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2011年6月 9日 (木)

叡知の哲学・・6

「向上道」「向下道」はもちろん、不可分のものだが、多くの優れた開祖や神秘家、哲人たちが口をそろえて言っているのは、究極的には「向上道」も「向下道」のためにあるということである。

 若松さんによると、『神秘哲学』の中核的論考「プラトンの神秘哲学」においても「向下道」の意義が繰り返し、説かれているという。

「我れ唯ひとりの魂が救われても、他の全ての人の魂が悉く救われなければ神秘家の仕事は了らない」とも述べているように、繰り返しを恐れることなく、井筒は執拗なほど、プラトン哲学における「向下道」の絶対的意義を論じた。

観照の果て、静寂の境地を自ら打ち破り、濁世にその身を捧げる者、それが井筒俊彦にとっての「神秘家」である。

「神秘家」と井筒が書く。そこには深遠なる思想家と無私の実践家が並存している。ソクラテス以前の哲学者の多くは、「いずれも溌剌たる時代精神をその一身に凝集する活動家であり、思惟することが直ちに行動することを意味するごとき情熱的実践家」だった。・・

すなわち「彼等はいずれも哲学者である以前に神秘家であった」とある通り、神秘家とは、人間的個性すなわち魂の特性よりも、霊的陶冶を意味する表現である。

神秘家は、神秘説を唱える口巧者、口舌の徒である神秘「主義者」ではない。神秘家は語る前に実践する。彼等の悲願は、主義を唱えるところにあるのではない。万人の救済にある。救いというのは比喩ではない。

ギリシア哲学における究極の目的は、理性的知解ではなく、魂の救済だった。

・・『井筒俊彦--叡知の哲学』25~26頁参照

 ちなみに井筒俊彦の『神秘哲学ー第二部 神秘主義のギリシア哲学的展開』(人文書院)によると、神秘主義は、西欧においては純然たる歴史概念だという。

「それはイオニアの自然体験及び密義宗教に端を発するヘレニズムと、旧約聖書に端を発するヘブライズムとの二大宗教思潮がキリスト教を通じて相合流し、中世カトリックの盛時を経て近世に入り、ついに16世紀スペインのカルメル会的神秘主義に至って絶頂に達する観照精神の長くかつ複雑な伝統の上に立ってはじめて理解されるものである」

 また井筒は、「私は西欧の神秘主義にかんするかぎり、プラトニズムはギリシアに於いてはついに完成せず、かえってキリスト教の観照主義によって真の窮極の境地にまで到達するものと考える」とまで言っている。

 このことは若松さんも第五章「カトリシズム」で詳解されているが、ベルクソンも、神秘主義の歴史を概観しながら「完全な神秘主義」を偉大なキリスト教の神秘家に見い出しているのだ。

 井筒俊彦とベルクソンのいずれも、「意識と存在の構造モデル」としての山の頂に安住せずに、神なるものと一つになって万人の救済にあたる神秘家に、「完全なる神秘主義」を見ていたことは興味深いものがある。

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    ハイデルベルクの山を登る・・

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