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小林秀雄と井筒俊彦の「存在」観

 小林秀雄と井筒俊彦という昭和を代表する思想家について、その両者の思想的比較は殆どされてこなかったが、越知保夫という詩人には優れた評論があるそうである。

 前にも紹介した若松英輔さんのサイト「井筒俊彦入門」で知ったが、なかなか興味深いものがある。若松さんは次のように言う。


 だから、花が存在するといってはならない。「存在」が「花」するのであると井筒俊彦はいう。井筒俊彦の存在論は、そのまま越知保夫のそれに呼応する。越知保夫の「存在」観にカトリシズムあるいは中世哲学が影響していることはもちろんだが、それに勝るとも劣らず、彼の世界観を決定しているのは小林秀雄である。「美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない。」(「当麻」)という小林秀雄の一節もまた、イブン・アラビー、そして井筒俊彦の存在論に強く共鳴する。

 つまり、越知の「存在」観において、小林と井筒の存在論が共鳴・共感しているというわけである。

 ちなみに井筒は思索だけでなく、父親の影響で禅の修行からも「存在」に近づこうとしたし、小林も批評だけでなく、絵画や骨董などの美的鑑賞からも「存在」に到ろうとした。

 「存在」という山頂への道は、それぞれの天分に応じた多様なものがあっても、「存在」という主体・客体を超えた「実在」は唯一つあるのみである。

 私はこの「存在」をあえて「純粋存在」「純粋意識」とも呼びたいが、21世紀の哲学はこの「存在」観に基づいて再構築されるべきであると考えるが、いかがであろうか。  
 

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