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2011年9月 9日 (金)

「神秘の夜の旅」・・9

 マルセルの言う「媒介」とは、何者かのパイプ、通路になることである。

 あのゴッホの絵を見るとき、絵の背後に何者かがいて、こちらを見つめているような感覚にとらわれる。

 そう、小林秀雄が言うように、レンブラントの自画像には彼自身が隠れているが、ゴッホの自画像にはどこにも彼の隠れる場がない。

 むしろ、ことごとくエゴなるものが激しい「命の力」で否定され尽くしている。

 この嵐のような「命の力」がゴッホの絵には確かにある。

 若松さんも「ゴッホは光の媒介者」だという。

越知にとって、ゴッホはそうした無私の生涯を送った人間の典型だった。

無私とは、自分のことを考えないという倫理的な態度を指すのではない。

むしろ、倫理的次元を超えたところで生きることが無私である。

「プレザンスもある意味では光である」と越知は書いている。

越知は「プレザンス」を「神」と同義で用いている。

「神」は、「光」として自らを顕わす。

ゴッホは光の「媒介者」である。

このとき、ゴッホは無私になる。

光は、媒介者である画家を照らすのではなく、絵を見る者に向かって放たれている。

ゴッホの絵を見るとき、私たちの中で何かが動く。

照らされ、輝くのは、絵を見る者である。・・「神秘の夜の旅」99頁

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                 光の媒介者になる・・

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