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空海と井筒俊彦の邂逅・・大日如来へのパラダイムシフト

 若松英輔さんの『井筒俊彦--叡知の哲学』(385頁)によると、井筒俊彦と空海の邂逅は、「意識と本質」の執筆から、そう遠くない時期だと想われるし、「それは執筆中の出来事だったかもしれない」という。

出会ったときにはすでに、時は熟していたのだろう。

井筒は自身の思想的淵源を確認するように、空海を読んだのではなかったか。

かつてイブン・アラビーや荘子によって開かれた形而上学的地平を、千年以上も前に、思想的に構造化している日本人がいる事実を知った井筒の驚きは、想像に余りある。

「存在はコトバである」という一節を彼が口にしたのも、空海とコトバを論じた講演「言語哲学としての真言」においてだった。

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 この衝撃の出会いを通して、見えてきた世界とは、「意識と存在のゼロ・ポイント」であり、この宇宙が開闢してくるそのまさに根源に大日如来の説法、つまり「コトバ」=「阿字真言」が実在していたことであった

 「言語哲学としての真言」からいくつか引用してみよう。

「ア音」は大日如来の口から出る最初の声。

そしてこの最初の声とともに、意識が生まれ、全存在が現出し始める。

・・永遠に、不断に、大日如来はコトバを語る、そのコトバは真言。

真言は全宇宙を舞台として繰りひろげられる壮大な根源語のドラマ。

そして、それがそのまま存在世界現出のドラマでもある。

真言の哲学的世界像がそこに成立する。

・・阿字が梵語アルファベットの第一字であるということが、それ自体ですでに絶対的始源性の象徴的表示ではあるが、そればかりでなく、「人が口を開いて呼ぶ時に、必ずそこに阿の声がある」と言われているように、ア音はすべての発声の始め、すべてのコトバの開始点、一切のコトバ的現象に内在する声の本体である。

ただ、ここで特に注意しなければならないのは、人が「口を開いて呼ぶ」際のア音発生の構造的瞬間には、ア音はまだ何ら特定の意味をもってはいないということ、言葉を換えて言えば、まだ特定のシニフィエと結ばれていない純粋シニフィアンだ、ということである。

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 「大日如来」自身が「ア」音を自分の耳で聞き、そこに意識が起こり、存在者が現成するというわけである。

 そして実は「大日如来」の分身たる私たちも、自分たちの声を聞いて、認識し、自分の宇宙を刻一刻と創造しているのではないか。

 空海の神秘思想においては、法身たる「大日如来」の三密、つまり身・口・意とその分身たる私達衆生の三密がピタッと一つになったときに、悟り・・つまり「即身成仏」が成就することになる。

 たとえで云うと、「大日如来」の奏でる宇宙交響楽に私達も参加してそれぞれの楽器を奏でだすとき、私たちは肉体と云う境を超えて、全宇宙を舞台とする「ホトケ」に変身することができるのだ。

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日本思想史上に屹立する弘法大師空海

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