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ベルクソンVSアインシュタイン・・時間論を巡って

 20世紀の生んだ知の巨人、ベルクソンとアインシュタインはどのように交わり、そして意見を交わしたのか。

 これは、小林秀雄がその未完のベルクソン論「感想」で扱った一大テーマでもありますが、下記の小論「ベルクソンVSアインシュタイン」でもその一端に迫っています。

 注目すべきは、アインシュタインの日記にあるベルクソンに関する感想であり、またベルクソンのアインシュタイン流の時間論に対する言及です。

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 その触りを紹介すると、二人の決定的な差異はその「時間論」にありました。

 ベルクソンアインシュタイン流の時間に対して、それは結局のところ、「紙上の上に存するにすぎない」とも言っています。

 そして生きた時間を取り戻すためには「持続の中に復帰して、実在をその本質である動きにおいてとらえ直さなければならない」(『思想と動くもの』)というのです。

 ベルクソンは「時間と自由」という初期の論文の中で、次のように説いています。

科学は、時間と運動からまずその本質的で質的な要素をーーつまり時間から持続を、そして運動からは運動性をーー除き去るという条件なしにはそれら(運動体)を処理できないのである。

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 ベルクソンのやろうとしたことは、この除去された持続と運動性の回復にあったと云ってもいいと思います。

 もっというと、生命というのが先にあって、その純粋持続から等質的な空間や物理的な時間が生まれてきたのであって、あくまでも「生命」がこそがこの世界の主役であるということを彼は強調したかったのだと思います。

その意味からしても、彼の哲学はやはり「生命哲学」と呼んでいいのであります。

ちなみに前にも紹介した前田英樹氏の「ベルクソン哲学の遺言」の第3章「砂糖が溶ける時間」では、その時間論が実にうまく書かれています。・・

 
ベルクソンvsアインシュタイン

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 ハイデルベルクで「時間」について考える

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