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批評の神髄・・3

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  起の法は、因果の理法と呼ぶより、無我の法と言うべきものであって、凡そ真理というものは「我」を立てるところに現れる、人間的条件に順じて、様々な真理があるに過ぎない、と釈迦は考えた。最も人間臭くない因果律という真理も、悟性という人間的条件に固執するからあるのである。因果律は真理であろう、併し真如ではない、truth であろうが、 realityではない。大切な事は、真理に頼って現実を限定する事ではない、見る事が考える事と同じになるまで、視力を純化するのが問題なのである。《私の人生観》

 ここで語られている「真理に頼って現実を限定する事ではない、見る事が考える事と同じになるまで、視力を純化する」とは、まさに小林秀雄の批評の鉄則ではなかったか。

 論壇に登場以後、彼は様々なる意匠から発言する論者を徹底的に批判するとともに、悟性などの「人間的条件」を根本的に問い続けた。

 そしてことごとく、人間的な立場を放擲したときに見え始める光景こそが彼の作品の精髄である。

  それにしても、「私の人生観」に登場する釈迦をはじめとする宗教家、思想家、哲人たちのなんと生き生きとしていることか。

 小林の批評にかかると、かれら歴史上の偉人たちの思索の営みがまるで目前で展開されているように思えてくるから不思議である。

 例えば、釈迦の烈しい否定精神について触れながら、次のように言う。

 釈迦の空とは、ヘラクレイトスの火の如きものではなかったかと思うのです。前者は内省から始めたかも知れぬ、後者は自然の観察から始めたかも知れぬ、いずれにしても、人間的な立場というものを悉く疑って達したところには、空と呼ぼうと火と呼ぼうと構わぬが、・・・心ない火が、そのまま慈悲の火となって、人の胸に燃えないと誰が言おうか。それが彼の空観であると、私にはそういう風に思われます。

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