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2011年8月26日 (金)

「神秘の夜の旅」・・4

「神秘の夜の旅」とは、偉大な神秘家たちが一度は、通らなければならぬ「闇夜」の経験でもある。

 繰り返しになるが、ベルクソンは大いなる創造力の流れと一つになることこそが神秘主義本来の性格であり、完全な神秘主義は「行為であり、創造であり、愛でなくてはなるまい」と強調していた。 

 そして彼はこの「大いなる創造力の流れ」と一つになって行動する「完全な神秘主義」を16世紀のキリスト教の神秘家たちに見ていた。

 彼らが「完全な神秘主義」に至る道程は、大きく次の三つの段階を経る。

①転身のための序曲

前方への跳躍のための「闇夜」の経験

③完全な神との合一

 例えば、聖テレジアと並ぶ十六世紀スペインの神秘思想家である十字架の聖ヨハネは、この道程を次のように言う。

「《暗き夜》を通り過ぎ、《カルメル山》の坂道をよじのぼり、そして《愛の生き生きとした焔》によって神と合一する。そして最後に、最も純粋な行為である《黙想》の中に憩う」
・・
アンリ・セルーヤ著/『神秘主義』(白水社)より

 この山頂における「神と合一する」体験と、そこに止まることなく、全ての人々の救済に赴く「大いなる創造力の流れ」こそが「完全な神秘主義」の一大特徴なのである。

 この流れを阻害するものが、「自分は悟った」とする“我の誇り”であり、神秘体験へのこだわりである。

 従って、「神秘の夜」とは一つの道程でもあり、そこに止まっていては真の「神の通路」になることはできないのだ。

 偉大な神秘家とは、この「闇夜」の経験に満足することなく、暁の太陽とともにこの世に大いなる「救いの光」をもたらした人なのである。

 その意味では、カルメル山を登った「神秘の夜の旅」はそのまま荘厳な日の出へと続いている。

 夜の旅を終えた神秘家たちは太陽として復活して、ただひたすら「神の愛」の通路となって、その大いなる愛の光を惜しみなく地上に与えようとする。

 山奥で10年の間、みずからの知恵を愛し、孤独を楽しんだツアラツストラが山から降りてきたように、偉大な神秘家たちも今度は、光そのものに変身して下山してくるのだ。

「こうした神秘家たちこそ、単なる幻覚にすぎぬかもしれぬ見神体験に対して、余人にまさって弟子たちを戒めた人たちだった。

また彼らが自らなんらか見神体験を経験していた場合にも、彼らがそれに与えた意義は普通第二義的なものでしかない。

それはちょっとした途上の出来事にすぎなかった。それは、極致に達するために越えられねばならぬものだった。

また恍惚や脱我も、自分の背後へ遺して進まれるべきものだった。

そしてその極致とは、人間の意志と神の意志とが一つになる状態である」・・ベルクソン

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