「至高体験」への道2・・アントニオ猪木の場合
失意のどん底にいるとき・・それは「至高体験」に至る絶好のチャンスである。
あれはもう20年以上も前のことであろうか。
プロレス雑誌を読んでいるとき、アントニオ猪木の言葉に私の目は釘付けになった。
「・・こだわりを捨てたとき、途方もない世界が見えてくる。巌流島に向かう船の中、涙があふれ出て、止まらなかった・・」
猪木が巌流島でマサ斎藤と観客なしで闘ったことは今では伝説になりつつあるが、実はあのとき、猪木は倍賞美津子夫人との不和や借金等で悩むとともに体調もカゼから高熱に悩まされていたという。
猪木という男はいつも逆境にあるときにあえて途方もない試練に立ち向かうことによって、立ち直ろうとする。
猪木は事前に遺書を書くなど、文字通り命がけのかけに出ていたのだ。
それは闘うことによってこれまでの過去を捨て、新しく生まれ変わることを彼は密かに期していたのではないか。
当時の写真を記憶で想起してみると、武蔵を模して巌流島に舟で向かう猪木はスッポリと大きなタオルを頭から被り、瞑想しているかのようだ。
浪の音や潮風に吹かれながら、猪木の魂の中である変化が起きていたのではないだろうか。
憎しみ、恨み、哀しみなどの感情が涙とともに剥落し、新しい自分が生まれることを彼は予感していたに違いない。
どん底のその底も打ち破ったとき、途方もない光り輝く世界、すなわち“至高の世界”が見えてくるのである。
ちなみに彼の詩集『馬鹿になれ』に収められた同じタイトルの詩には、とことん馬鹿になって、とことん恥をかいて裸になったら、「本当の自分が見えてくる」という意味深い内容が記されている。
どん底の底もとると、
途方もない世界が見えてくる
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