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小林秀雄のベルクソン論3・・「感想」中断の真相

 岡潔との対談で小林はベルクソン論の『感想』中断について次のように言っている。

「書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません」

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   この「無学」というところが、その『感想』の後半で論じた相対性理論や量子力学のことを指しているのか、また広く一般に当時の現代科学のことを意味しているのか、今となっては分からない。

ただベルクソンの物質理論はむしろ量子力学によって正当化されたなどと小林が指摘しているのを読むと、小林の物理学の研究ぶりは半端なものでなかったことは確かだ。


   この小林と物理学の関係は
山崎行太郎の『小林秀雄とベルクソン』(彩流社・1991年刊)に詳しく書かれている。


 注目したいのはむしろ
「力尽きて、やめてしまった」という部分だ。

  実際、小林は郡司勝義の『小林秀雄の思い出』(文藝春秋・1993年刊)によると、このベルクソン論を続けるにあたった極度の精神集中から体の方もぎりぎりの状態になっていたという。

「(小林は)仕事を追いつめて、問題をとことんまで追いつめていくと、必ず胃に激痛が生じたり、高熱を発したりして、仕事が中絶といった事になるんです。それが、何時ともわからず突然に襲ってくるんですよ。一回きりで纏められる時はそうでもないんですが、連載をし始めるとひどい」という、小林茂の言葉からもそのことは伺える。


    小林自身も「僕みたいに考えつめて行くような仕事をせずに、物を調べるような仕事をしていれば、こんなことにならなくても済んだんだろうね」と、後年よく語っていたという。

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   そして『感想』を五十六回目で力つきて中断してしまった小林は当時のソビエトに安岡章太郎たちと旅立つ。昭和三十八年六月のこと。


    郡司氏はこの小林の旅行が、ベルクソンが『物質と記憶』の執筆に疲れ、何週間かアンティープ岬に休暇をとった故知にならったものだったと指摘している。


    ちなみにベルクソンは弟子のジャック・シュバリエに

「『物質と記憶』には非常な労力を必要とした。膨大な研究と読書を中におりこまねばならなかったからだ。

一九八九年に書き終えたとき、非常な疲れを覚えた。不眠症が続き、注意力を失った。

徹底的な方法を選び、休暇を願い出、一人で何週間をアンティープ岬で過ごし、注意力の再教育を自分に強制した。

対象を注視し、描写することに努めたのだ」

Bergson

 と話していたそうである。


   さて小林秀雄の『感想』中断についてだが、確かにベルクソンに関する論述はそこで止めてしまうのだが、その後も小林はりっぱにベルクソンを研究し続け、その思索を深めていったというのが真相ではないだろうか。

 だから「やはり西洋の哲学者よりも日本の本居宣長の方が小林には良かったのだ」といった見方には賛成しかねる。

 むしろ小林のライフワークとなった『本居宣長』には、「これはベルクソンそのものではないか」という箇所が随所に出てくる。


    従って本居宣長を通してベルクソンの思想に対する理解も深めていたのではないか、というのが、今考えていることである。

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