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批評の神髄・・18

批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはずである。

でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。これは、頭で考えず、実行してみれば、だれにも合点のいくきわめて自然な批評道である。

論戦は、批評的表現のほんの一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかはないほど困難な形式である。・・「批評」

 つまり、小林秀雄によると、真の批評なるものは、論戦という形式よりも、「主張の断念という果敢な精神の活動」によるというのである。

 とかく人は、批評を非難、批判、主張と捉えがちだが、小林の切り開いた「批評道」ではある立場からの主張などというものは、小学生にもできる思いつきの域を出ないとするのである。

 むしろ、その「批評道」にあっては、どんな立場、自分自身の精神の拠り所さえ疑い、消そうとする。

 小林によると、強い批評精神にあっては、そのような危険を経験することにより、「批評という毒が創造の糧に変ずる機会がある」(「文化について」)という。

 小林にあっては批評の毒を飲まないような批評は、中途半端なところに止まった感想文程度にすぎない。

 一度、自分の立場をも否定して、対象であるところの天才達の作品に無私で接していくときに、作品の方から驚くべきことを語り始める・・。

 畢竟、小林の批評とは、自分の主張を語るのではなく、天才と作品そのものになりきって、その本当にいいたいところを代わりに語るところの「巫女」の託宣みたいなものだったのではないだろうか。

Kobayashishinjin  

 

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