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批評の神髄・・29

 

宮本武蔵の独行道のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。

・・・今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮である、と武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に真の自己を知る事は出来ない、そういう小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。

・・それは、今日まで生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。そこに行為の極意があるのであって、後悔など、先立っても立たなくても大した事ではない。そういう極意に通じなければ、事前の予想も事後の反省も、影と戯れる様なものだ、とこの達人は言うのであります。

行為は別々だが、それに賭けた命はいつも同じだ、その同じ姿を行為の緊張感の内に悟得する、かくの如きが、あのパラドックスの語る武蔵の自己認識なのだと考えます。これは彼の観法である。認識論ではない。

・・小林秀雄「私の人生観」

行為は別々でも、それに賭けた命はいつも同じだ、という「命の持続感」は、小林自身の批評にもあてはまる。

 批評の対象として天才達やその作品は変わっても、「それに賭けた命はいつも同じ」であった。

 小林にとって批評とは畢竟、その天才達に賭けることであり、それと一つになることであり、命を丸出しにすることであった。

 このように書いてくると、晩年の小林の講演で聴いたあの声が甦ってくる。

 ・・私の書いた文章には、必ず小林という一人の男の命が刻印されている。そのことが分かるまで読み込んでほしい・・と。

 彼にとって、批評とは一つの作品に文字通り、命をかけることであり、彼も武蔵にならって言えたはずである。

 「我あらゆる作品に於て後悔せず・・」と。

 
 

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