「至高体験」への道・・1
若松英輔さんの『神秘の夜の旅』に登場する越知保夫をはじめ、小林秀雄、井筒俊彦、マルセル、リルケ、ドストエフスキーなどに共通するのは、目に見えない“至高なる存在”を信じていたことだろう。
彼らは信じていただけでなく、その臨在をまざまざと感じていた。
それは自分を超えた存在を体験する「至高体験」(マズロ)であったとも言えるだろう。
そして詩人たちはその体験から何物かを語り始める“語り部”となるのである。
若松さんの霊性にあふれた言葉を引用してみよう。
詩人は自身を語る前に、託されたことを語らなくてはならない。
むしろ、何ものかに言葉を「委託」されたとき、その人は詩人になる。
詩人の努力は、言葉を探すところにだけあるのではない。
彼に「委託」する、主体からの「呼びかけ」を待つことである。
「過去の日の大浪」が意味するのは死者である。
読み進めれば、示唆というにはあまりに直接的な経験が、リルケにあったことがわかるだろう。(『神秘の夜の旅』135~136頁)
リルケだけではない。小林秀雄にも、井筒俊彦にも、マルセルにも死者から「委託」された「直接的な経験」、つまり「至高体験」があったのである。
小林秀雄の批評に至っては、彼が天才たちとの霊と直接会話しながら書いたのではないか、と思われる表現が随所に見られる。
その意味では、彼の批評とは死者を呼び出し、彼らと対話する「祈り」でもあったのではないか。
彼はひたすら無私になって、天才たちからの「呼びかけ」を待っているのである。
若松さんの引用しているリルケの詩を紹介しよう。
風に似てふきわたりくる声を聴け、
静寂からつくられる絶ゆることないあの音信(おとずれ)を。
あれこそあの若い死者たちから来るおまへの呼びかけだ。
かつておまえがローマやナポリをおとずれたとき、教会堂に立ち入るごとに
かれらの運命はしずかにおまえに話しかけたではないか。
また、さきごろサンタ・マリヤ・フォルモーサ寺院でもそうであったように
死者の碑銘がおごそかにおまえに委託してきたではないか。
ハイデルベルクの古城跡にて
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