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叡知の哲学・・41

 井筒俊彦の言うように、我々が人類文化のグローバリゼーションの理念を信じ、「地球社会」の理想的な形での形成に向って進んで行こうと望むのであれば、何よりも先ず我々は、我々自身を作り変えなければならない。

 哲学の世界でもより「高い次元」で東西の哲学を統合していく必要があるわけだが、フランスの哲人、ベルクソンから学ぶべきことは多い。

 拙著「ベルクソン・ルネッサンス」では次のように言及している。

 いささか、現代の哲学思潮の中では古い感のあるベルクソンを出してくるのはなぜか。

 それは、ほかならぬ彼がゴッズ・アイズ・ビューの目で、地球における生命進化のあり方や地球における物質と生命の関係、さらには人類の知覚や知性の性質を明らかにし、それらが地球ならではの特殊なものであることを証明した哲学者であるからだ。

レヴィ=ストロースは、ベルクソンとサルトルを比較しながら次の様に言う。

「ベルクソンは形而上学的問題について、アメリカ・インディアンがするように、そして実際にスー族がしているように、考察しているのです。

両者(著者注・ベルクソンとサルトル)を比べることで、私はベルクソンの思想に敬意を表しているのです。

それは時と場所を超えて普遍的なものを有しうる限りでの、人類の思考のもっとも深い根源にまで届いているということです

 彼の残した著作の中には、まるで宇宙船で冥想し、思索したのではないかと思われる壮大な思想が宝石のようにちりばめられている。

 その美しい詩的な魅力ある言葉とともに。

 例えばやはりレヴィ=ストロースが、ベルクソンのテキストとスー族の賢者の言葉の一致として紹介した次のような言葉はどうだ。

「大いなる創造力の流れが物質の中にほとばしり出て、獲得できうるものを獲得しようとする。大部分の点で流れは中止した。

これらの中止点が、われわれの目にはそれだけの生物種の出現となる。

つまり有機体だ。本質的に分析的かつ総合的なわれわれのまなざしは、これらの有機体の中に、数多くの機能を果たすべく互いに協力している多数の要素を見て取る。

しかし、有機体生産の仕事は、この中止そのもにすぎなかった。

ちょうど、足をふみいれただけで、一瞬にして、幾千もの砂つぶが、互いにしめし合わせたかのごとく一つの図案となるというような単純な行為だ」(『道徳と宗教の二つの源泉』)

 ベルクソンにとって地球上における生命進化の歴史は地球環境に限定された特殊なものであって、生命の種の誕生もその花々しい見かけとは違って「大いなる創造力の流れ」の中止を意味した。

 このようなベルクソンの惑星的かつ叡知にあふれた哲学は、レヴィ=ストロースが言うように「人類の思考のもっとも深い根源」にまで遡ることによって可能になったのであろう。

 ベルクソンは知性や本能ではなく、「直観」という第三の道によって、「叡知」に至ろうとするのである。

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   フランクフルトの駅にて

 

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