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批評の神髄・・5

鑑賞という事は、一見行為を拒絶した事の様に考えられるが、実はそうではないので、鑑賞とは模倣という行為の意識化し純化したものなのである。救世観音の美しさは、僕等の悟性という様な抽象的なものを救うのではない、僕等の心も身体も救うのだ。僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするのである。そこに推参しようとする能力によって、つまり模倣という行いによって。

 これは、「伝統」というエッセーからの引用だが、小林秀雄にとって絵画や美術品などの「鑑賞」という行為がどのようなものであったか、よく解る文章である。

 彼のような徹底した「鑑賞」にあっては、自分と作品の境界はなくなり、観察するのではなく、まさに一体になって「わがものにする」ことに力点が置かれている。

 例えば、小林は富岡鉄斎を四日間ぶっ通しで、朝から晩まで250余の作品を見続けたというから尋常ではない、そこには何か魔的なものすら感じられる。

 いずれにしろ、彼の批評は「鑑賞道」とでも呼びたい、厳しくも魅惑的な行為から生まれてきたのであり、頭の中だけで巧んだものは一つもないのだ。

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