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「存在はコトバである」・・井筒俊彦の神秘哲学

 井筒俊彦の神秘哲学の中心にある「コトバ」の問題について見てみよう。

 若松英輔さんによると、「存在はコトバである」、この一節に井筒俊彦の哲学は収斂される・・という。

 

「存在」とは、事象が在ることではない。

ここでの「存在」は、イブン・アラビーが用いたように絶対的存在者の異名である。

「コトバ」とは言語学におけるラングやパロール、シニフィアンとシニフィエのテーゼにも収まらない。エクリチュールとも異なる。

「存在」が「存在者」を「創造」するとき、「存在」は「コトバ」として自己展開する。

コトバとは事象が存在することを喚起する力動的な実在、すなわち存在を喚起する「エネルギー体」に他ならない。

・・叡知も霊も「心真如」も、彼には「コトバ」の姿をもって現れた。

井筒俊彦の「コトバ」は、言語学の領域を包含しつつ超えていく。

バッハは音、ゴッホは「色」という「コトバ」を用いた。
曼荼羅を描いたユングには、イマージュ、あるいは元型が「コトバ」だった。

「コトバ」をめぐる論究の歴程を看過し、井筒をイスラーム学者としてのみ論じることは、哲学者井筒俊彦のもっとも重要な思索を見逃すことになる。

井筒にとってイスラームとは、「コトバ」へと続く精神的沃野だったのである。

『井筒俊彦--叡知の哲学』221~222頁

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  井筒の言う「意識と存在の構造モデル」であるところの三角形の山を登るためには、存在と意識を喚起するところの「エネルギー体」としての「コトバ」について極める必要があるのである。

 その点、井筒俊彦が真言密教の僧侶たちを前に行った講演「言語哲学としての真言」では、その起源が見事に語られている。

 この講演では「存在はコトバである」、という命題が取り上げられるとともに、西欧の言語学はもとより、イスラームの文字神秘主義などから真言密教を照射して、「真言」を新たな言語哲学としてを現代に甦らすことに成功している。

 空海の「五大に皆響あり、十界に言語を具す」という言葉に象徴されるように、真言密教では仏の世界から地獄のどん底まであらゆる存在世界はコトバを語っているとする。

 つまりすべてが大日如来の説法であり、これを「法身説法」という。

 特にこの大日如来のコトバの開始点が「阿字」であり、「人が口を開いて呼ぶ時に、必ずそこに阿の声がある」と言われている。

 井筒によると、異次元のコトバの極限状態においては、「シニフィエ、つまり意味が零度に近く希薄化し、それに反比例して、シニフィアン、つまり音の方が、異常な力、宇宙的に巨大な力となって現れてきます。これが、真言密教のコトバ構造におけるア音の原初的形態であります。すなわち、この極限的境位では、大日如来のコトバはアという一点、つまりただひとつの絶対シニフィアンなのであります」と云う。

 この絶対シニフィアンの発声とともに言葉が始まり、言葉が始まるまさにそのところに意識と存在の原点が置かれるのであります。

人がアと発声する、まだ特定の意味は全然考えていない。

しかし、自分の口から出たこのア音を聞くと同時に、そこに意識が起こり、それとともに存在性の広大無辺な可能的地平が拓けていくのであります。

ア声の発声を機として、自己分節の働きを起こした大日如来のコトバは、アからハに至る梵語アルファベットの発散するエクリチュール的なエネルギーの波に乗って、次第に自己分節を重ねていきます。

そして、それとともに、シニフィエに伴われたシニフィアンが数限りなく出現し、それらがあらゆる方向に拡散しつつ、至るところに響を喚び、名を喚び、物を生み、天地万物を生み出していきます。

「五大に響あり」と言われるように、それは地水火風空の五大悉くをあげての全宇宙的言語活動であり、「六塵悉く文字なり」というように、いわゆる外的世界、内的世界にわれわれが認識する一切の認識対象の悉くが、文字なのであります。

 こうして、全存在世界をコトバの世界とし、文字の世界、声と響の世界とする真言密教の世界観が成立します。

すなわち、イスラームの文字神秘主義や、ユダヤ教のカッバーラの場合と同じく、真言密教においても、存在世界は根源的にエクリチュール空間であり、そのエリクチュール空間は、声鳴り響く空間なのであります。

「読むと書くーー井筒俊彦エッセイ集」・・「言語哲学としての真言」

Isuram

 井筒にとってイスラームとは、「コトバ」へと
   続く精神的沃野だったのである・・若松さん
   (マレーシアのイスラム寺院にて)

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