カテゴリー「太陽主義」の29件の記事

マイナスをプラスにする魔法・・マイナスが大きいほどプラスも大きい

 アラン・コーエンによると、「すべてのマイナスは、プラスの半分」であり、マイナス(-)に縦線(|)を加えると、プラス(+)になる。

ですから一見マイナスと思える出来事も、そこから得た気づきが加わると、プラスに働きます。

マイナスは、縦線、つまり気づきへと至る垂直の動きを待っているのです。

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        アラン・コーエン

 このアランの言葉は、「大震災のメッセージ」と題した本の中で出てくるもので、彼は「日本人を元気づけ、癒したい。そう思いながら、震災直後の東京でこの本を書きました」という。

 アランが言うように、すべてのマイナスと見える出来事は、「縦線、つまり気づきへと至る垂直の動きを待っている」のである。

 換言すると、マイナスが大きいほど、気づきもプラスも大きくなる。

 東日本大震災という大きなマイナスも「大きな気づき」を招請しているとも云える。

 実は宝物は自分の目の前にあるのだ。

 常に当たりは目の前にある。

 これを「当たり前」とも言う。

 しかし、人は目の前にある「当たり」には目もくれずに、いつも未来のある地点や他の場所に宝物を探してきた。

 このシリーズでは、目の前にあるマイナスをもプラスにする魔法について紹介している。

マイナスをプラスにする魔法3・・生き方を変えるチャンス

マイナスをプラスにする魔法4・・他の視点を得る

マイナスをプラスにする魔法5・・「リフレーミング」

  • マイナスをプラスにする魔法6・・身口意を変える 

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  •          フランクフルトの空・・

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  • 大震災のメッセージ 心の傷を癒し、日本人の役割に目覚めるヒント Book 大震災のメッセージ 心の傷を癒し、日本人の役割に目覚めるヒント

    著者:アラン・コーエン,Alan Cohen
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    一瞬にして人生を変える「魔法の呪文」

      ジェームス・スキナーが言うように、私たちの世界が丁度、丸い鏡のようなものだとしたら、自分の物の見方、言葉、行動が一ミリだけでも変われば、その反映としての世界も自ずと変わるはずである。

     例えば、書家の武田双雲さんの紹介する「魔法の呪文」には一瞬で世界を変える力がある。

     ダカラコソデキルーー。

     この言葉をつけるだけで、どんなことも希望になっていきます。

     「オレ太っているんだよ。ダカラコソデキルコト

     「すごい不景気だ。ダカラコソデキルコト
     
     「年取っているからカラコソデキルコト」・・『上機嫌のすすめ』

     武田さんによると、この言葉には、今までできないことの理由にしていたものを、できる根拠にする180度変える力があるという。

     つまり、この呪文はマイナス評価だったものをプラス評価に変えてしまう“魔法”だというわけである。

     確かに今まで自分がマイナスと思っていることにこの呪文を加えるだけで、一瞬にしてその出来事がプラスに変わる。 

     今、失意のドン底にいる方も、この太陽のような明るい呪文を唱えれば、その“ドン底コソ”が立ち上がるための地盤であり、成功するための好機であることを発見されるに違いない。

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     ・・イマ ダカラコソ デキルコト・・

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    マイナスが大きいほどプラスも大きい・・アラン・コーエンの啓示

    アラン・コーエンによると、「すべてのマイナスは、プラスの半分」であり、マイナス(-)に縦線(|)を加えると、プラス(+)になる。

    ですから一見マイナスと思える出来事も、そこから得た気づきが加わると、プラスに働きます。

    マイナスは、縦線、つまり気づきへと至る垂直の動きを待っているのです。

    Images

     このアランの言葉は、「大震災のメッセージ」と題した本の中で出てくるもので、彼は「日本人を元気づけ、癒したい。そう思いながら、震災直後の東京でこの本を書きました」という。

     アランが言うように、すべてのマイナスと見える出来事は、「縦線、つまり気づきへと至る垂直の動きを待っている」のである。

     換言すると、マイナスが大きいほど、気づきもプラスも大きくなる。

     東日本大震災という大きなマイナスも「大きな気づき」を招請しているとも云える。

     実は宝物は自分の目の前にあるのだ。

     常に当たりは目の前にある。

     これを「当たり前」とも言う。

     しかし、人は目の前にある「当たり」には目もくれずに、いつも未来のある地点や他の場所に宝物を探してきた。

     このシリーズでは、目の前にあるマイナスをもプラスにする魔法について紹介している。

    マイナスをプラスにする魔法3・・生き方を変えるチャンス

    マイナスをプラスにする魔法4・・他の視点を得る

    マイナスをプラスにする魔法5・・「リフレーミング」

  • マイナスをプラスにする魔法6・・身口意を変える

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  •          フランクフルトの空・・

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    私は太陽の使い、ありがとう・・2

     弘法大師・空海は「十住心論」で心の発達段階を十に分けて論じている。

     すなわち「第一住心 異生羝羊心 ( いしょうていようしん )」という幼稚な心の段階から「第十住心 秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)」という究極の悟りの心までが体系的に説かれている。

     面白いのは、「十住心論」というタイトルである。

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     すなわち心の発達段階に従って、その住む世界が違うということである。

     たとえていうならば、十階建てマンションがあって、その住む階によって、見える光景が違うようなものである。

     換言するならば、今私達の見ている世界は、自分の心の住む場所、境遇に従って見えている世界であって、心のチューニングを変えてより高い境遇に住むことができることができれば、たちまち自分の周囲の環境が変わることになる。

     このチューニングの方法を様々な宗教は考案してきたわけだが、今自分の住んでいる境遇を分析することにより、自分の心の発達段階に気づくことができるはずである。

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     さて、私たちのこの心の住む場所を雲の下の地球上から見るのではなく、太陽そのものから見ようというのが「太陽主義」である。

     いつも太陽の光の中で、全ての人々、物、事を見るとき、それぞれがそのままで光輝いていることが見えてくる。

     その意味では、みんなは大日如来という法身の子供、「小法身」(弁栄聖者)であり、太陽の子供たち、太陽のお使いなのだ。

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              太陽の子供たち・・

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    私は太陽の使い、ありがとう・・1

     私たちの本当の姿は「いのち」です。

     

     心や体はその「いのち」の喜びを顕す大切な道具なのです。

     

     

     

     例えて言うと、「いのち」は太陽なのです。 

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     どんなに空たる心が曇っていても、体に暗雲がたれこめていても、

     

     

     

     その彼方はるかにある 

     

     

     

     「いのち」たる太陽はいつも光り輝いています。

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     だから、この「いのち」を宿した人を、日本人は「霊止」とも、

     

     

     

     「日子」「日女」ともよんできたのです。

     

     

     

     

     

     

     そして「ありがとう」と言うと、

     

     

     

     

     

     「いのち」たる内なる太陽が輝くのです。

     

     ここで金子みすずの太陽に関する詩を紹介しましょう。

     この詩にあるように、私たちも「おてんと様のお使い」の一人なのかもしれません。

     彼女の詩は、今も私たちの心を太陽のように温め続けています。

         日の光

     おてんと様のお使いが
       そろって空をたちました。
       みちで出会ったみなみ風、
       (何しに、どこへ。)とききました。

       ひとりは答えていいました。
       (この「明るさ」を地にまくの、
       みんながお仕事できるよう。)

       ひとりはさもさもうれしそう。
       (わたしはお花をさかせるの、
       世界をたのしくするために。)

       ひとりはやさしく、おとなしく、
       (わたしはきよいたましいの、
       のぼるそり橋かけるのよ。)

       のこったひとりはさみしそう。
       (わたしは「かげ」をつくるため、
       やっぱり一しょにまいります。)

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    私たちはみんな光り輝く仏陀・・「自分の価値」に目覚める力

     ハワイの光明思想家、アラン・コーエンの言葉からは、ハワイの太陽のように、いつも沢山の勇気と気づきをもらっている。

     それこそアランの言葉には「自分の価値」に目覚める力があるように思う。

     死ぬまで幸せになるのを待つ必要はありません。
     いま、ここで幸せになってください。
     考え方を変えるだけで、それは可能なのです。

     ・・アラン・コーエン(『致知』「自分の価値に気づきなさい」より)

     アランが言うように「いま、ここ」にある価値、自分の中にある価値に気づくということが幸福になる早道なのである。

     そしてアランは「自分の価値」に気づくために、次のような「黄金の仏陀」の話を紹介する。

    ・・遠い昔、ある寺院に黄金の仏陀像がありました。

    ある時、他国の兵士たちが町を攻めに来るという噂が伝わってきました。

    きっと黄金の仏陀像は収奪されるに違いない。

    そこで僧侶達は、セメントで仏陀像の周りを塗り固め、黄金が見えないようにしました。やがて兵士たちがやってきましたが、ただの石像だと思って誰も興味を示しませんでした。

    ・・それから長い歳月がたち、寺院の中にもその仏陀像が黄金でできていることを知る人はいなくなりました。

    ある日、寺院の若い僧侶が仏陀像のそばに腰を下ろすと、セメントが剥げて、何かキラキラしたものが見えました。

    不思議に思ってそのセメントを剥がしていくと、中から黄金の仏陀が現れたのです。

    ・・
    長い間、ただの石像だと思い込んでいたものは、実は光り輝く黄金の仏陀だったのです。

     このアランが紹介する仏陀像の話は、大切なことを教えてくれている。アランは言う。

     私たちは、本当は光り輝く黄金のような存在なのです。

    しかし、知らず知らずのうちにその価値を見失い、輝きを失ってしまっていたのです。

     何か大きな問題を乗り越えることで塗り固めていたセメントが剥げ落ち、本当は黄金であったことに気づくことがあります。

    そのきっかけとなるのは、離婚かもしれないし、意地悪な上司、あるいは健康上の問題かもしれません。

     アランの言うように、私たちは本当は光り輝く黄金のような存在なのだ。

     本当はあの太陽のようにそこにいるだけで、周囲に慰みと喜びを与えている・・。

     ただ、その一番大切な「自分の価値」に気づかなかっただけなのである。

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    私たちは、本当は光り輝く
    黄金のような存在なのです。・・アラン・コーエン

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    万事好都合になる道・・

     アラン・コーエンをはじめとする欧米のスピチュリアストが口々に言うのは、起きていること、起きたことには本来、プラスもマイナスもないということだ。

     私たちが眼にする現象は、映像みたいなものであり、影であるから、本来実在しないものである。

     この影にプラスもマイナスもあるはずがない。

     私たちの幸・不幸も畢竟、出来事の中にあるのではなく、その解釈の中にある。

     例えば、アランがよく使う話に次のものがある。

     ある熱帯地方に住む王様は、途轍もなく楽観的な家来を持っていた。

     その家来は、何が起きても「それは祝福でございます」というのだった。

     家来を連れて旅に出た王様はある日の朝食のとき、ココナッツをナタで割っているときに、間違ってそのナタを自分の足に落として、その指を切り落としてしまった。

     すると、すかさずその家来が「王様、これは祝福でございます」と笑顔で祝福してくるではないか。

     王様はさすがにこの家来は自分を馬鹿にしていると思い、その近くの井戸に家来を落として置き去りにして旅を続けた。

     その後、王様は不運にも人食い人種に捕まってしまった。

     そして今まさに火山の神のために生け贄にされそうになったときに、そこの司祭が王様の足指がないことに気づいた。

     この王様は聖なる生け贄には値しないと言うことで、解放されることになったのだ。

     王様はこのとき、初めて、あの家来の言った意味が分かり始めた。

     すぐにあの放り投げた井戸に言って上から覗いてみると、その家来は笑顔で幸福そうにしているではないか。

     王様が詫びると、その家来はこう言った。

    「王様、もし私があれから一緒にお供していたら、今ごろ生け贄にされていますよ。

    ですから、井戸に閉じこめられたことも祝福だったのです」

     この家来のすごい点はどんなマイナスもプラスにする口癖を持っていたところだ。

     「それは祝福でございます」・・

     起こる現象は本来、中立的なものなのだから、私たちがそこに言葉である意味を与えるとき、その与えた通りのものになっていく。

     まさに私達、サムシンググレートの子供は、自分で与えたものを受け取っているのであり、「人生の答えはいつも私の中にある」(アラン・コーエン)のである。

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    私たちは光り輝く仏陀・・「これでいいのだ」

     もう大部前の話になるが、赤塚不二雄の葬儀におけるタモリの弔辞には驚いた。

     何でも白紙で彼は弔辞を読んだとの噂もあるそうだ。

     それはともかく、弔辞から伺える赤塚さんの眼力とその生き方には、改めて感動した。

     まだ無名のタモリの天才に気づいた「眼力」とそれを世に出したところの「無償の愛」。

     何より私の心を動かしたのは次の一節だった。

     あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。

    それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。

    この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。

    すなわち『これでいいのだ』と。

     ・・平成20年8月7日、森田一義

     どんな出来事も「これでいいのだ」と一度、肯定できれば善き事に変わるのではないだろうか。

     なぜなら、どんなに悲惨に思える出来事も、その背後には「神の栄光」が隠れているからだ。その裂け目からその光が現れようとしているからだ。

      前に紹介した「黄金の仏陀像」の話を思い出そう。

     一見不都合に思える出来事とは、「黄金の仏陀像」を隠していたコンクリートが剥がれている現象に過ぎない。

     その悲惨な現象の自壊のプロセスを通して「黄金の仏陀像」という本物が現れようとしているのだ。

     私も赤塚さんに倣って云おう。

    これでいいのだ。

    全てはうまくいっている。

    全ては魂が生長するための糧である、と。

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    私たちは光り輝く仏陀・・自分の価値に気づく

     ハワイの光明思想家、アラン・コーエンの言葉からは、ハワイの太陽のように、いつも沢山の勇気と気づきをもらっている。

     それこそアランの言葉には「自分の価値」に目覚める力があるように思う。

     死ぬまで幸せになるのを待つ必要はありません。
     いま、ここで幸せになってください。
     考え方を変えるだけで、それは可能なのです。

     ・・アラン・コーエン(『致知』「自分の価値に気づきなさい」より)

     アランが言うように「いま、ここ」にある価値、自分の中にある価値に気づくということが幸福になる早道なのである。

     そしてアランは「自分の価値」に気づくために、次のような「黄金の仏陀」の話を紹介する。

    ・・遠い昔、ある寺院に黄金の仏陀像がありました。

    ある時、他国の兵士たちが町を攻めに来るという噂が伝わってきました。

    きっと黄金の仏陀像は収奪されるに違いない。

    そこで僧侶達は、セメントで仏陀像の周りを塗り固め、黄金が見えないようにしました。やがて兵士たちがやってきましたが、ただの石像だと思って誰も興味を示しませんでした。

    ・・それから長い歳月がたち、寺院の中にもその仏陀像が黄金でできていることを知る人はいなくなりました。

    ある日、寺院の若い僧侶が仏陀像のそばに腰を下ろすと、セメントが剥げて、何かキラキラしたものが見えました。

    不思議に思ってそのセメントを剥がしていくと、中から黄金の仏陀が現れたのです。

    ・・
    長い間、ただの石像だと思い込んでいたものは、実は光り輝く黄金の仏陀だったのです。

     このアランが紹介する仏陀像の話は、大切なことを教えてくれている。アランは言う。

     私たちは、本当は光り輝く黄金のような存在なのです。しかし、知らず知らずのうちにその価値を見失い、輝きを失ってしまっていたのです。

     何か大きな問題を乗り越えることで塗り固めていたセメントが剥げ落ち、本当は黄金であったことに気づくことがあります。

    そのきっかけとなるのは、離婚かもしれないし、意地悪な上司、あるいは健康上の問題かもしれません。

     アランの言うように、私たちは本当は光り輝く黄金のような存在なのだ。

     本当はあの太陽のようにそこにいるだけで、周囲に慰みと喜びを与えている・・。

     ただ、その一番大切な「自分の価値」に気づかなかっただけなのである。

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    私たちは、本当は光り輝く
    黄金のような存在なのです。・・アラン・コーエン
    (熱海の海にて)

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    7万回のアクセスに感謝をこめて

     21世紀初頭の荒海を如何に超えたらいいのか。

     7万ヒットの御礼として、「絶対力の時代」という電子パンフをお贈りいたします。

     「自力」「他力」を超えた力、すなわち「絶対力」という不思議な船に乗り始めるとき、私たちは計らわずして「幸福な島」に到達することができるのではないでしょうか。

     ちなみに今年は不思議なことに伊勢神宮と出雲大社の御遷宮が重なっております。

     まさに自他を超えた「宇宙的な力」に目覚めて、回帰する年廻りなのでしょう。

     読者の家族の皆様の参考になれば幸いです。

     本年も宜しくお願い申し上げます。

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          絶対力の時代・・

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