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批評の神髄・・32

 

彼が自然の研究という時に、彼が信じていたものは、画家の仕事は、人間の生と自然との間の、言葉では言えない、いや言葉によって弱められ、はばまれている、直かな親近性の回復にある、そして、それは決して新しい事ではない、そういう事だったと言えるだろう。・・小林秀雄「セザンヌ」

 小林によると、セザンヌにとって「自然を見る」とは、「自然に捉えられる事であり、雲も海も、眼から侵入して、画家の生存を、烈しい強度で、充たすのである」という。

 ここにもセザンヌを通した小林の存在観を色濃くみることができる。

 何事も客観的に見るというようなことは大したことではない。

 そんなことは子供でもできる芸当だ。

 問題は、自身の「見る」という行為を高めて、「無私」という段階にまで純化することである。

自然という「存在」に対して、主体と客体という二元的な関係から、主客を超えた「親近性」を回復すること。

 「大事なのは、自然を見るというより、寧ろ自然に見られる事だ」

 このセザンヌを描いた言葉ほど、小林の批評について語っている言葉はないように思う。

 事実、小林はゴッホの絵を見るにしても、桜の花を見るにしても、吾を忘れてただ見入った人であった。

 その「見る」という純粋な行為の中では、時間も空間も消え、ただあるのは「存在」と一つになった「無私」があるのみである。

 その時である。

 世界は逆転する。

 逆に「存在」に見られ、魅入られる不思議な世界が広がる。

 小林の批評は、いつもこの「存在」との親近性を回復した「至高体験」(マズロー)から生まれてくるのである。 

 

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