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小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・最終回

 マルセルは以前、来日した来た時に能の舞台などを見たそうだが、その真義はよくわからなかったようだ。

小林 日本の能の笛は竹の声なんですよ。音楽という観念が違う。つづみはキツネやイヌの声なんです。「義経千本桜」の「初音の鼓」というのがあります。鼓は母ギツネの皮で作られていたが、これを打つと、子ギツネが忠信に化けて静御前についてくる・・・・。

こんな話を日本人は18世紀の半ばになっても楽しいんでいたのですからね。そういう感覚が日本人にあるんです。なかなか、これがマルセルさんにはよくわからない。

マルセル あれを聞くと、しめつけられた人間の声を思い出します。なにか幽霊の声を象徴しているのではないか。(笑)

(ここで小林は日本音楽の代表として「六段の調べ」を実際に自慢のステレオでマルセルに聴かせている。マルセルは頬に手をあてて聞き入っていたという)

小林 これはキツネの声ではない。桐の木と絹糸の声です。

マルセル 日本にはいるときには、この門(日本音楽)からははいるまい。

小林 では、どの門?

マルセル 庭とか絵ではないか。

小林 やさしい門からはいったほうが良い。

しかし、庭や絵はやさしいが、すぐせばまってきますね。

西洋にしても、入り口はやさしいが、ほんとうはちっともやさしくない。

こういうものがないと、文化はおもしろくない。

マルセル 私も、そう思います。小林さんとお話しでき、歓待していただいて、ほんとうによかったと思います。

 このように小林とマルセルの対談は、日本の能や音楽に関する二人の感想で締めくくられ、「今度、パリに行くことがありましたら、ぜひおたずねいたします」という小林の言葉で終わっている。

 以上、鎌倉の小林邸で対話した二人は、豊かな鎌倉の自然をバックにしながら通常の自然のまた一つ奥にある「超自然」(越知保夫)なるものに、それぞれの経験や思想を通してアプローチしていったわけだが、近代によって我々から引き裂かれた「超自然」に至る道を、東西を代表する哲人があますところなく語った対話には、時代を超えた価値があるように思う。

 すなわち小林が「近代絵画」において見事に描いたセザンヌら西洋の近代画家たちの「語るものは自然であり、聞くものは人間であるという信念」は、二人のものでもあるとともに、私たち日本人にはどこか懐かしい伝統的な感覚として21世紀の現在に甦って来るものがある。

 ちなみにマルセルが最後に語った日本への門としての日本画も、小林の云うように決して平坦なものではあるまい。

 たとえば次の東山魁夷画伯の言葉にも日本独特の「自然」(じねん)論が見て取れて興味深いものがある。

 「絵になる場所を探すといういう気持ちを棄てて、ただ無心に眺めていると、相手の自然のほうから、私を描いてくれとささやきかけているように感じられる風景に出会う。その何でもない一情景が私の心を捉え、私の足をとどめさせ私のスケッチブックを開かせるのである」・・「風景との対話」

 

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     伊勢神宮の五十鈴川にて

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