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小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・5

 小林秀雄が本居宣長の神道を一言で言えば「自然との親密さ」にあると強調すると、マルセルの方はルソーなどの文明を否定して原始の自然に還ろうとした有名な思想家の名前を挙げる。

 ところが、小林はそれらの西欧の思想家たちの自然観と宣長のそれとは根本的に違うことを次のように指摘するのである。

 それとは違いますね。宣長には、自然と文明との対立という考えは全くありません。自然の霊(たま)、エスプリを信じたんです。原始的な、調和した文明というものがない状態にあこがれたのではない。決してそうではない。結びの神という自然のエスプリです。結ぶとは生む、創るという言葉です。絶えず創造しているエスプリが現に在る。それを信じたのです。

・・宣長には文明から逃げ出すという考えはない。彼の学問はポエジーの研究なので、とうとう古事記にポエジーの源泉とでもいうべき姿を見るに至ったのです。このポエジーの力というもの、この無意識的なものが日本の意識的な文化の底に流れる底流をなしている。外来文化によってめざまされた意識的な文化に強く抵抗している。宣長は、それを見つけた人です。

 ちなみにこの対談が行われたのが昭和41年(1966年)だが、ちょうどこの時期は晩年の大作『本居宣長』を「新潮」に昭和40年6月号から連載中(昭和51年12月号まで続く)であった。

 それだけにこのマルセルとの対談には、『本居宣長』の執筆動機や熟成したアイデアがそのまま出ているとも見受けられるのである。

 特に「絶えず、創造しているエスプリ=自然の霊=結びの神」を宣長が信じたのです・・という件には宣長だけではなく、小林自身もその「結びの神」つまり創造するエスプリを深く信じていたことがうかがえる。

 そして宣長の研究が結局のところ、ポエジーの研究であり、「この無意識的なものが日本の文化の底流をなしている」という着眼点は、まさに『本居宣長』でより具体的に論述されていくのである。

 下記の小林秀雄の『本居宣長』についての試論も興味のある方はご覧ください。

『本居宣長』の独創性についてⅡ

Kobayashishinjin

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