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批評の神髄・・14

 パスカルは、ものを考える原始人みたいなところがある。何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめるというようなところがある。いろいろなことを気にしないで・・・。三木清との対談から

 小林秀雄という批評家を考える上で、避けては通れないのがパスカルという思想家である。

 周知の通り、プレーズ・パスカルは、「パンセ」において、「呻きながら求める人しか自分は認めない」と記すなど、まさに命がけで形而上学的なことを思索した人である。

 私自身にとっても「パンセ」は最初に読んだ哲学書であり、パスカルは初めて私淑した思想家である。

 ところが、小林は言う。青年も皆、真の教養なり、思想なりの芽生えというような持っているが、大人になるといろいろなことでその芽を自ら摘んでしまう。「小説家になって摘んでしまう。評論家になって摘んでしまう。哲学者になって摘んでしまう。それからまた俗人になって摘んでしまう」という。

 みんな何者かになってしまうことによって、自らの中にあった瑞々しい感性や思想の萌芽みたいなものを閉め出してしまうのだ。

 いわば小林秀雄という人は、小説家にも、詩人にも、哲学者にも、単なる評論家にもなれなかった人なのだ。彼の中にあった野生的なるものがそのどれよりも大きく、小さく何者になるということを拒否していたのだ。

 そういう意味で、彼の批評には、何者になることも、俗人になることも、否定した野性的な思考が満ちている。

 あと問題は、その野生の萌芽をいかに守り、大切に育てていくかどうか、だ。

 小林はその点で日本の哲学者の中で三木清(「人生論ノート」)のことは認めていた。

 が、その三木も志半ばで、真の日本人としての哲学者の文章を創造するにはいたらなかったのではないだろうか。

 そのバトンをまともに受け取って全力で走りきった人こそ、小林秀雄その人なのである。

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