井筒俊彦論16・・完全な神秘主義
井筒俊彦が神秘主義の歴史を概観しながら、、「私は西欧の神秘主義にかんするかぎり、プラトニズムはギリシアに於いてはついに完成せず、かえってキリスト教の観照主義によって真の窮極の境地にまで到達するものと考える」と強調していたことは既に触れた。
この中で、井筒俊彦が注目していたのが「12世紀の危機神学」と呼んだベルナールの神学だ。若松英輔さんも第五章「カトリシズム」でこの神学について詳解されている。
ベルナールが論じる「神」は一貫して愛の神であり、信仰の究極の状態はギリシア的「合一」から「結婚」という表現が現出するほどに人間に接近する。
ベルナールに育まれたキリスト教的霊性は、16世紀スペインのカルメル会の神秘主義に至って「優婉かぎりなく抒情の花をひらき、かつ同時に、十字架のヨハネのかの強靭な論理によさって剰すところなくロゴス化され」、完全なる「超越的主体形成の論理」(「神秘主義のエロス的形態--聖ベルナール論」)が確立されるのであると井筒は言う。
『井筒俊彦--叡知の哲学』178頁
・・ベルナールはフランスの聖職者で、1115年クレールヴォー( Clairvaux )の修道院を興したことで有名だ。1146年には、法皇ウジェーヌ三世 の下、聖地奪回を目的とした第2回十字軍編成のための説教を行ったという。下記の言葉は有名である。
私を傷つけるものは私自身である
私が受ける傷は本来私自身が持っている傷である
私自身のもたらした悩みを除いてはそうした悩みはすべて幻にすぎない・・
さて、井筒が言う「完全なる超越的主体形成の論理」を、ベルクソンは神秘主義の歴史を概観しながら「完全な神秘主義」と呼び、やはりそれを偉大なキリスト教の神秘家たちに見い出していた。
井筒俊彦とベルクソンのいずれも、「意識と存在の構造モデル」としての山の頂に安住せずに、神なるものと一つになって万人の救済にあたる「愛の神」を説く神秘家に、「完全なる神秘主義」を見ていたことは興味深いものがある。・・拙著「ベルクソン・ルネッサンス」参照
ちなみにベルクソンは「完全な神秘主義」を次のように定義していた。
「神秘主義の極致は、生が顕わにしている創造的努力と触れ合うこと、したがってまたこの努力と部分的に一つになることにある。
この努力はただちに神自身ではないとしても、神に発するものである。
偉大な神秘家とは、人間種の物質性のゆえに指定されたさまざまの制限を乗り越え、神の働きを続け、かくしてそれをさらに先へ伸ばしてゆくような個性のことであろう」
具体的には、ベルクソンは「完全な神秘主義」を実現した人々として、キリスト教の聖パウロ、聖テレジア(スペインの神秘家でカルメル山修道団の創始者)、シェナの聖カテリナ、聖フランシス、ジャンヌ・ダルクなどの名前をあげる。
ベルクソンはそれらの個々の事例には深入りすることなく、「完全な神秘主義」に至る特徴を指摘している。
特に16世紀スペインのカルメル会的神秘主義には、井筒と同じく西洋の神秘主義におけるクライマックスを見ていたようで、彼が晩年、その研究のためにスペイン語の修得に努めた話は有名だ。
例えば、聖テレジアは、幼少のころから宗教的幻覚や陶酔の経験があり、初めは殉教者、隠者の道を志したが、四十二歳の時、アウグスティヌスの『告白』を読んだのを転機として、尼僧院の改革に立ち上がったという。
彼女は43歳の時には初めて脱魂状態を体験している。
神が彼女に天使を遣わして、焼けた金の矢で彼女の心臓を貫いた。
それと同時に彼女は神に対する熱愛に燃え立つのを覚えたという。
従って恍惚の修道女というイメージが強いが、その後の数多くの修道院を開設したりした活発な対人実践活動や『霊魂の城』『完徳の道』などの著作活動を見ると、ベルクソンはその神秘体験よりもその行動的だった人生に共感していたものと思われる。
それでは「完全な神秘主義」への到達は如何にして可能なのだろうか。
ハイデルベルクのお城跡にて
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コメント
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完全な神秘主義とはすごい概念ですね。
投稿: 吉野@ヒーリング研究 | 2012年12月14日 (金) 17時00分