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☆「精神のエネルギー」について・・2

 ベルクソンが「ロンドン心霊研究会」で行った講演・・「生きている人とのまぼろし」と「心霊研究」が今読んでも画期的なのは、近代科学の性格や問題点を見事に指摘しているところである。・・「精神のエネルギー」所収

 ベルクソンの弟子とも言うべきガブリエル・マルセルが現代文明という技術社会に対して一貫して批判し続けたのも、ベルクソンの科学観に基づくところが大きかったかもしれない。「マルセルの文明論」に関心のある方は小林秀雄との対談を再現した下記の連載を参照してみてください。

  小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話

 さて、ベルクソンの科学論に戻ると、「近代科学は数学の娘」であり、観察や実験という方法によりながらも、その「経験的方法」を「すべての可能な方向に適用するよりも、むしろただ一つの点すなわち計量に集中させたことであります」という。

近代科学は、代数学が実在を包みこんで自分の計算の網にかけるだけの力と柔軟性をえた日に生まれました。

まず天文学と力学が近代人に数学的な形をあたえられてあらわれました。

つぎには物理学--同じく数学的な物理学が発展しました。

物理学が化学を起こしましたが、この化学も計量にもとづき、重さと体積の比較にもとづいています。

化学のあとは生物学で、これはたしかに数学的な形がないし、そういう形をとりそうでもないのですが、それだからといって、生物学が生理学の仲介によって、生命の法則や化学や物理学の法則に、すなわち間接には力学の法則に還元しようとしていないわけではありません。

だから結局のところ近代科学はいつも理想として数学に向かっています。

すなわち近代科学は本質的に計量を目ざし、計算がまだ適用できないところでは、そして対象の記述や分析にとどまらなければならないときには、あとで計量できるようになる方向に向かおうとするのです。

 ベルクソンに言わせれば、近代科学が悪いというのではなく、それが数学を母親として、私たちの広大無辺な経験を「計量」という方法によってごく狭い経験に狭め、独特な世界観を構築してきたということを俯瞰しておく必要があるというのである

 この「計量」という方法にゆだねられない精神現象もそれと同等で計量できる現象に置き換える必要がある。

 前回触れた意識と脳の関係でも、近代科学においてはまず何よりも目に見えて計量できる脳の動きが心の動きと同等であるとして研究するほかはないのだ。

 もっと言うと、計量できないテレパシーの体験例やスピリットからの通信例は、近代科学の性質上、最初からその圏内からはじかれることになるのだ。

 ベルクソンはこの近代科学の性質・特徴を明らかにしながら、さらに「新しい精神の科学」の可能性について言及していくのである。

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