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小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・3

  小林秀雄がフランスの哲人、マルセルに、奈良の橿原神宮や三輪神社に参拝することを勧めていることは興味深いものがある。

 小林が三輪神社の御神体が山であることや、紀伊の熊野神社では滝が御神体になっていることを得々と紹介すると、マルセルはイタリアなどのヨーロッパにおいても、きれいな山の上に礼拝堂が立っており、「この宗教芸術が自然に冠を添えているという感じがする」と述べる。

 それらに対してアメリカのモテルやハンバーガーのレストランなどは、「ただそこを通る人のためにのみあるという感じがする」(マルセル)という。

 マルセルに言わせれば、アメリカの建築物は自動車のためにあるような一過性の印象が免れがたいが、ヨーロッパの町や村は全く反対で、「そこには恒常性があり、とどまっている人に結びついている感じ」がするというのである。

 続いてマルセルは、アメリカについて言及したようなところでは信仰というものを除外してしまうのに対して、「信仰というものは、恒常性と結びついているので、その点は神道でもキリスト教でも同じではないか。私には神道のなかに、自分の持つあこがれに呼応するものがあるような気がしました」と告白するのである。

 ここでマルセルの使う「恒常性」(ペルマナンス)については注意する必要がある。

 これは彼がよく使う「現存」(プレザンス)とも呼応する言葉であり、主体と客体とに分かれる以前のリアルティ、つまり「存在」=自然とどう向き合うか、という意味が含まれているように思う。

 つまりアメリカのそれには、「自然」と真摯に向き合う畏敬の念が欠如しているのに対して、ヨーロッパの聖堂や日本の神社などには文字通り、聖なる「存在」=自然に対して頭を垂れて自己を無にする謙譲の精神が脈々と生きているではないか、とマルセルは言いたいのではないか。

 このマルセルの「信仰告白」とも云える言葉に呼応するように、小林は本居宣長の神道に対する考え方や日本独特の自然論について、滔々と講義を始めるのであった・・。

(引用はマルセル著作集 別巻「技術時代における聖なるもの」春秋社刊から)

 なお小林秀雄の「本居宣長」について興味のある方は下記の小論も参考にしてみてください。

小林秀雄の魂に触れる・・

 Izumo1

     出雲大社の大国主命

 

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