東日本大震災で甚大な被害を受けた東北3県を見舞う天皇、皇后両陛下の「癒やしと慰霊の旅」は4月27日、宮城県から始まったが、テレビでそのご様子を紹介しているアナウンサーもコメンテーターも同行した記者たちも目頭を押さえて泣いていたことをよく覚えている。
気づくと私の体の中にも熱いものが込み上げてきた。
被害の大きかった南三陸町を慰問された両陛下は、約200人が避難生活を送る町立歌津中学校体育館を訪問され、被災者とひざをつき合わせ、一人一人に声をかけて慰め、お励ましになった。
南三陸町の佐藤仁町長は「被災者の皆さんの笑顔を初めて見た」と語っていたが、両陛下の行かれるところ、静かではあるが、確固とした希望の光が灯っていくようであった。
これは目には見えない「徳の力」のしからしめるところであろう。
精神科医によると、家族を失うなどの呆然自失している被災した人々や子供たちには、1.受容 2.共感 3.保障というステップを踏んで接する必要があるという。
両陛下のお見舞いは、避難所の床にひざをつき被災者と直接に向き合って一人ひとりの心に向き合いながら、励ましの言葉をかけていかれており、まさにこの三つのステップを見事に踏まれている。 これは両陛下にしかできない「心の癒し」ではないだろうか。
被災者の方からすれば、これほどありがたい「共感」「保障」はないであろう。
「私たちは決して一人ではなかった・・ここまで両陛下がまるで親のように考えてお心を砕いてくださっている・・」と。
両陛下はその後、自衛隊ヘリで仙台市に向かい、約270人の被災者が身を寄せる宮城野体育館をご訪問。
ここで長く語り伝えられることになるであろう出来事が起こった。
津波で自宅が全壊した主婦、佐藤美紀子さん(64)が、自宅跡の庭から摘んできた黄色い水仙を皇后さまに見せ、「この水仙のように力強く生きます」と話したのだ。
皇后さまは「ちょうだいできますか」と受け取り、「頑張ってくださいね」と励まされたという。
震災後、津波にも負けず、芽を出した水仙を
手にされる皇后さま。 【時事通信社】
水仙と云えば平成5年、阪神淡路大震災直後の1月31日に、両陛下はまだ煙のくすぶる中、被災地を訪問され、皇后さまは多くの死者を出した焼け跡(神戸市長田区の菅原市場)にそっと黄色と白の水仙の花束を手向けられた。
皇后さまは、皇居から摘んでこられた17本の水仙を自ら束ねて手向けられたのだった。
この多くの人々の心を癒した水仙が、今度は被災者の方から皇后さまに届けられたのだ。
自衛隊機で東京に戻られた両陛下だったが、タラップを降りられる皇后さまの手には、黄色い水仙の花束が確かに握られていた。聞くところによると、皇后さまはこの水仙を皇居に活けられて、じっと愛でておられるという。
まさにこの津波にも負けなかった水仙は「幸福な黄色の水仙」として、東北の復興のシンボルとして語り継がれることになるであろう。
ちなみに両陛下が平成17年1月、「阪神淡路大震災10周年の集い」を機に、三度目の被災地お見舞いをされた時には、両陛下のお車がお通りになる沿道では、あの黄色の水仙を手にして高く掲げ、歓迎する人たちが沢山いたという。
この時の光景がよほど皇后さまには印象深く残られたのであろう、翌年の歌会始(御題「笑み」)では次の御歌を発表された。
笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ
菅原市場に手向けられた
皇后さまの黄色の水仙
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