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批評の神髄・・37

Kobayashishinjin

努めて古人を僕等に引き寄せて考えようとする、そういう類いの試みが、果たして僕等が古人と本当に親しむに至る道であろうか。

必要なのは恐らく逆な手段だ。

実朝という人が、まさしく七百年前に生きていた事を確かめる為に、僕等はどんなに沢山のものを捨ててかからねばならぬかを知る道を行くべきではないのだろうか。

小林秀雄「実朝」

 まずは空っぽになって「古人」に近付いてくのが、「古人と本当に親しむ道」である。

 歴史とは「大河」みたいなものであり、その悠々たる流れに竿をさして大物の魚を釣るには、まずは「大河の流れ」を知り、そしてその「魚の立場」に立ってひたすら考えねばならぬ。

 なぜなら、「歴史」は自然と同じであり、「無私の精神」で畏敬するところにその素顔を見せ始めるからである。

 その意味では、小林秀雄ほど手ぶらで「歴史の真実」に推参して「古人」と親しみ、その実相を掴み出してきた「名人」はいないのではないか。

 そこで「古人」と親しむために一首・・。

山吹の花を折らせて人のもとにつかはすとて

散りのこる岸の山吹春ふかみこの一枝をあはれといはなむ

・・源実朝

Sakura

 熱海の海と桜花・・

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