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2012年4月18日 (水)

「至高体験」への道・・1

 若松英輔さんの『神秘の夜の旅』に登場する越知保夫をはじめ、小林秀雄、井筒俊彦、マルセル、リルケ、ドストエフスキーなどに共通するのは、目に見えない“至高なる存在”を信じていたことだろう。

 彼らは信じていただけでなく、その臨在をまざまざと感じていた。

 

 それは自分を超えた存在を体験する「至高体験」(マズロ)であったとも言えるだろう。

 

 そして詩人たちはその体験から何物かを語り始める“語り部”となるのである。

 

 若松さんの霊性にあふれた言葉を引用してみよう。

詩人は自身を語る前に、託されたことを語らなくてはならない。

むしろ、何ものかに言葉を「委託」されたとき、その人は詩人になる。

詩人の努力は、言葉を探すところにだけあるのではない。

彼に「委託」する、主体からの「呼びかけ」を待つことである。

「過去の日の大浪」が意味するのは死者である。

読み進めれば、示唆というにはあまりに直接的な経験が、リルケにあったことがわかるだろう。(『神秘の夜の旅』135~136頁)

 リルケだけではない。小林秀雄にも、井筒俊彦にも、マルセルにも死者から「委託」された「直接的な経験」、つまり「至高体験」があったのである。

 小林秀雄の批評に至っては、彼が天才たちとの霊と直接会話しながら書いたのではないか、と思われる表現が随所に見られる。

 その意味では、彼の批評とは死者を呼び出し、彼らと対話する「祈り」でもあったのではないか。

 彼はひたすら無私になって、天才たちからの「呼びかけ」を待っているのである。

 若松さんの引用しているリルケの詩を紹介しよう。

風に似てふきわたりくる声を聴け、

 

静寂からつくられる絶ゆることないあの音信(おとずれ)を。

 

あれこそあの若い死者たちから来るおまへの呼びかけだ。

 

かつておまえがローマやナポリをおとずれたとき、教会堂に立ち入るごとに

 

かれらの運命はしずかにおまえに話しかけたではないか。

 

また、さきごろサンタ・マリヤ・フォルモーサ寺院でもそうであったように

 

死者の碑銘がおごそかにおまえに委託してきたではないか。

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   ハイデルベルクの古城跡にて

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