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批評の神髄・・23

 宣長が求めたものは、如何に生くべきかという「道」であった。彼は「聖学」を求めて、出来る限りの「雑学」をして来たのである。彼は、どんな「道」も拒まなかったが、他人の説く「道」を自分の「道」とする事は出来なかった。従って、彼の「雑学」を貫道するものは、「之ヲ好ミ信ジ楽シム」という、自己の生き生きとした包容力と理解力としかなかった事になる。(小林秀雄『本居宣長』)

 別の所で小林は、宣長にとって源氏物語などの「歌」を極めることが、そのまま古事記の「道」を極めることになったとも言っていたと思う。

 所謂、宣長の説く「道」とは、自分の好きなことを信じ、ただひたすら楽しむ中で、自ずから拓けてきた道であって、自然法爾だったところは注目に値する。

 多くの成功者が語るのも、自分の好きなことをただ楽しんでやっていたら、自分でも思いもしない力が湧いてきて、人々のお役にも立ち、振り返ってみるとそこに確かに「道」があったということである。

 イチローも松井秀樹もただ野球が好きであり、彼等はそれを好み、信じ、そして楽しむ中で前人未踏の境地に立つことが出来たのだ。

 小林の批評も天才達の作品をただひたすら好み、信じ、楽しむ中で編み出された悦びの作品なのである。

 読者もそれぞれの「好信楽」を極めてみたらどうだろうか。

 その「道」は間違いなく、宇宙で唯一つの道であり、天も実はそのかけがえのない「道」を歩むことを希望されているのではないだろうか。

 何故なら、あなたの「道」は小さく見えても天の「大道」に繋がっているからである。

 一つの「道」を極めれば必ず同じ山頂に出ることは、達人や天才達の高き精神性を見れば分かる。

 宣長の説く「好信楽の道」こそは天の与えた使命、つまり天命だと言えるのではないだろうか。

 

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小林秀雄」カテゴリの記事

コメント

タカヤンさん。
お久しぶりです。いつもコメントが思いついたように間が空いててすみません。
最近、知り合いとの死別が続き、落ち込みが激しいです。
「この世で出逢えば必ず別れはある」頭でわかっててもツラくて立ち上がれません。
こうやってブログでのコメントのやりとりも、いつか終わりが来ると思うと叫び出しそうになります。
久々のコメントが前向きでなくてすみません。

投稿: スイトピー | 2009年11月25日 (水) 20時41分

スイトピーさん、お気持ちよく分かります。

ただ私たち「神の子」に永遠の別れは決してありません。

縁あって出会った皆さんは、全員、かけがえのない「魂の仲間」であり、きっといつか会うことができるはずです。

そしてそのスビリットの皆さんは、本当は今も私たちのことを見つめ、護ってくださっているのではないでしょうか。

投稿: タカヤン | 2009年11月27日 (金) 17時55分

ご返信ありがとうございました。
今生かされてる私が一所懸命に生きることが、亡くなった大切な人の供養になるのですよね…。

今は私自身が死を選ぼうとしてて…。がんばらないと。

投稿: スイトピー | 2009年11月28日 (土) 12時16分

その通りだと思います。

目に見えないスピリットが一番喜ぶこと。

それは私たちが今与えられている場で一生懸命生きること、

それも楽しく喜んで生きることではないでしょうか。

投稿: タカヤン | 2009年11月28日 (土) 19時33分

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