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2011年1月28日 (金)

小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・11

 さて、今度はマルセルの「プレザンス」(現存)論に対する小林秀雄の回答である。

 本居宣長は西洋の19世紀風の不可知論者だということが言われていますが、やはりそれは違うと思っています。今おっしゃるようなプレザンスの問題を彼は直覚していたように思われます。

宣長は「わからない」、無理にわかろうとするなと繰り返し言っていますが、これはただ消極的な意味合いの言葉ではない。

「わからないもの」、「神秘なもの」の積極的な活動という意識が働いているのです。明瞭化できないものだが、そのプレザンスは明らかに感じられている。

 この「神秘なもの」の積極的な活動とは、宣長の云う「たま」の働きと云ってもよいだろう。

 小林は宣長の考えとして、「たま」とは「たまのいふ」ということで、それはまた「おかげ」ということである、という説を紹介する。

 フランス語ではグラティテュード(感謝)ということで、「たま」のおかげだからありがたいとうことで、「給ふ」ということになる。「魂が言うことで、魂のおかげということなのです」。

 もっと具体的に言うならば、「たま」というのは・・さっき話に出た社では山です。「たま」が山に存在するのではなく、そこにお詣りする人が、「おかげ」を感謝することで「たま」が働くのです。・・と話すのである。

 このように見てくると、マルセルの「プレザンス」と小林の云う「魂の働き」とは、自然や眼に見えない存在に対して畏敬の念を持つということにおいて、共鳴・共感している。

 自然という客体ではなく、超自然とも呼んでもいい実在に対して、二人はともに額づき、祈り、そして感謝することによってそれと一つになろうとするのである。

 ちなみに越知保夫は、マルセルによると、etre presntエートル・プレザン(現に在る)とは、etre avecエートル・アベ(共に在る)ことでもあり、「プレザンスにふれるとき、我々をみたすものはこの共在の感情である」と指摘している。

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    近くの氷川神社にて

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