれ)を。

あれこそあの若い死者たちから来るおまへの呼びかけだ。

かつておまえがローマやナポリをおとずれたとき、教会堂に立ち入るごとに

かれらの運命はしずかにおまえに話しかけたではないか。

また、さきごろサンタ・マリヤ・フォルモーサ寺院でもそうであったように

死者の碑銘がおごそかにおまえに委託してきたではないか。

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   ハイデルベルクの古城跡にて

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一瞬で世界を変える方法・・総集編

一瞬で世界を変える方法・・

それは.....

今、見ているもの、出合っているものの

本物を観るということです。

私たちが間断なく出合っている人、物、事、自然には

それぞれに見せる顔というものがあります。

ただ、そこには本物と仮のお面を被っている偽物の二つがあるのです。

例えば、この地球上で見せている生命の姿も仮のものであり、本来の生命の本質はほんの少ししか現れていないのではないか、と観るのです。

私たちの命は地球上の重力下という特殊な環境のもと、様々な種を生み出し、この地球上に満ちあふれているわけですが、それでも生命の持つ無限性から観るならばまだまだなのです。

この命の持つ可能性、無限性に目を向けて行動するとき、世界は変わります。

なぜなら、今目にしている苦しみも問題も生命の無限性がこれから現れるためのプロセスにすぎず、本物ではないからです。

例えばハイポニカという農法を編み出した野澤さんという人をご存じでしょうか。

以前の文章から引用してみましょう。

野澤重雄氏ハイポニカ(水気耕法)によるトマト、キュウリ、サトウキビなどの栽培は示唆にとんでいる。

一株のトマトから一万三千個ものトマトが実るという驚嘆すべき栽培法の基本は、野澤氏によると本来の生命力は、現在の地球自然の状態では発揮されておらず、その制限している原因である土という塊から解き放ち、養液を流速を与えて循環させている水の環境に置いてやると
本来の驚くべき生命力が現われてくるというのだ。

同氏によると生命の本質とは「生長・発展する力」であり、「変化し、動いている」ものである。


この本質を引出す環境を設定すると生命は無限に生長する右上がりのベクトルをとるという。生命は変化、動きを通してその本質(生長・発展する力)を露にしていく。

 言わば、
地球上における生命は物質という強い抵抗に合いながら顕現している「生命の見かけの現象」であり、ベルクソンの言うエネルギーの蓄積と爆発という「生命の本質」をおおい隠しているのである。

Bergson

 生命の哲学者、ベルクソン

 この生命の本来持つ驚くべき「生長・発展する力」を信じて見守る。

 そして伸びる兆しが見えれば全身全霊で誉めて、感謝すること。

 このことができるようになれば、間違いなく世界は変わります。

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「より高い次元での統合」は可能か・・井筒俊彦の啓示

井筒俊彦の言う種々の対立を超えた「より高い次元での統合」は如何にしたら可能なのか。

 そのために井筒が行った方法とは、「西洋と東洋の深層における対決」「対話」というものであった。(『意味の深みへ』の「人間存在の現代的状況と東洋哲学」参照)

 井筒によると、「人類文化をある意味で二分する東洋と西洋の文化を、今までよりもっと根源的な形で、より深いレベルで、対決させ、両者の高次の統合の可能性を、あらためて考え直してみることが必要になってくる」と云うのである。

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 それでは、東洋の深層における「世界像」とは何か。

 この世界像の最も顕著な特徴は、第一に意識と物質とが峻別されることなく、むしろ逆に両者が互いに浸透し合うような流動性を示すこと、次に、そこではいわゆる事物が存在者ではなくて、むしろそれぞれ一つのダイナミックな存在的「出来事」であること。

 結局、全体としての世界は、こういう数限りない存在的「出来事」の相関的、相互依存的、相互浸透的な編目構造の不断に繰り拡げられ、畳みこまれる流動的プロセスとして現われるのでありまして、要するに、それが世界と呼ばれるものの真相である、ということになります。

 一方、西洋における深層にも、現代自然科学の、まったく新しい存在観、存在感覚に裏づけられたまったく新しい「世界像」があり、そこでもまた、物質と意識の本質的峻別は無力化されてしまう。

元来、物質と意識とを矛盾的対立関係におくのは、ニュートン力学のパラダイム、あるいはデカルト的二元論に基く見方でありまして、このような見方をするかぎり、ものの本源的透明性とか、ものとものとの相互浸透などということは考えられません。

しかし、皆様もご承知の通り、現代物理学では、この旧来のパラダイムは既に新しいパラダイムに置き換えられ、デカルト的な物と心の二元論は否定されつつあります。

自然科学のこの新しいパラダイムが、いわゆる「事物」の存在論的構造そのものに意識の積極参加を認め、それによって事物の実体的凝固性を「溶解」し流動化するような性格のものであることが注目されております。

まり、今までいわば固い凝結性において考えられていた物質的世界が、意識の内面からの参与によって、限りなく柔軟で、常に変転する「出来事」の相互連関の複雑微妙な創造的プロセスとして見られるようになってきた、ということであります。

1 賢明なる読者は気づかれたように、現代の自然科学的パラダイムに基づくこの西洋的世界像は、伝統的な東洋哲学の世界像に酷似するところがあり、西洋の物理学者の中にもそのことに気づいて華厳や禅などの世界観を積極的に取り入れようとしている人もいる。

 つまり、「東西の文化的ディアローグ(対話)はその深層においては既に始まっている」というのが、井筒の強調したいところなのである。

 こうしてそれぞれ独自の強力な創造性を備えたこれら二つの「文化的枠組み」が、現代という歴史の時点で、ぶつかり合い、対話し合う、そのドラマティックな展開のうちに、井筒は「より高い次元での統合」を見いだそうとするのである。

 その意味では人間関係でもあるように、「ぶつかり合う」ことも決して悪いことではない。

 その衝突から対話が生まれてくるならば、より高次元の視点に立って自分と他者を眺めるという気づきと創造的進化が生まれる可能性も内包しているのである。

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  衝突から対話へ・・人類はより高次元
  の立場に立とうとしている。
  (ハイデルベルクにて)

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逆境で生まれる新文明・・意識革命を起こす本

地球人にパラダイムシフトを起こして意識革命を起こす三冊を紹介しよう。 

いずれも「意識の拡大」、物の見方の革命を促している。

 まずは「地球環境問題を仏教に問う 温暖化地獄を仏教・密教は救えるか」で、山本良一竹村牧男, ,  松長 有慶の三氏という 環境学者×宗教学者×僧侶の対談本である。

 宗教、仏教、そして真言密教は地球環境のために何ができるのだろう・・大きな問いかけに三人の識者がそれぞれの思いをぶつけており、哲学書としても一級品と見た。

 そして地球環境問題を解決する上で、今後避けて通れないのは「個人のライフスタイルの変革」であり、そのためのヒントを、仏教、密教の教義の中に探っていくのだが、環境問題と言う21世紀最大の問題に、仏教の教義、組織形態、ライフスタイルなどが改めて照らし出されてその存在意義と新しい可能性が見えてくるところが興味深い。

 思うに環境問題は、科学と宗教の垣根を超えて、人類の意識レベルを「惑星意識」にしていく可能性を秘めている。

 特に弘法大師空海の説いた「即身成仏」というコトバが、環境問題によって新たな意味と可能性をもって蘇りつつある点は注目すべきである。

 大日如来と一つになることはどういうことなのか。

 そこに咲いている小さな草花も大日如来の分身であり、自分自身ということにはなるまいか。

 とすれば、人類は自分自身でもある地球の自然を自ら破壊していることになる。

 このような「意識の拡大」なしに環境問題の根本的な解決にはならないのではないか。

 ちなみに現在の環境問題の日本のオピニオンリーダーである山本良一氏は、真言密教のマンダラ図に触発されて「環境マンダラ」なるものを考案している。
      

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 二冊目は本ブログでも繰り返し紹介してきた小林秀雄と井筒俊彦という現代日本を代表する知性、哲学者の共通項に迫った若松英輔さんの叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦である。

この本の帯にある・・

「哲学者は詩人たり得るか? 

日本古典の思想性を「詩」の言葉で論じた小林秀雄――。

古今・新古今の歌に日本の哲学を見出した井筒俊彦――。

二人の巨人を交差させ、
詩と哲学の不可分性に光をあてる、清廉な一冊。 」

 という言葉にすべてが言い尽くされている。

 二人の哲学的巨人を交差させ、詩と哲学の不可分性に光をあてる時に見えてくる世界・・。

 このブログでも繰り返し紹介しているが、この二人の巨人が追求したのは、存在の実相に迫り、実際に体験するとともに、それを己の文体で表現するという営みである。

 イスラムの神秘哲学者が追求した「神秘家かつ哲学者」の道をこの二人ほど極めた人はいないように思う。

 その取り扱った対象は違っても、その対象に対する迫り方はあまりにも酷似している。

 例えばギリシャの哲人たちに、二人は「実践的思索者」という「真理の探究」への燃えるような情熱を見ていた。

 この情熱はあまりに大きく、ヘラクレイトスの火の体験のようなもので、この真理への飢えにまさしく焦がれたような哲人もいたはずだ。

 観照は存在探究の道に違いないが、最初にあるのは、根源からの招きである。観照は、人間が愛する人に向かって全身を投げ出す行為に似ている、とアリストテレスは言った。

井筒俊彦が注目するアリストテレスは「神」の解析者ではない。それを「愛慕」する実践的思索者である。

・・アリストテレスの「神学」の底を流れるのは、絶対者への信頼と安住の確信である。そこには、浄土門の阿弥陀如来を彷彿させる母性的な神の姿すら浮かび上がる。

 神秘家の本分は、神を知解し、その甘美な経験に惑溺することではなく、その顕現を準備することである。

なぜなら、「個人的救済の余徳は万人にわかたれて全人類的救済に窮極するまでは決して止むべからざる」ということこそ、アリストテレスが師プラトンから継承した哲学の使命だったからである。

 アリストテレスは、井筒俊彦に、観照が哲学の道であることを明示しただけではない。

観照体験の究極は、個の制約と桎梏を超え、ついに「宇宙的実践」たり得ることを教えた。

それは「人間的実践即宇宙的実践として、あらゆる存在者の重量を一に脊(せお)った人間の実践的活動の極致」に他ならない。

一個の存在者が、真実の意味で「神充」を経験すれば、それは、世界の祝福を意味する。

ここにナザレのイエスの登場を、あるいは釈迦が仏陀に変貌する、いわば人間の聖化を高らかに告げ知らせる預言者の声を聞くことはできないだろうか。

『井筒俊彦--叡知の哲学』33~34頁

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 三冊目はあなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。 1秒でこの世界が変わる70の答え」。

 ひすいこたろうさんの本はほとんど読んできたが、この書はひすいさん流、「物の見方ガイドブック」の決定版と見た。

 とにかく、爆笑しながら、自分の「物の見方」が柔軟になっていくのがわかるのである。

世界は白いキャンバスなんです。

だからこそ、みんなが喜びを感じられるように、楽しくなるように、世界を自由に解釈すればいいんです。

・・どう解釈するか、認識するかで、現実の見え方がまったく変わります。

あなたの「認識」こそあなたの「世界」そのものです。

つまりあなたこそ、世界の救世主だったのです。

だから、神社のご神体は鏡なんです。

神様に拝んでいるとき、鏡に写っているのは拝んでいるあなた自身です。

あなたが変われば、

鏡に映るこの世界も一秒で変化します。

 

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逆境で生まれる新文明・・新しい自己像の再構築

 震災後の激変の中で問われているのが、前回も触れた「新しい自己像」の再構築ではないだろうか。

 井筒俊彦博士の言う我々の実存の中心を『自我』のレベルから『自己』のレベルに移行」させるためには、意識の焦点を表層から深層へと深めていく必要がある。

 井筒博士の場合、イブン・アラビーなどのスーフィーや東洋哲学の途轍もなく広い精神的鉱脈を探りながら、深層の自己へと深めていくには共通したパターンがあることを明らかにした。

 詳しくは「イスラーム哲学の原像」という名著を参照いただきたいが、簡単に言うと、多くの哲人・神秘家に共通するのが、往相・還相の悟りへの道を歩むということである。

井筒博士はこの中で「意識と存在の構造モデル」と題して、単純な三角形の図を描いている。すなわち絶対無としての存在が三角形の頂点として上に置き、感覚的、知覚的事物が底辺として下にくることになる。

 つまり多くの哲人・神秘家たちは三角形の向かって左側の辺をひたすら登って、意識と存在のゼロ・ポイントを目指そうとする。

そして遂に絶対無の頂点を極めた哲人たちは、今度は右側の辺をひたすら降りて今度はコトバで「無から有」を生み出そうとする。

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 この意識と存在の構造モデルは、仏教の禅で言えば「十牛図」が見事に現しているように思う。

 横山紘一氏「十牛図入門--『新しい自分』への道」によると、この十牛図には「自己究明」「生死解決」「他者救済」という人生の三大目的が現されているという。

 ちなみにこの悟りのマップとも言うべき「十牛図」では、牛に象徴される悟りを求める少年が牛の足跡を見つけ、居場所を発見し、つかまえ、飼い慣らし、牛の背に乗って家に帰ってゆくプロセスを前半の6段階が表している。(①尋牛②見跡③見牛④得牛⑤牧牛⑥騎牛帰家)

 が、⑦ の「忘牛存人」になると一転してその“ 悟りの象徴” であるところの牛が消えてしまい、⑧ の「人牛倶忘」に至っては牛のみならず人も忘れ去られて全くの白紙が描かれている。そして⑨ の「返本還源」では川が流れ、花が咲く、自我を超えた自然の姿が描かれ、⑩の「入廓垂手」(にってんすいしゅ)では世間の路で少年と老人が出合うシーンが描かれている。

 つまりこの「十牛図」では、“頓得の悟り”からいろいろの段階を経て悟りが深まっていく過程が図形化されており、悟り= 牛を追いかけていたことも忘れて無我の境に入るとともに自然や人との一体感を自覚することが“ 本当の悟り” であると示されているのである。

 横山氏の言葉を借りれば、この「十牛図」には三種類の自分が描かれているという。

  1.  偽りの自分
  2.  新しい自分
  3.  真の自分

 とすれば、大震災後の激変は、「偽りの自分」を脱ぎ捨てて「新しい自分」を発見し、さらには宇宙と一つの「真の自分」を見いだす「悟りの機会」を与えたとも言えるのである。

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逆境で生まれる新文明・・新しい自己像の誕生

 東日本大震災などで明らかになってきた新潮流は、コミュニティの拡大や「自然と共生する文明」へのシフトに伴う「新しい自己像」の誕生である。

 他ならぬ私たち人類の間で「全ては一つ」という新しい世界観ともっと拡大した自己像が誕生してきているのではないだろうか。

 この「新しい自己像」アーヴィン・ラズロ「人類の意識の進化」とも呼んでいる。

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 現在の地球は、今回の大震災はもとより、地球環境問題、頻発するテロ、異なる宗教的信条の違いによる軋轢、文化、人種、肌の色、言語、政治的信念の違いによる摩擦など、まるで沸騰した一つの鍋の中で全ての問題が煮立っているような状況である。

また今回の震災では世界中の人々の善意が集まるというポジティブな面も見られる。

 まして発達したインターネット網がそれらを一つにつないでより沸騰する速度を高めている。

 これらに加えて、宇宙の根本法則である進化の波動が、この悩める惑星には宇宙線のように無数に降り注いでいるように見えるのだ。

 このような地球温暖化も含めて加速度的に出来事を早めている動きは、実はラズロの云う「人類の意識の進化」も促しているのではないだろうか。

 日本が産んだ世界的哲人の一人、井筒俊彦博士は、このようなグローバル化、地球的社会にあっては、何よりも人間そのものを作り変える必要があると説いておられた。

それ(地球社会化)に内在する深刻な危険をはっきり意識しながらも、

しかもなお、我々が人類文化のグローバラゼーションの理念を信じ、『地球社会』の理想的な形での形成に向って進んで行こうと望むのであれば、

何よりも先ず我々は、我々自身を作り変えなければならない。

すなわち、我々の実存の中心を『自我』のレベルから『自己』のレベルに移行させなければならない。

あるいは、より正確に言うなら、『自我』を『自己』の表層的一部として、それを『自己』の多層構造全体のなかに定位しなおすことによって、完全に変質させなければならないでありましょう。 

井筒俊彦博士『意味の深みへ』

「人間存在の現代的状況と東洋哲学」から

 簡単に言えば、エゴという狭い自我から、セルフという拡大した自己へと私たちの実存の中心を移行させる必要があるのである。

 この転換を図る上で、参考になるのが井筒俊彦博士の「イスラム哲学の原像」や横山紘一氏の「十牛図入門--『新しい自分』への道」などの唯識論である。

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