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切実な経験は主観・客観を超えている・・小林秀雄

童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう。

・・小林秀雄「感想」から

 小林秀雄が終戦後の間もないころ、酔って一升瓶を抱えながら水道橋のプラットホームから転落した話は有名である。

 ちょうどコンクリートの塊りと鉄材の間にある一間ほどの石炭殻と雑草に覆われた間に落ちて、命拾いしたというのである。

 小林は「一升瓶は、墜落中、握っていて、コンクリートの塊りに触れたらしく、微塵になって、私はその破片をかぶっていた。私は、黒い石炭殻の上で、外灯で光っている硝子を見ていて、母親が助けてくれた事がはっきりした」と書いている。

 私たちはこのような不思議な話を、すぐに主観的だとか、客観的に見てどうであるとか・・正しいかどうかという問題に転換しがちであるが、要は切実な経験には、主観も客観もないことを小林は言いたいのである。

 そう、切実な体験はその人のしかできないところの唯一つの宝物でもあるのだ。

 このような目で見ると、私たちの人生も童話的な経験に満ちているのではないか。

 先日、福岡に墓参りで帰郷したときに、お墓の前で炎天下にもかかわらず、お祈りし、『甘露の法雨』というお経を上げているときに、不思議に気持ちのよい風が吹いてきて、強い日差しが途切れた。

 私には、ご先祖様が喜んでおられることがはっきりとした。

 小林の言葉を借りるならば、私はそんな気がしたのでも、そう考えたのでもなく、ただそのことがはっきりしたのである。

 Muromi                    故郷の福岡・室見にて

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