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批評の神髄・・19

  遠い昔の人の心から、感動は伝わって来るようだ。それを私達が感受し、これに心を動かされているなら、私達は、それとは気付かないが、心の奥底に、古人の心を現に持っている事にならないか。・・信ずることと知ること

 小林は柳田国男が「山の人生」の中で紹介している山人のある話に関連してこのように云っている。

 その印象的な逸話とは次のようなものだ。

・・西美濃の山の中で炭を焼く50ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斬り殺したことがあった。女房はとくに死んで、あとには13になる男の子と、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼き小屋で一緒に育てていた。

 ところが、何としても炭は売れず、何度里へ降りても、一合の米も手に入らない。最後の日には空手で戻って来て、飢えきっている小さい者の顔を見るのをつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 眼が醒めて見ると、小屋の口いっぱいに夕日が射していた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当たりの処にしゃがんで、一所懸命に大きな斧を磨いていた。

「おとう、これでわたしたちを殺してくれと」と云ったそうである。そうして入り口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。

 それを見るとくらくらして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。・・

 この山人の話に心が動くならば、私達は心の奥底に「古人の心」を確かに持っているのではないか、というのが小林の云いたいことなのである。

 普段は気づきもしないが、このような話や名月、サクラなどの花鳥風月に「もののあはれ」を感じるとき、現代の私達の心の奥にも「古人の心」があることに気付かされる。

 晩年の大作、『本居宣長』で小林が書こうとしたのも、この「古人の心」であった。

 ただこの「古人の心」を甦らせるためには、近代の病を一度、捨てねばならない。

 古伝説を合理的な価値観で捉えるのではなく、一度、それらを捨てて虚心に古えの伝え事を読むということ。

 畢竟、小林の批評とは近代合理主義の迷いをことごとく洗い去って、「古人の心」を甦らすことであった。

 ちなみに白州信哉氏によると、小林は愛用の勾玉を手に握りながら、『本居宣長』を書いていたという。まさに古人と対話しながら、小林は執筆していたのである。

 『本居宣長』については、下記の論文をご参照下さい。

 『本居宣長』の独創性について

 

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