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ベルクソンと「大いなる存在」

 ベルクソンが検証したことの一つは、地球の人々の通常の知覚や知性は、あくまで生活の便宜のためであり、「大いなる存在」(実在)を把握するための道具ではないということであった。

 人類の知覚や知性は、これまでの生命の進化史の上で優先してきた「感覚ー運動系」の影響を色濃く受けている。

Bergson


 詳しくは拙著『ベルクソン・ルネッサンス』を参照して頂きたいが、私たちの知覚や知性は創造的ではなく、むしろ行動の便宜上、「大いなる存在」に「分離」「閉鎖化」「対照」「分節化」などの網をかぶせて、除去作用的に働く。

 この網をはぎとって「大いなる存在」の真の光景を表現するのが芸術家であり、存在論的に語るのが哲学者なのである。

 つまり、真の哲学者は現象を語るのではなく、「大いなる存在」を語る言葉を使わなければならないのだ。

 ベルクソンの言葉が今も宝石のように輝いているのは、彼の言葉が「大いなる存在」=実在について語っているからに他ならない。

 このわれわれの知覚と知性そのものに潜むマーヤー(迷い)的なるものを、明らかにすることは、二十一世紀の新しい形而上学を創造していく上でとても大切なことだと思う。

換言するならば、約四十億年という途方もない時間をかけて培ってきた「生命の自動認識装置」をより次元の高いものに昇華する必要があるのである。

中沢新一の言うように、「『存在』を語る言葉は、価値づけを与えたり、計量化したり、分析によって仕分けたり、ひとつの意味に固定したりする、ロゴスの働きから、自由でなければならないのだ」。・・
『ベルクソン・ルネッサンス』から

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    ハイデルベルクで「大いなる存在」について考える 

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