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批評の神髄・・24

 1963年、小林秀雄は文士仲間と三週間ほどのソ連(当時)旅行に出ている。

 この時の印象深い思い出について、安岡章太郎氏が悠然として渾然たるネヴァ河」と題して次のように書いている。

 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんなヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。

 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にも直ぐ迷われるからだ。

「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」

だが私には、その悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。

  これは私の勝手な想像だが、小林はドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラースコリニコフになりきってネヴァ河を観ていたのではないだろうか。

 河の悠然たる流れは、いつしかラースコリニコフの重苦しい黙想につらなり、小林の中に“精神の極北”まで行った主人公の魂が甦ってきたのではないか。

 ロシア的とは、どこどこまでも限度を踏み越えていく野人性にある。

 この野人性を精神の世界において徹底して追求したのがラースコリニコフであった。

 小林がこの主人公の思索と魂の復活にあれだけ肉薄できたのも、実は彼自身の中にロシア的なものがあったからに他ならない。

 読者の家族の皆様へ。

 興味のある方は以前、書いたドストエフスキーに関する感想もご参照下さい。 

 

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