« 批評の神髄・・3 | トップページ | 批評の神髄・・5 »

批評の神髄・・4

 ヘラクレイトスが岸辺に遊ぶ子供に火を見た様に、釈迦は、沙羅の花に空を見たでしょう。そういう彼等の決定的な知覚が、空は教典註解者の手に渡り、火はストア派哲学者の手に渡り、どうにでも解釈できる哲学的観念と変じた、と言えないでしょうか。

 この小林秀雄の言葉には、彼の批評が結局とのころ、天才達と交わりながら、その「決定的な知覚」に迫ろうとしたことが伺える。

 彼にあっては、「どうにでも解釈できる哲学的観念」などはどうでもよく、まさに天才達と直接交わりながら、そこから見えてくる「決定的な知覚」こそが重要であった。

 たとえばベルクソンの言う「純粋持続」なるものも、小林にあっては単なる哲学的観念ではなく、文字通り実在の真相が「純粋持続」であることをベルクソンは観た・・と喝破している。

 

時間と自由 (岩波文庫) Book 時間と自由 (岩波文庫)

著者:ベルクソン
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 批評の神髄・・3 | トップページ | 批評の神髄・・5 »

小林秀雄」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/143752/21357156

この記事へのトラックバック一覧です: 批評の神髄・・4:

« 批評の神髄・・3 | トップページ | 批評の神髄・・5 »