カテゴリー「小林秀雄」の161件の記事

小林秀雄の鉄斎論・・自然と人間が応和する喜び

鑑賞という事は、一見行為を拒絶した事の様に考えられるが、実はそうではないので、鑑賞とは模倣という行為の意識化し純化したものなのである。

救世観音の美しさは、僕等の悟性という様な抽象的なものを救うのではない、僕等の心も身体も救うのだ。

僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするのである。

そこに推参しようとする能力によって、つまり模倣という行いによって。

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      ゴッホの複製画の前で

 これは、「伝統」という小林秀雄のエッセーからの引用だが、小林秀雄にとって絵画や美術品などの「鑑賞」という行為がどのようなものであったか、よく解る文章である。

 彼のような徹底した「鑑賞」にあっては、自分と作品の境界はなくなり、観察するのではなく、まさに一体になって「わがものにする」ことに力点が置かれている。

 例えば、小林は富岡鉄斎を四日間ぶっ通しで、朝から晩まで250余の作品を見続けたというから尋常ではない、そこには何か魔的なものすら感じられる。彼の鉄斎論を見てみよう

 日本人は、何と遠い昔から富士を愛して来たかという感慨なしに、恐らく鉄斎は、富士山という自然に対することは出来なかったのである。

 

彼はこの態度を率直に表現した。

 

讃嘆の長い歴史を吸って生きている、この不思議な生き物に到る前人未踏の道を、彼は発見した様に思われる。

 

自然と人間とが応和する喜びである。

 

この思想は古い。

 

嘗て宋の優れた画人等の心で、この思想は既に成熟し切っていた。

鉄斎は、独特な手法で、これを再生させた。

彼は、生涯この喜びを追い、喜びは彼の欲するままに深まった様である。

悲しみも苦しみも、彼の生活を見舞った筈であるが、そようなものは画材とするに足りぬ、と彼は固く信じていた。

「鉄斎Ⅱ」

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         仙縁奇遇図 

 

  鉄斎の喜びをわがものにした小林の批評は「鑑賞道」とでも呼びたい、厳しくも喜びにあふれた行から生まれてきたのであり、頭の中だけで巧んだものは一つもないのだ。

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誰にも「全実在」は与えられている・・小林秀雄

 小林秀雄は「私の人生観」という戦後間もなく行った名講演で「哲学は一つのシステムでたりるのではないか」と提案している。

 これは、21世紀、惑星的な知性の出現と真の叡知にあふれた哲学を構築していくにあたって、多くの示唆を与えてくれているのではないだろうか。

 この小林の提案は「知覚の拡大」に伴う「実在」中心主義と呼んでもいいし、イブン・アラビーの「存在一性論」とも相通じるものがある。

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 小林秀雄が言うように「全実在は疑いもなく私達の直接経験の世界に与えられている」(「私の人生観」参照)。

「私たちの命は、実在の真っ只中にあって生きている」のだが、そのような「豊富な直接経験の世界に堪える為には、格別な努力が必要」である。

 何故なら、普通私たちは、日常生活の要求に応じて、便宜上、この経験を極度に制限する必要があるからだ。つまり、「見たくないものは見ないし、感じる必要のないものは感じやしない」。 

 つまり、可能的行為の図式が上手に出来上がるという事が、知覚が明瞭化するという事である。

こういう図式の制限から解放されようと、
ひたすら見る為に見ようと努める画家が、何か驚くべきものを見るとしても不思議はあるまい。

彼の努力は、全実在が与えられている本源の経験の回復にあるので、そこで解放される知覚が、常識から判断すれば、一見夢幻の様な姿をとるのも致し方がない。

ベルグソンは、そういう考えから、拡大された知覚は、知覚と呼ぶより寧ろVISIONと呼ぶべきものだと言うのです。


・・小林秀雄「私の人生観」

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 小林が言うように、私たち一人ひとりには「全実在」がそれぞれ与えられている。

 ところが、この「本源の経験」なるものが日常生活の便宜性にかまけて、通常は極めて矮小化され、静止化されて体験されている。

 この矮小化という網を一度、捨てて虚心に「実在」に向かうとき、私たちは思わぬ光景を目撃することができる。

 画家は、小林が言うように「見る」という全身心を賭した行為を通して「実在」に到ろうとするのだ。

 従って、優れた芸術家たちは、ベルクソンが哲学者達に望んだように、「唯一の美のシステムの完成に真に協力している」ことになる。

 そのめいめいがその個性を尽くして同じ目的を貫いており、「梅原という画家のVISIONと安井という画家のVISIONは、全く異なるのであるが、互に抵触するという様な事は決してなく、同じ実在を目指す。かような画家のVISIONの力は、見る者に働きかけて、そこに人の和を実際に創り出すのである」。

 ちなみにジャコメッティという画家は森林に入ったとき、木々の方から見られているという不思議な感覚に襲われ、その感覚から脱っするために絵を描いていたという。

 つまり自分という主体から木々という対象に向かうのではなく、木々という「実在」から呼びかけるモノがあるというのだ。

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  ドイツ・ハイデルベルクでの思索


 このような「実在体験」をマズローは「至高体験」とも呼び、マルセルは「現存」とも呼称したが、芸術家だけでなく、私たちにも「全実在」は平等に与えられているのだから、その実相に推参することはできるはずなのだ。

 小林秀雄があれだけサクラに入れ込んだのも、サクラそのもの=「実在」に魅入られた体験があったからに違いない。

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 誰にも「全実在」は与えられている・・

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小林秀雄のプラトン論・・人生の大事とは忽然と悟ること

 小林秀雄は「プラトンは、書物というものをはっきり軽蔑していたそうです」として独特のプラトン論を展開している。

彼の考えによれば、書物を何度開けてみたって、同じ言葉が書いてある、一向面白くもないではないか、人間に向って質問すれば返事をするが、書物は絵に描いた馬のように、いつも同じ顔をして黙っている。

人を見て法を説けという事があるが、書物は人を見るわけにはいかない。

だからそれをいい事にして、馬鹿者どもは、生齧りの知識を振り廻して得意にもなるものである。

プラトンは、そういう考えを持っていたから、書くという事を重んじなかった。書く事は文士に任せておけばよい。

哲学者には、もっと大きな仕事がある。

人生の大事とは、物事を辛抱強く吟味する人が、生活の裡(うち)に、忽然(こつぜん)と悟るていのものであるから、たやすくは言葉には現せぬものだ、ましてこれを書き上げて書物というような人に誤解されやすいものにしておくというような事は、真っ平である。・・

 従って彼によれば、ソクラテスがやったように、生きた人間が出会って、互いに全人格を賭して問答をするという事が、真智を得る道だったのです。

 小林秀雄・・「喋ることと書くこと」

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 この小林秀雄のプラトン論は、その後、『本居宣長』を通して、独自な言語論へと発展していくのであるが、まさしく小林のやろうとしたことは、生きた人間が出会って、心を開いて対話するということにより、本物の智慧を得ることであった。

 彼の「からみ」の話はあまりにも有名であるが、彼にしてみれば全人格を賭けて問答をしていたのにすぎない。

 目的は真智を得ることであって、「からみ」は相手の狭い個我はもとより、自身の我を否定し去り、「智慧の海」へと向かうことに他ならなかった。

 小林にとって対話とは、ソクラテスがそうであったように、自他共により高次な「智慧の海」へと航海して、無私を得る道だったのではないか。

 単なる弁論術や政治家の説得しようがための演説では、「智慧の海」に至ることはできないのである。

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「自己克服の道」・・小林秀雄の批評の基準について

およそ小林秀雄が描いた天才たちのドラマは、自分の置かれた境遇と戦い、時代の思潮と戦い、そして自分自身とも戦った「自己克服の道」を極めたものが多い。

 小林秀雄が作品を批評する基準も、この自分との戦いがあるかどうか・・にあったことは、講演などで自ら触れている。

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 この「自己克服の道」をまさに命がけで行った一人が、画家のゴッホだった。

 彼の場合、その道の半ばで倒れた感はあるが、その純粋さ、激しさでは群を抜いているものがある。

 小林自身も次のようにゴッホについて書いているのだ。

 ・・批評は、極めて鋭く、自分に対して一番厳しい。

ゴッホは、作家にもなればなれたかもしれない。

言葉を扱っても、彼の表現力は、強く豊かで、天賦の才を示しているが、もっと驚くべきものは、彼の天賦の無私であろう。

・・正気と狂気との交替という脅迫に耐える生存の全的な意識が、彼には必要だったのである。

それは、常に勝つとは限らぬ休みのない自己克服の道だったのであり、そういう究極の明識を得ては、又、これを失う様は、明滅する強い光のように、彼の書簡集に現れている。・・「ゴッホ」

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 この「自己克服の道」は、「自己超越の道」とも呼びたいし、神秘家の道にもつながっているのではないか。

 それにしても、「休みのない自己克服の道」を若き日より歩んできたのは、他ならぬ小林自身ではなかったか。

 彼はその“自分との戦い”をゴッホはもとより、ドストエフスキーや西行たちにも発見して、共鳴するのである。

 彼にとって批評とは畢竟、自分の命と天才たちの命の共鳴であり、「自己超越の道」において彼らは一つになって同じ協奏曲を奏でていた・・とも言えるのである。

Kobayashigoho

     ゴッホの複製画の前で

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小林秀雄の「実在体験」

 小林秀雄は「私の人生観」という戦後間もなく行った名講演で「哲学は一つのシステムでたりるのではないか」と提案している。

 これは、21世紀、惑星的な知性の出現と真の叡知にあふれた哲学を構築していくにあたって、多くの示唆を与えてくれているのではないだろうか。

 この小林の提案は「知覚の拡大」に伴う「実在」中心主義と呼んでもいいし、イブン・アラビーの「存在一性論」とも相通じるものがある。

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 小林秀雄が言うように「全実在は疑いもなく私達の直接経験の世界に与えられている」(「私の人生観」参照)。

「私たちの命は、実在の真っ只中にあって生きている」のだが、そのような「豊富な直接経験の世界に堪える為には、格別な努力が必要」である。

 何故なら、普通私たちは、日常生活の要求に応じて、便宜上、この経験を極度に制限する必要があるからだ。つまり、「見たくないものは見ないし、感じる必要のないものは感じやしない」。 

 つまり、可能的行為の図式が上手に出来上がるという事が、知覚が明瞭化するという事である。

こういう図式の制限から解放されようと、
ひたすら見る為に見ようと努める画家が、何か驚くべきものを見るとしても不思議はあるまい。

彼の努力は、全実在が与えられている本源の経験の回復にあるので、そこで解放される知覚が、常識から判断すれば、一見夢幻の様な姿をとるのも致し方がない。

ベルグソンは、そういう考えから、拡大された知覚は、知覚と呼ぶより寧ろVISIONと呼ぶべきものだと言うのです。


・・小林秀雄「私の人生観」

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 小林が言うように、私たち一人ひとりには「全実在」がそれぞれ与えられている。

 ところが、この「本源の経験」なるものが日常生活の便宜性にかまけて、通常は極めて矮小化され、静止化されて体験されている。

 この矮小化という網を一度、捨てて虚心に「実在」に向かうとき、私たちは思わぬ光景を目撃することができる。

 画家は、小林が言うように「見る」という全身心を賭した行為を通して「実在」に到ろうとするのだ。

 従って、優れた芸術家たちは、ベルクソンが哲学者達に望んだように、「唯一の美のシステムの完成に真に協力している」ことになる。

 そのめいめいがその個性を尽くして同じ目的を貫いており、「梅原という画家のVISIONと安井という画家のVISIONは、全く異なるのであるが、互に抵触するという様な事は決してなく、同じ実在を目指す。かような画家のVISIONの力は、見る者に働きかけて、そこに人の和を実際に創り出すのである」。

 ちなみにジャコメッティという画家は森林に入ったとき、木々の方から見られているという不思議な感覚に襲われ、その感覚から脱っするために絵を描いていたという。

 つまり自分という主体から木々という対象に向かうのではなく、木々という「実在」から呼びかけるモノがあるというのだ。

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  ドイツ・ハイデルベルクでの思索


 このような「実在体験」をマズローは「至高体験」とも呼び、マルセルは「現存」とも呼称したが、芸術家だけでなく、私たちにも「全実在」は平等に与えられているのだから、その実相に推参することはできるはずなのだ。

 小林秀雄があれだけサクラに入れ込んだのも、サクラそのもの=「実在」に魅入られた体験があったからに違いない。

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 誰にも「全実在」は与えられている・・

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桜に魅入られた小林秀雄2・・花やかへりて我を見るらん

 桜好きの小林秀雄は春になると、弘前城址や高遠城址の桜、甲州山高実相寺の神代桜など、有名な桜の木を愛でに日本各地を旅していた。

 エッセー「花見」では、「文芸春秋社」の講演旅行で東北を旅したことが記されている。

 弘前の桜が目当てであったが、山形県の酒田の宿で独りで酒を飲んでいた小林は、講演前の一時に、中川一政が伊達政宗の漢詩と源実朝、源頼政の桜の和歌を並べて書いた書の額を鑑賞する。

 この三篇の詩を通して三人の武将の数奇な人生を見事に描きながら、話は一転、信州高遠の「血染めの桜」を見に行った時の感想に移る。

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 小林のこのエッセーは、むしろ「抒情詩」として味わった方がいいようだ。

 そこには桜との出会いを通して、湧き上がる旅情が見事に描かれているからだ。

 行った時には、盛りを過ぎていた。それでも、花は、まことに優しい、なまめかしい色合であった。

血染めと聞いてすさまじい色と思ったのも、未だ花を見ぬ時の心だったようだ。

来て眺めれば、自然に、素直に生まれて来た名とも思える。

人々は、戦の残酷を忘れたい希いを、毎年の毎年の花に託し、桜の世話をして来たであろう。

桜は、黙って希いを聞き入れて来たと思える。

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熱海の海に映える桜

 酒田からさらに北上した弘前城の桜は見事な満開であり、「背景には、岩木山が、頂の雪を隠して、雄大な山裾を見せ、落花の下で、人々は飲み食い、狂おしいように踊っていた。実に久しぶりの事だ。こんなお花見らしいお花見は、私の記憶では、十二三の頃、飛鳥山に連れて行かれた時までさか上らないと見つからない」。

 その夜も小林は、新築の立派な市民会館で、「今日は、結構なお花見をさせて戴きまして・・」と言って、文化講演とやらに全くそぐわない気持ちになってしまう。


 外に出ると、「ただ、呆れるばかりの夜桜」が広がっているではないか。

 花見酒というので、或る料亭の座敷に通ると、障子はすっかり取払われ、花の雲が、北国の夜気に乗って、来襲する。

「狐に化かされているようだ」と傍らの円地文子さんが呟く。

なるほど、これはかなり正確な表現に違いない。

もし、こんな花を見る機は、私にはもう二度とめぐって来ないのが、先ず確実な事ならば。

私は、そんな事を思った。何かそういう気味合いの歌を、頼政も詠んでいたような気がする。

この年頃になると、花を見て、花に見られている感が深い、確か、そんな意味の歌であったと思うが、思い出せない。

花やかへりて我を見るらん、--何処で、何で読んだか思い出せない。

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    名著「本居宣長」の冒頭は山桜を

    愛した宣長の遺書から始まっている

  ちなみに清春の白樺美術館(山梨県長坂町)の敷地内には小林の愛した桜が移植されている

「小林秀雄の桜」=下写真
(同美術館のホームページより)

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「桜をこよなく愛された小林秀雄先生は、清春の見事な桜をごらんになり、ここへ芸術村をつくるよう薦められ、清春芸術村が誕生しました。この枝垂桜は、このことを末永く記念するため、鎌倉の小林邸からここへ移植したものです」・・白樺美術館のホームページより

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桜に魅入られた小林秀雄1・・心眼で「サクラの命」を観る

人間が何かを見る、ということは、魅入られることだ。

魅入られない以上、感動も、逆上もあるまい。

魅入られたことを「かぶれ」とか「つきもの」という。・・小林秀雄

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 小林秀雄が文字通り、桜に取り憑かれていたことは有名だ。

 

 妹の高見澤潤子さんによると、小林は昭和57年3月の末、急に発病して入院したが、十何日か経ち、桜の見頃になった。

 

 自宅のしだれ桜が満開になる頃、小林があんまり桜の花を見たがるので、主治医が特別に週末に帰宅を許してくれたという。

 

 ところが、その前の晩、強い風雨があって、折角の花は殆ど散ってしまった。

 

 家の者はがっかりして残念がり、昨日までどんなに綺麗であったかをつぶやいたが、小林は食い入るように、ほとんど散ってしまった桜をながめていた。

 

 そして高見澤さんは、小林の批評が窮極のところ、何であったのか、伺わせるエピソードを紹介している。

 病院に帰って兄は、今年は桜がみられないと思っていたのに、おかげさまで、すばらしいお花見が出来てありがとうございましたと、何度も主治医に御礼をいった。

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 小林の云う「すばらしいお花見」とは、単なる御礼のための言葉に過ぎなかったのか。

 

 私はこう思う。

 

・・小林の心眼には、まざまざと桜の花が咲いていることが見えていたのだ・・と。

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 現象的には散ってしまった桜の奥にある「サクラの命」なるものを彼は確かに観ていたのだ。

 

 「サクラの命」は花びらを落としても、また来年咲くための準備をもう始めている。

 

 春から夏へ、夏から秋へ、そして冬枯れの景色の中でも、「サクラの命」の営みは花開く日のために黙々と続けられている。

 

 そこには一つの無駄も力みもない。

 ただ・・あるがままの世界、自然法爾の世界があるのみである。

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西行の空観・・小林秀雄の批評道

 観は、日本の優れた芸術家達の行為のうちを貫道しているのであり、私達は、彼等の表現するところに、それを感得しているという事は疑えぬ。

西行の歌に託された仏教思想を云々すれば、そのうちで観という言葉は、死ぬが、例えば「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸の騒ぐなりけり」と歌われて、私達の胸中にも何ものかが騒ぐならば、西行の空観は、私達のうちに生きているわけでしょう。

まるで虚空から花が降って来るような歌だ。

・・小林秀雄「私の人生観」より

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 この西行の悲しみは「生命に溢れている」、と小林は云う。

 小林の批評はひたすら己を空しくして、批評の対照となる作品と共感・共鳴するところに生まれてくる。

 そしてその共感を極めるところ、わが国の芸術家にあっては、芭蕉が「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一」と言ったのと同じく、一つの道に出ていた。

 畢竟、小林の批評は「批評道」であり、批評を通して無私を得る道でもあったのだ。

 この道を芭蕉は「造化」と呼び、日本人は「自然」=じねんとも呼んできたのである。

 

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小林秀雄のベルクソン論3・・「感想」中断の真相

 岡潔との対談で小林はベルクソン論の『感想』中断について次のように言っている。

「書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません」

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   この「無学」というところが、その『感想』の後半で論じた相対性理論や量子力学のことを指しているのか、また広く一般に当時の現代科学のことを意味しているのか、今となっては分からない。

ただベルクソンの物質理論はむしろ量子力学によって正当化されたなどと小林が指摘しているのを読むと、小林の物理学の研究ぶりは半端なものでなかったことは確かだ。


   この小林と物理学の関係は
山崎行太郎の『小林秀雄とベルクソン』(彩流社・1991年刊)に詳しく書かれている。


 注目したいのはむしろ
「力尽きて、やめてしまった」という部分だ。

  実際、小林は郡司勝義の『小林秀雄の思い出』(文藝春秋・1993年刊)によると、このベルクソン論を続けるにあたった極度の精神集中から体の方もぎりぎりの状態になっていたという。

「(小林は)仕事を追いつめて、問題をとことんまで追いつめていくと、必ず胃に激痛が生じたり、高熱を発したりして、仕事が中絶といった事になるんです。それが、何時ともわからず突然に襲ってくるんですよ。一回きりで纏められる時はそうでもないんですが、連載をし始めるとひどい」という、小林茂の言葉からもそのことは伺える。


    小林自身も「僕みたいに考えつめて行くような仕事をせずに、物を調べるような仕事をしていれば、こんなことにならなくても済んだんだろうね」と、後年よく語っていたという。

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   そして『感想』を五十六回目で力つきて中断してしまった小林は当時のソビエトに安岡章太郎たちと旅立つ。昭和三十八年六月のこと。


    郡司氏はこの小林の旅行が、ベルクソンが『物質と記憶』の執筆に疲れ、何週間かアンティープ岬に休暇をとった故知にならったものだったと指摘している。


    ちなみにベルクソンは弟子のジャック・シュバリエに

「『物質と記憶』には非常な労力を必要とした。膨大な研究と読書を中におりこまねばならなかったからだ。

一九八九年に書き終えたとき、非常な疲れを覚えた。不眠症が続き、注意力を失った。

徹底的な方法を選び、休暇を願い出、一人で何週間をアンティープ岬で過ごし、注意力の再教育を自分に強制した。

対象を注視し、描写することに努めたのだ」

Bergson

 と話していたそうである。


   さて小林秀雄の『感想』中断についてだが、確かにベルクソンに関する論述はそこで止めてしまうのだが、その後も小林はりっぱにベルクソンを研究し続け、その思索を深めていったというのが真相ではないだろうか。

 だから「やはり西洋の哲学者よりも日本の本居宣長の方が小林には良かったのだ」といった見方には賛成しかねる。

 むしろ小林のライフワークとなった『本居宣長』には、「これはベルクソンそのものではないか」という箇所が随所に出てくる。


    従って本居宣長を通してベルクソンの思想に対する理解も深めていたのではないか、というのが、今考えていることである。

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小林秀雄のベルクソン論2・・「哲学は一つのシステムでたりる」

 小林秀雄は「私の人生観」という戦後間もなく行った名講演で「哲学は一つのシステムでたりるのではないか」と提案している。

 これは、21世紀、惑星的な知性の出現と真の叡知にあふれた哲学を構築していくにあたって、多くの示唆を与えてくれているのではないだろうか。

 この小林の提案は「知覚の拡大」に伴う「実在」中心主義と呼んでもいいし、イブン・アラビーの「存在一性論」とも相通じるものがある。

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 小林秀雄が言うように「全実在は疑いもなく私達の直接経験の世界に与えられている」(「私の人生観」参照)。

「私たちの命は、実在の真っ只中にあって生きている」のだが、そのような「豊富な直接経験の世界に堪える為には、格別な努力が必要」である。

 何故なら、普通私たちは、日常生活の要求に応じて、便宜上、この経験を極度に制限する必要があるからだ。つまり、「見たくないものは見ないし、感じる必要のないものは感じやしない」。 

 つまり、可能的行為の図式が上手に出来上がるという事が、知覚が明瞭化するという事である。

こういう図式の制限から解放されようと、
ひたすら見る為に見ようと努める画家が、何か驚くべきものを見るとしても不思議はあるまい。

彼の努力は、全実在が与えられている本源の経験の回復にあるので、そこで解放される知覚が、常識から判断すれば、一見夢幻の様な姿をとるのも致し方がない。

ベルグソンは、そういう考えから、拡大された知覚は、知覚と呼ぶより寧ろVISIONと呼ぶべきものだと言うのです。


・・小林秀雄「私の人生観」

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 小林が言うように、私たち一人ひとりには「全実在」がそれぞれ与えられている。

 ところが、この「本源の経験」なるものが日常生活の便宜性にかまけて、通常は極めて矮小化され、静止化されて体験されている。

 この矮小化という網を一度、捨てて虚心に「実在」に向かうとき、私たちは思わぬ光景を目撃することができる。

 画家は、小林が言うように「見る」という全身心を賭した行為を通して「実在」に到ろうとするのだ。

 従って、優れた芸術家たちは、ベルクソンが哲学者達に望んだように、「唯一の美のシステムの完成に真に協力している」ことになる。

 そのめいめいがその個性を尽くして同じ目的を貫いており、「梅原という画家のVISIONと安井という画家のVISIONは、全く異なるのであるが、互に抵触するという様な事は決してなく、同じ実在を目指す。かような画家のVISIONの力は、見る者に働きかけて、そこに人の和を実際に創り出すのである」。

 ちなみにジャコメッティという画家は森林に入ったとき、木々の方から見られているという不思議な感覚に襲われ、その感覚から脱っするために絵を描いていたという。

 つまり自分という主体から木々という対象に向かうのではなく、木々という「実在」から呼びかけるモノがあるというのだ。

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 このような「実在体験」をマズローは「至高体験」とも呼び、マルセルは「現存」とも呼称したが、芸術家だけでなく、私たちにも「全実在」は平等に与えられているのだから、その実相に推参することはできるはずなのだ。

 小林秀雄があれだけサクラに入れ込んだのも、サクラそのもの=「実在」に魅入られた体験があったからに違いない。

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 誰にも「全実在」は与えられている・・

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