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「意識と存在の構造モデル」・・イスラム哲学の原像

 井筒俊彦が追求したテーマの一つが、イスラムの神秘家イブン・アラビーの言う神秘家かつ哲学者の道を極めることであった。

 すなわち宗教行などによって意識を変貌させて存在の根源に遡るとともに、その体験知に基づいた哲学を構築していった哲学者・神秘家たちの共通モデルを明らかにすること。

 その理想的モデルがイブン・アラビーなどのスーフィーたちであるとともに、東洋哲学の途轍もなく広い精神的鉱脈に実は一つの共通したパターンがあることを彼は明らかにしていった。

 詳しくは「イスラーム哲学の原像」という名著を参照いただきたいが、簡単に言うと、多くの哲人・神秘家に共通するのが、往相・還相の悟りへの道を歩むということである。

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 井筒はこの中で「意識と存在の構造モデル」と題して、単純な三角形の図を描いている。

 すなわち絶対無としての存在が三角形の頂点として上に置き、感覚的、知覚的事物が底辺として下にくることになる。

 つまり多くの哲人・神秘家たちは三角形の向かって左側の辺をひたすら登って、意識と存在のゼロ・ポイントを目指そうとする。

 そして遂に絶対無の頂点を極めた哲人たちは、今度は右側の辺をひたすら降りて今度はコトバで「無から有」を生み出そうとする。

 井筒俊彦は、この意識と存在の構造モデルについて、次のように明快に説いている。

 もちろんこの上昇過程と下降過程の段階は、意識の段階を表すと同時に、存在エネルギーの自己収斂と自己展開の道程をも表わします。

 

仏教的にいいますと、不覚から覚に入って、また覚から不覚に出ると申しますか。よく向上・向下などと申します。

 

向上門・却来門--つまり上に向かっていく道程と、そこから逆に引き返してくる道程--とも。

 

また掃蕩門・建立門などともいいます。

 

つまりきれいさっぱりいっさいを掃蕩し、無一物の境地に入ったうえで、改めて存在界をうち立てていくということです。

 

また、浄土真宗で往相・還相などと申します。

 

だいたいスーフィズムの上昇、下降にあたるとみてもまちがいなかろうと思います。

 

いずれの場合も日常的経験的意識から出発して、ついに意識のゼロ・ポイントに達し、そこからまた目覚めてしだいに経験的意識に戻ってくる。

 

それは神秘主義的意識の典型的な循環運動を意味するとともに、現象界という形で四方八方に広がっている存在のエネルギーがしだいに収斂して、存在的無に還帰しまして、それからまたしだいに末広がりの形で現象的事物に拡散していくという、存在の自己展開の運動を表わしております。

 

つまり意識と存在のピタリと一致した完全な二重構造であります。・・「イスラーム哲学の原像」

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 ハイデルベルクで「無の関門」を通る・・

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コメント

井筒俊彦の偉大さは、意識と存在の二重構造を明らかにしたところですね。ということは、私たちの意識の拡大次第で存在=世界は影のように変わる・・。

投稿: 無限 | 2015年5月 2日 (土) 10時58分

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