小林秀雄「本居宣長」・・「古事記」編纂1300年に寄せて
小林秀雄の大著「本居宣長」には、「古事記」の成立に関する鋭い考察がある。
「古事記」編纂1300年に寄せて、かつて書いた拙論の中から少し長くなるが、引用してみよう。
井筒俊彦が「コーラン」を解釈した方法論を借りるなら宣長=小林は、エクリチュールとして与えられている「古事記」のテキストをもとの状況まで引き戻して、神々が古人に親しく語りかける、または稗田阿礼が安万呂に話すという具体的な発話行為の状況において「古事記」の言葉を理解する。
そしてそのような原初的テキスト了解の上でさらに一歩進んでその奥にあるものを探る。
パロールとして「古事記」を読むことによって、その底に伏在し、それを下から支えている根源的世界了解、存在感覚、世界像というのものを探りだそうとするのである。
宣長の「読み」は「古事記」というテキストを単なるエクリチュールとしてではなく、もとの阿礼が暗唱していた古伝を安万呂に親しく語りかけるという具体的なパロールの状況においてそのコトバを理解しようとするものであった。
その宣長独特の「読み」を小林は独創的な読みとして「古事記」成立の経緯と合わせて詳しく紹介している。(同書、二十八章~三十章参照)
ここでは、近代の「古事記」の読み方の土台となった津田左右吉氏の「記紀」研究が宣長のそれの対極として詳しく紹介されている。
津田の「古事記」の序文の「帝紀及び本辞」に対する解釈があくまで文字、文献に写された物語ということに固執するのに対して、宣長の場合、その「辞」を「なべての地を、阿礼が語と定め」た口誦と信じた。
このいわば、固定化したエクリチュールなのか、それとも生成流動したパロールであるかといのうが両者の全研究のたもとを分けさせている。
小林は次のように繰り返し、宣長の「古事記」研究というものがどういう意味合いのものであったのか、強調している。
《宣長が、「古事記」の研究を、「これぞ、大御国の学問の本なりける」と書いているのを読んで、彼の激しい喜びが感じられないようでは、仕方ないであろう。
彼にとって、「古事記」とは、吟味すべき単なる資料でもなかったし、何かに導き、何かを証する文献でもなかった。
そっくりそのままが、古人の語りかけてくるのが直かに感じられる、その古人の「言語のさま」であった。耳を澄まし、しっかりと聞こうとする宣長の張りつめた期待に、「古事記序」の文が応じたのであった。》
そして小林が宣長の「古事記」の読み方の中で特に注目したのが、文字を初めて知った古代日本人が経験したであろう、特殊な「言語経験」についてである。
《「書籍と云フ物渡リ参来て」幾百年の間、何とかして漢字で日本語を表現しようとした上代日本人の努力、悪戦苦闘と言っていいような経験を想い描こうとしない、想い描こうにも、そんな力を、私達現代人は、殆ど失って了っている事を思うからだ。
これを想い描くという事が、宣長にとっては、「古事記伝」を書くというその事であった。
彼は、上代人のこの言語経験が、上代文化の本質を成し、その豊かな鮮明な産物が「古事記」であると見ていた。
その複雑な「文体」を分析して、その「訓法」を判定する仕事は、上代人の努力の内部に入込む道を行って、上代文化に推参する事に他ならない、そう考えられていた》
そこで「古事記」序に書かれた「辞」とは、「古語」のことであり、宣長は安万呂の記した文字の奥に阿礼の言霊を想像し、それを救い上げようとしたところに宣長の独創性がある、と小林は考えた。
この文字と肉声による言霊との緊張関係を身をもって感じたのが安万呂だったに違いない。いわゆる古事記序に言うところの「上古の時、言意並びに朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなわち難し」。小林自身の言うことをもう少し聞いてみよう。
《漢字の扱いに熟練するというその事が、漢字は日本語を書く為に作られた文字ではない、という意識を磨く事でもあった。
口誦のうちに生きていた古語が、漢字で捕らえられて、漢字の格に書かれると、変質して死んで了うという、苦しい意識が目覚める。どうしたらいいか。
この日本語に関する、日本人の最初の反省が「古事記」を書かせた。日本の歴史は、外国文明の模倣によって始まったのではない。模倣の意味を問い、その答えを見附けたところに始まった、「古事記」はそれを証している》
従って宣長の冒険は、安万呂が苦労して記した文字の奥に宿る稗田阿礼の古語を、言霊をどう救いだすかということに向けられている。
安万呂の表記が、今日となっては謎めいた符号になっていても、その背後には古人の「心ばえ」、古言の「ふり」があり、上代において日本語は口誦のうちに完成していた。それを蘇らすために、宣長はその想像力を駆使したというのが宣長の「古学」の骨格になっている、と小林は見ていた。
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