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小林秀雄の桜について

 桜好きの小林秀雄は春になると、弘前城址や高遠城址の桜、甲州山高実相寺の神代桜など、有名な桜の木を愛でに日本各地を旅していた。

 エッセー「花見」では、「文芸春秋社」の講演旅行で東北を旅したことが記されている。

 弘前の桜が目当てであったが、山形県の酒田の宿で独りで酒を飲んでいた小林は、講演前の一時に、中川一政が伊達政宗の漢詩と源実朝、源頼政の桜の和歌を並べて書いた書の額を鑑賞する。この三篇の詩を通して三人の武将の数奇な人生を見事に描きながら、話は一転、信州高遠の「血染めの桜」を見に行った時の感想に移る。

 小林のこのエッセーは、むしろ「抒情詩」として味わった方がいいようだ。

 そこには桜との出会いを通して、湧き上がる旅情が見事に描かれているからだ。

 行った時には、盛りを過ぎていた。それでも、花は、まことに優しい、なまめかしい色合であった。

血染めと聞いてすさまじい色と思ったのも、未だ花を見ぬ時の心だったようだ。

来て眺めれば、自然に、素直に生まれて来た名とも思える。

人々は、戦の残酷を忘れたい希いを、毎年の毎年の花に託し、桜の世話をして来たであろう。

桜は、黙って希いを聞き入れて来たと思える。

 酒田からさらに北上した弘前城の桜は見事な満開であり、「背景には、岩木山が、頂の雪を隠して、雄大な山裾を見せ、落花の下で、人々は飲み食い、狂おしいように踊っていた。実に久しぶりの事だ。こんなお花見らしいお花見は、私の記憶では、十二三の頃、飛鳥山に連れて行かれた時までさか上らないと見つからない」。

 その夜も小林は、新築の立派な市民会館で、「今日は、結構なお花見をさせて戴きまして・・」と言って、文化講演とやらに全くそぐわない気持ちになってしまう。

 外に出ると、「ただ、呆れるばかりの夜桜」が広がっているではないか。

 花見酒というので、或る料亭の座敷に通ると、障子はすっかり取払われ、花の雲が、北国の夜気に乗って、来襲する。

「狐に化かされているようだ」と傍らの円地文子さんが呟く。

なるほど、これはかなり正確な表現に違いない。もし、こんな花を見る機は、私にはもう二度とめぐって来ないのが、先ず確実な事ならば。

私は、そんな事を思った。何かそういう気味合いの歌を、頼政も詠んでいたような気がする。

この年頃になると、花を見て、花に見られている感が深い、確か、そんな意味の歌であったと思うが、思い出せない。

花やかへりて我を見るらん、--何処で、何で読んだか思い出せない。

  ちなみに清春の白樺美術館(山梨県長坂町)の敷地内には小林の愛した桜が移植されている

「小林秀雄の桜」=下写真
(同美術館のホームページより)

 Sakura1

「桜をこよなく愛された小林秀雄先生は、清春の見事な桜をごらんになり、ここへ芸術村をつくるよう薦められ、清春芸術村が誕生しました。この枝垂桜は、このことを末永く記念するため、鎌倉の小林邸からここへ移植したものです」・・白樺美術館のホームページより

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