井筒俊彦論18・・ベルクソンの「完全な神秘主義」
ベルクソンは「完全な神秘主義」について、「ギリシアの神秘主義」「東洋の神秘主義」「キリスト教の神秘主義」と題して、それぞれの神秘主義の歴史を概観しながら明らかにしていく。
ベルクソンによると、まず古代のギリシア哲学には、その起源からオルフィック教などの影響を受け、その底には神秘主義が濃密に潜んでいることを指摘している。
そしてギリシア哲学の発展の頂点として、プロティノスの哲学を取り上げて次のように言う。
「彼は脱我の境地までは行った。
つまり、魂が神の光に照らされて自分を神の面前にあると感じ、あるいは感じたと思った状態までは達した。
だが、この最終段階をさらに踏み越え、観照がついに行為のうちへ没していくところ、人間の意志が神の意志と一つになるまでには至らなかった。
彼は頂上へ昇りつめたと思った。だからそこからさらに前進すれば、彼としては、下降するとになったろう。
まさしくこの事情を、彼は実に感嘆すべき言葉で言い表わしているが、しかもそれは、欠けるところのない神秘主義の言葉とは言えない。ーー『行動は観照の衰弱である』と彼は言う。
これによって彼を見れば、プロティノスは、依然としてギリシア主知主義への忠誠を守っている。…ただ主知主義に神秘精神を強く浸透させはしたろう」
・・『道徳と宗教の二つの源泉』
要するにギリシア思想はギリシア伝統の主知主義に忠実であり、ベルクソンの言う「完全な神秘主義」にまでは到達できなかったという。
ギリシアでは神秘主義と論証的思惟の違いは根本的であり、両者の創造的な結合は、稀だったというのだ。
ところが、ベルクソンはギリシア以外では両者は混じり合って、互いに妨げ、どちらも究極へまで徹底できぬように働いたと見る。
例えばインド思想においては、その苛烈な自然環境により生命のエラン(飛躍)は停止し、生存意欲の滅却や、生からの逃避などが問題となり、やはり、「完全な神秘主義」には達しなかったと言う。
ベルクソンは、インドではむしろ近代のラーマクリシュナやヴィヴェカーナンダなどに「完全な神秘主義」を見ていた。
「こうした人たちに見られる熱烈で行動的な神秘主義の誕生は、インド人が自然によって圧し潰されていると感じていた時代、また、人力による介入が無益だった時代には、とうてい望むべくもなかったろう。
幾百万という不幸な人たちが、避けるにも術のない飢饉のために、倒れていくほかなかったという時代に、何ごとがなされえようか。インドの厭世思想は、主としてこの無力感に源を発していた。
そしてまさにこの厭世的態度によって、インド人はその神秘主義の貫徹を阻まれたのであって、それというのも、完全な神秘主義は行動にほかならなかったからである」
いわゆる古代のギリシアにもインドにも「完全な神秘主義」が存在しなかったのは、エランが不足するとともに、このエランがその物質的環境や偏狭すぎる知性の反対を受けたからだった。
繰り返しになるが、ベルクソンは大いなる創造力の流れと一つになることこそが神秘主義本来の性格であり、完全な神秘主義は「行為であり、創造であり、愛でなくてはなるまい」と強調する。
そして彼はこの「大いなる創造力の流れ」と一つになって行動する「完全な神秘主義」を16世紀のキリスト教の神秘家たちに見ていた。
彼らが「完全な神秘主義」に至る道程は、大きく次の三つの段階を経る。
①転身のための序曲
②前方への跳躍のための「闇夜」の経験
③完全な神との合一
例えば、聖テレジアと並ぶ十六世紀スペインの神秘思想家である十字架の聖ヨハネは、この道程を次のように言う。
「《暗き夜》を通り過ぎ、《カルメル山》の坂道をよじのぼり、そして《愛の生き生きとした焔》によって神と合一する。そして最後に、最も純粋な行為である《黙想》の中に憩う」
・・アンリ・セルーヤ著/『神秘主義』(白水社)より
この山頂における「神と合一する」体験と、そこに止まることなく、全ての人々の救済に赴く「大いなる創造力の流れ」こそが「完全な神秘主義」の一大特徴なのである。
この流れを阻害するものが、「自分は悟った」とする“我の誇り”であり、神秘体験へのこだりである。
「こうした神秘家たちこそ、単なる幻覚にすぎぬかもしれぬ見神体験に対して、余人にまさって弟子たちを戒めた人たちだった。
また彼らが自らなんらか見神体験を経験していた場合にも、彼らがそれに与えた意義は普通第二義的なものでしかない。
それはちょっとした途上の出来事にすぎなかった。それは、極致に達するために越えられねばならぬものだった。
また恍惚や脱我も、自分の背後へ遺して進まれるべきものだった。
そしてその極致とは、人間の意志と神の意志とが一つになる状態である」・・ベルクソン
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