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小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・9

 これまで述べてきた小林秀雄の「自然」論に対して、ガブリエル・マルセルは、「現存」(プレザンス)というマルセル独特な哲学用語をベースに論を展開していくのである。

 この「プレザンス」は、日本人の「自然」(じねん)に対する考え方が、もともと自と他、人間と自然とを分ける二項対立的な発想でなかったように、「主客」と「客体」との相対立する要素を超えようとする「存在」観と見てもよいだろう。

 もちろんサルトルの言った「実存」という概念とも違う。(マルセルがサルトルと袂を分けた話は有名である。)

 むしろ私はこれをマズローの言った「至高体験」と呼んでもよいと思う。

 我々が自然などの大自然の前に立ったときに、自と他との障壁がとれて、至高の喜びとともに、全てが光輝くような体験を持ったことは大なり、小なりあるはずである。

 この体験下にあっては、もはや海と自分との違いもなく、全てが一つの協奏曲になって喜びのメロディーを鳴り響かせているではないか。

 そこでマルセルが登場させているのがドビッシーの音楽である。

 私は「聖なるもの」を名詞化してはならないと申しました。それは、先ほどあなたが、自然なものを客体化する以前の状態と言われたことと同じになるわけです。そこで私は、音楽の持つ優越性ということを言いたいのです。音楽は、すべての名詞化のこちらがわに位置しているものだと思います。

・・・例をとれば、私にとってはっきりしているのはドビッシーです。「夜想曲」「海」を考えていただきたいのです。雲や海は、私の言い方をすれば「現存」の中に与えられていると言えましょう。

「現存」ということは、物、客体として与えられてはいないということです。「存在」としての雲、「存在」としての海なのです。どうもうまく言い表せませんが・・。

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    フランクフルトの空

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