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批評の神髄・・26

小林秀雄によると、言葉には意味もあるが、姿もあるという。

この「言葉の姿」に見入っていたのが近世の学問の雄たちであった。

例えば荻生徂徠は、「自分の学問の種は、『本文ばかりを、年月久しく、詠(なが)め暮らし』ているうちに、直覚したところに蒔かれた」という。

 徂徠は、晩年、「愚老が懺悔物語」と言い、こんな話をし ている。御小姓衆の四書五経素読の吟味役をやらされた事があった。

毎日、朝六時から、夕暮四時まで、読人を前に、座り詰めの労役で、夏の日永などには疲労はげしく、とても吟味どころではない。

相手が書物の紙を返しても、こちらは返しもせず、読人と吟味人と別々となる有様であったが、こうして、「注をもはなれ、本文ばかりを、見るともなく、読むともなく、うつらうつらと見居候内に、あそこここに、 疑ども出来いたし、是を種といたし、只今は、経学は大形此の如き物と申事合点参候事に候」、

自分の学問の土台となったものについては、「本文ばかりを、年月久しく詠(なが)め暮し」たという他に別に子細はないのだ。

「注にたより、早く会得いたしたるは、益あるように候へども、自己の発明は、曾て無之事に候」・・・(『考えるヒント』「徂徠」)

 彼等にとって古典は、単なる調べる対象ではなかった。

 むしろ古典は碑文的な確かな姿をしていて、その本当の意味は「眺めること」により開示されるのかもしれないのだ。

 ・・なのにどうして現代人は、注によってすぐに分かりたがるのか。

 すぐに自分の論に利用したがるのか。・・

 そんな小林の嘆きが聞こえてきそうである。

 小林の批評とは畢竟、無私になってその碑文の姿が見えてくるまで繰り返し読むことであった。

 彼にあっては「本を読むこと」は本に魅入って「本を観ること」でもあったのだ。
 

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小林秀雄」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。
先日卒業しました。
親から自立するにはどうすれば良いのか真剣に悩み中。
できないことが多い。夜が怖くて夜早く寝ても、朝早く起きれない。食欲が変。ご飯もお菓子も、いっぱい食べたくなる。過食気味?
人と接するのが怖い。人の視線が怖い。整理整頓できないくせに、いっぱいいろんなモノ持ちたい。
病気ですか?

投稿: スイトピー | 2010年3月21日 (日) 19時57分

スイトピーさん、卒業おめでとうございます。

全ての悩みは、「自己」というエゴの立場から見て考えることによって置きます。

とすると、悩みを解決するのはすこぶる簡単です。

「自己実現」ではなく、「神実現」という考え方に立場を変えさえすれば、悩みは太陽の前の雪のように消えていきます。

詳しくは新しいシリーズの拙稿をご覧下さい

投稿: タカヤン | 2010年3月25日 (木) 11時57分

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