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「意識と存在の構造モデル」8・・愛の媒介者となる

 先に井筒俊彦の「意識と存在の構造モデル」(三角形)を使うと、様々な神秘家や哲人たちの悟りに至る道を概観することができるようになる・・と書いたが、偉大な哲学者や神秘家たちに共通するのは、いわゆる「絶対無」としての三角形の頂点を極めると、自分自身の存在が劇的に変わるということである。

 パウロの前身たるサウロが、ダマスコの光の体験以来、回心して、「我もはや生きるにあらず、キリストここにありて生きるなり」との自覚に入ったように、彼らはマルセルの云う何者かの「媒介者」となるのである。

 

 ベルグソンの紹介した神秘家たちも尋常ならぬ、巨大なエランつまり生命の愛のエネルギーの「媒介者」他ならない。

 若松英輔さんも『神秘の夜の旅』で、越知保夫という詩人を通してこの「媒介者」に注目している。

 ダンテ、小林秀雄、マルセルは、それぞれ異なる時代と国と文化を背景に生きたが、彼らは、ここで越知保夫を「媒介」にして一堂に会している。

越知が指摘するように「媒介」は、マルセルにとって「重要な観念の一つ」である。

だが、「マルセル自身、何よりも先ず自分をそういう媒介であると考えている」とあるように、越知は「媒介」となることが批評の使命であると感じている。

さらに、人間の一義的な役割とは、自己を表現することではなく、何者かの「媒介者」となることだ、と彼は信じている。

・・『神秘の夜の旅』94~95頁

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 ちなみに小林秀雄の批評も、ある者の「媒介者」になることであり、何者かの「委託」に応えることではになかっただろうか。

 晩年の大作、『本居宣長』に挑戦していたころ、小林は常に愛用の勾玉を握りながら、執筆していたという。

 おそらく小林にとって勾玉は、古代の人々と時を超えた対話をする「媒介」であり、この「媒介」と親しむことによって、彼の前に古代の世界が生き生きと甦ってきたに違いない。

 「本居宣長」からそれを彷彿とさせる言葉を引用してみよう。

《恐らく、彼(宣長)にとって、(『古事記』の神々の)物語に耳を傾けるとは、この不思議な話に説得されて行く事を期待して、緊張するという事だったに違いない。

無私と沈黙との領した註釈の仕事のうちで、伝説という見知らぬ生き物と出会い、何時の間にか、相手と親しく言葉を交わすような間柄になっていた、それだけの事だったのである。

その語るところは、上代の人々の、神に関する経験的事実である、と言ってもよい。

しかし、その事実性は、伝説という一つの完結した世界から、直かな照明を受けていた。

いや、この自力で生きている世界の現実性なり価値なりが、創り出しているものだった、と言った方がいいかも知れない。

そういう事を、しかと納得した上でなければ、経験的事実などと言ってみたところで空言だろう。宣長は、それをよく知っていた。》

Kobayashishinjin

 

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