「神秘の夜の旅」・・8
「神秘の夜の旅」は、詩人・越知保夫という「媒介」を通して天才たちと出合う魅惑の旅でもある。
ダンテ、小林秀雄、マルセルは、それぞれ異なる時代と国と文化を背景に生きたが、彼らは、ここで越知保夫を「媒介」にして一堂に会している。
越知が指摘するように「媒介」は、マルセルにとって「重要な観念の一つ」である。
だが、「マルセル自身、何よりも先ず自分をそういう媒介であると考えている」とあるように、越知は「媒介」となることが批評の使命であると感じている。
さらに、人間の一義的な役割とは、自己を表現することではなく、何者かの「媒介者」となることだ、と彼は信じている。・・「神秘の夜の旅」94~95頁
小林秀雄の批評もある者の「媒介者」になることであり、何者かの「委託」に応えることではになかっただろうか。
ちなみに晩年の大作、「本居宣長」に挑戦していたころ、小林は常に愛用の勾玉を握りながら、執筆していたという。
おそらく小林にとって勾玉は、古代の人々と時を超えた対話をする「媒介」であり、この「媒介」と親しむことによって、彼の前に古代の世界が生き生きと甦ってきたに違いない。
「本居宣長」からそれを彷彿とさせる言葉を引用してみよう。
《恐らく、彼(宣長)にとって、(『古事記』の神々の)物語に耳を傾けるとは、この不思議な話に説得されて行く事を期待して、緊張するという事だったに違いない。
無私と沈黙との領した註釈の仕事のうちで、伝説という見知らぬ生き物と出会い、何時の間にか、相手と親しく言葉を交わすような間柄になっていた、それだけの事だったのである。その語るところは、上代の人々の、神に関する経験的事実である、と言ってもよい。
しかし、その事実性は、伝説という一つの完結した世界から、直かな照明を受けていた。
いや、この自力で生きている世界の現実性なり価値なりが、創り出しているものだった、と言った方がいいかも知れない。
そういう事を、しかと納得した上でなければ、経験的事実などと言ってみたところで空言だろう。宣長は、それをよく知っていた。》
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