一瞬で世界を変える方法・・総集編

一瞬で世界を変える方法・・

それは.....

今、見ているもの、出合っているものの

本物を観るということです。

私たちが間断なく出合っている人、物、事、自然には

それぞれに見せる顔というものがあります。

ただ、そこには本物と仮のお面を被っている偽物の二つがあるのです。

例えば、この地球上で見せている生命の姿も仮のものであり、本来の生命の本質はほんの少ししか現れていないのではないか、と観るのです。

私たちの命は地球上の重力下という特殊な環境のもと、様々な種を生み出し、この地球上に満ちあふれているわけですが、それでも生命の持つ無限性から観るならばまだまだなのです。

この命の持つ可能性、無限性に目を向けて行動するとき、世界は変わります。

なぜなら、今目にしている苦しみも問題も生命の無限性がこれから現れるためのプロセスにすぎず、本物ではないからです。

例えばハイポニカという農法を編み出した野澤さんという人をご存じでしょうか。

以前の文章から引用してみましょう。

野澤重雄氏ハイポニカ(水気耕法)によるトマト、キュウリ、サトウキビなどの栽培は示唆にとんでいる。

一株のトマトから一万三千個ものトマトが実るという驚嘆すべき栽培法の基本は、野澤氏によると本来の生命力は、現在の地球自然の状態では発揮されておらず、その制限している原因である土という塊から解き放ち、養液を流速を与えて循環させている水の環境に置いてやると
本来の驚くべき生命力が現われてくるというのだ。

同氏によると生命の本質とは「生長・発展する力」であり、「変化し、動いている」ものである。


この本質を引出す環境を設定すると生命は無限に生長する右上がりのベクトルをとるという。生命は変化、動きを通してその本質(生長・発展する力)を露にしていく。

 言わば、
地球上における生命は物質という強い抵抗に合いながら顕現している「生命の見かけの現象」であり、ベルクソンの言うエネルギーの蓄積と爆発という「生命の本質」をおおい隠しているのである。

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 生命の哲学者、ベルクソン

 この生命の本来持つ驚くべき「生長・発展する力」を信じて見守る。

 そして伸びる兆しが見えれば全身全霊で誉めて、感謝すること。

 このことができるようになれば、間違いなく世界は変わります。

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小林秀雄VS岡潔・・叡知の対話

 この世界の本質が「生成」にあるとすれば、吾々が普段行っている対話はまさに筋書きのない「生成」であり、ドラマではないだろうか。

 特に天才同士の対談ともなれば、その「生成」の規模は宇宙大である。

 世界的天才数学者、岡潔と現代日本の産んだ最高の知性、小林秀雄との対話(対談)は、そのスケールの大きさ、奥深さ、面白さなど、まさに天下一品である。

 そして何よりスリリングな「生成」と叡知にあふれた「言霊」に満ちている。

 昭和40年の対話ではあるが、その話題はアインシュタイン、量子力学、幾何学、プラトン、ドストエフスキー、ベルクソン、ピカソ、教育問題などまさに宇宙大のスケールなのだ。

 この「叡知の対話」について、脳科学者の茂木さんは、声に出して読むことを推奨しておられるが、二人の対談は、吾々日本人がかつて持っていた言霊と叡知の世界を思い出すためのベスト・テキストとも言える。

 小林秀雄が言うように、「心を開いた対話では生きた智慧(叡知)が飛び交う」のである。

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 二人の巨人の対話の一部を紹介しよう。

叡知の対話2・・小林秀雄VS岡潔

  • 叡知の対話3・・小林秀雄VS岡潔
  • 叡知の対話4・・小林秀雄VS岡潔

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  • Book 人間の建設 (新潮文庫)

    著者:小林 秀雄,岡 潔
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    井筒俊彦と小林秀雄の共通点・・対話による叡智の発掘

     井筒俊彦が「東洋哲学の共時的構造化」を図るために行なった方法は、これから惑星的かつ宇宙的なスケールを持つ哲学を創造する上において、大変参考になる。

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     なぜなら、過去の諸哲学や神秘家たちの歩んだそれぞれの道を、一度、その時間的空間的束縛から解き放って、「それらすべてを構造的に包み込む一つの思想連関的空間を、人為的に創り出す」ことによって、それらに共通する「基本的思想パターン」や悟りに至るモデルを明らかにするのはもとより、その空間において自ずから東西の哲人たちの「対話」が始まり、新しい価値を生み出すことができるかもしれないからだ。

     日本の神道で云えば、万の神々が集って一堂に会して話し合うことにより、新たな価値を生み出そうとする「ムスビ」(産霊)の働き、つまりより高次元の創造活動が可能になるのである。

     井筒が広大な東洋哲学(イスラム、ユダヤ哲学なども含む)を有機的に包含するだけでなく、その哲学の持つ意味を現代思想の中で甦らせ、新たな現代的価値を与えたように、21世紀の初頭、哲学するための惑星的なアゴラ=広場を創設して、時間・空間を超えた哲人たちの「対話」を人為的に行なうことは決して夢物語ではない。

     プラトンがソクラテスを通して描いたのも、この「対話」(dialogue)による叡知=無知の知発見ではなかったか。

     この意味では、「叡知の哲学」とは、「対話の哲学」でもあるのである。

     この「対話」について、忘れられない小林秀雄の肉声がある。「本居宣長」を完成した後に行った講演での「学生たちとの対話」の中で確かに小林は次のように言った。

    心を開いて対話をすれば、生きた智慧が飛び交う・・

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    「対話」は、違う価値観・歴史を持った者同士が同じ土俵に乗って行う一種の共同創造である。

     しかし、この創造が真に独創的になるためには、ある条件が必要だ。

     例えば相手をやつけるための雄弁術では決して「叡知」にたどり着くことはできない。

     その「叡知」を修得するためには、小林秀雄の「無私の精神」という言葉があるように、一度、自分の持つ価値観を消して、相手をひたすらリスペクト(尊重)する心を持つ必要がある。

     つまり、このリスペクト精神を互いが持つときに、そこに自ずから高次元の「生きた智慧」(叡知)が飛び交うことになるのである。

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      フランクフルトで「対話」について考える・・

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    「地球外生命体」の可能性とベルクソンの生命論

    かつて米航空宇宙局(NASA)が、ケプラー望遠鏡を通して生物が生息可能な地球サイズの惑星を54個発見したと発表したことがあった。

     地球外生命体が存在し得るものであり、また、遠い未来においては、人類移住というテーマにつながる可能性もあるそうである。

     NASAによると、銀河系には200以上の地球サイズの惑星が存在し、さらに、水もあって生物が居住可能と見られる惑星はそのうち54あったという。ケプラーシステムの責任者ウィリアム・ボルッキ氏が確認した。

     すでに検出していた約1200の惑星候補の中から、さらに調査を行い、54という結果に絞り込まれたという。

     ちなみにケプラーは2009年に打ち上げられた探査機で、恒星の明るさを測定している。

     さて、フランスの哲学者、ベルクソンが「地球外生命体」の可能性について言及していたことはあまり知られていない。

     もっともこれは彼の生命論からくるところの推測なのだが、今読んでも興味深いものがある。

    「生命が出会う条件は千差万別だろうから、それのとる形態はこのうえなく多種多様となり、われわれの想像とは極度にかけ離れているではあろう。

    …宇宙のわが地球なる部分では、いなおそらく、この太陽系全体をとってみても、そのような存在者が生まれてきうるには、彼らは一つの種を形づくるほかはなかった。

    …太陽系以外の場所では、一つ一つがすっかり違う個体、種を形づくらぬ個体ーーそれもやはり多数であり、また可死だとはしてもーーのみが存在しているかもしれぬ。

    この場合ではまた、そうした個体は一挙に、そして完全な形で実現されたであろう」・・・『道徳と宗教の二つの源泉』

    Bergson

    生命の本質について考察したベルクソン
     

     ベルクソンによれば、わが地球上においては生命の「大いなる創造力の流れ」が物質の強い抵抗を受けて、十全な形では開花しなかったというのである。

    生命の種も見方を変えれば、その「大いなる創造力の流れ」の停止を意味し、死んでいるとも云える。

     それに対して、他の惑星では全く異なる生命の顕現のプロセス、つまり「一つ一つがすっかり違う個体、種を形づくらぬ個体」も考えられると云うのである。

     詳しくは下記の論文を参照していただきたいが、21世紀が生命について地球上だけでなく、もっとスケールの大きな宇宙的視点から考察する時代になっていくことは確かであろう。

    ベルクソン・ルネッサンス

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    ケプラーの惑星候補(NASA/Wendy Stenzel)

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    企業の盛衰は「有効供給の有無」によって決まる

    「日本でいちばん大切にしたい会社」のシリーズで有名な坂本光司氏の「経営者の手帳」では、経営するために大切な100の言葉を紹介しながら、短い文章で経営の急所を突いているのが、小気味よい。

     特に私の気に入ったのが次のフレーズだ。

    企業の盛衰は需要の原理ではなく、

    供給の原理、つまり

    「有効供給の有無」によって決まる。

     大体、自社の業績が悪いことを人のせいや景気のせいにしている経営者は、それ以上には伸びていかないものだ。

     坂本氏が一貫して主張しているのは、好不況にかかわらず好業績を持続している企業が数多く存在しているということである。

     同氏の紹介してきた日本理化学工業や沖縄教育出版などの「日本でいちばん大切にしたい」会社に共通していることはズバリ、供給の原理、有効な供給をしている点に尽きる。

     これは経営者だけのチェックリストではない。

     どんな個人、家庭、組織、団体、国にしても、問われるべきは一人でも多くの人にとって「有効な供給」をどれだけ与えたか、という自分自身のあり方なのである。

     人はとかく内部にある問題を直視せず、人のせいや社会のせいや、宿命のせいにする人もいるが、成功者に共通しているのは自己責任の範囲が通常の人々比べて飛び切り広いということである。簡単に言うと、自己責任感が強くなればなるほどそれだけ成功する確率が増えていく。

     なぜなら自己責任感の強い人は、常に己を見つめなおして改善し、そして己の器を無限大にまで拡大していくからである。

     ちなみに坂本氏は本当の企業経営とは「5人に対する使命と責任を果たすための活動」であると定義し、使命と責任とは「幸福の追求」「幸福の実現」であると記している。その5人とは--

    1. 社員とその家族
    2. 社外社員(下請け・協力会社の社員)とその家族
    3. 現在顧客と未来顧客
    4. 地域住民、とりわけ障害者や高齢者
    5. 株主・出資者・関係機関

     それでは有効な供給を行うにはどうしたらいいのだろうか。

     そこで登場してくるのがドラッカー関連の本だ。

     ここでは詳しいことには触れないが、「有効供給」に関連していうならば、ドラッカーの強調するのは次の三点である。

    • 自分の強みに気づいてその得意とすることを毎年、改善し続けること
    • 強みを生かす大きな目標を掲げること
    • 大きな変化の中で革新することを学ぶこと

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    この3つのことに責任を持って常に改善、向上し続けることが、成功への王道であるというのである。例えば以前起きたチリの落盤事件において、リーダーがドラッカーのマネジメント理論を実際に応用したことは記憶にとどめておきたい。

     最後に毎日、「有効供給」を行なうための魔法を紹介しよう。

     これは成功哲学の布教師ともいえる米国の小説家オグ・マンディーノが、自身の人生と成功を振り返りながら教えているとっておきの方法である。

    「今日一日かぎりの命」のつもりで人に接する。

    今日から、出会う人はみな--

    友達も敵も、愛する人も見ず知らずの人も、

    夜中の12時までに死んでしまうものとして接する。

    どれほどわずかな接触しかなくても、

    一人一人にせいいっぱい

    思いやりといたわり、理解と愛情を示し、

    見返りは期待しない--

    あなたの人生はこれでもう、

    今までと同じでなくなります。

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           オグ・マンディーノ

     この方法で坂本氏の云う大切な「5人」の皆さんに幸福感を味わっていただく、これこそが真の「有効供給」であるといえるのではないだろうか。

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    叡智の哲学者・井筒俊彦論・・総集編

    14万5000ヒットの御礼に「叡知の哲学者」たる井筒俊彦論もプレゼントします。
    このブログでも何回か紹介している若松英輔さんの『井筒俊彦 叡知の哲学』に触発されたものです。
    井筒俊彦―叡知の哲学

      この本の紹介には

    ・・少年期の禅的修道を原点に、「東洋哲学」に新たな地平を拓いた井筒俊彦の境涯と思想潮流を、同時代人と交差させ、鮮烈な筆致で描き出す清新な一冊・・
     とあります。
     若松さんのこの作品は私にとっても、待望の「井筒俊彦論」であり、お勧めの一冊でもあります。
     「井筒俊彦」という惑星的巨人を「読む」とは、世界の深層を「読む」ことであり、東西の神秘家・哲人の「原体験」を「読む」ことであり、未だ出現していない21世紀の哲学を「読む」(予見)ことでもあるのです。
     「井筒俊彦」を「読む」ことは、このブログのテーマである「惑星間哲学」という「新しいパラダイム」を「読む」ことにもつながっていくでしょう。 

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    「現代における聖なるもの」・・小林秀雄とマルセルの対話

     フランスの哲学者、ガブリエル・マルセルは、1966年に来日した際、読売新聞の主催で、小林秀雄と鎌倉の小林邸で対談している。

     この対談では、現代における聖なるものとは何か、自然と文明の関係、晩年のベルクソンについてなど、東西の哲人が親しい中にもそれぞれの考えを正面からぶつけ合っており、今読んでも大変興味深いものがある。

     そこで二人の対談について、何回かに渡って、ダイジェストで再現してみたのが下記の連載である。

     当時、小林秀雄は「本居宣長」というライフワークに取り掛かっているところであり、マルセル相手に独自の神道講義や宣長講義をしているところもある。

     二人の哲人の真剣勝負から「文明と自然」の関係など、新しい文明のパラダイムについて「考えるヒント」を得ることができる。

     何より、東西を代表する思想家の対話の中に、真の智恵=直観が飛び交っている。

     彼らの直観には、現代文明の迷信を破る叡知が確かにある。

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    ★記事一覧

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・2

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・3

  • 小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・4 
  • 小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・5

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・6

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・7

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・8

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・9

  • 小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・10 
  • 小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・11 

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・12

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・13 

    小林秀雄とガブリエル・マルセルの対話・・最終回

    21世紀における聖なるもの・・文明の螺旋的発展を

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             ハイデルベルクの休日・・

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    ベルクソンVSアインシュタイン・・時間論を巡って

     20世紀の生んだ知の巨人、ベルクソンとアインシュタインはどのように交わり、そして意見を交わしたのか。

     これは、小林秀雄がその未完のベルクソン論「感想」で扱った一大テーマでもありますが、下記の小論「ベルクソンVSアインシュタイン」でもその一端に迫っています。

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    小林秀雄はそのベルクソン論の「感想」において、アインシュタインの時空論について次のように指摘している。

    「対象の客観性という観念は、アインシュタインによって、誰も考え及ばなかった高度まで、徹底的に推進された」

     注目すべきは、アインシュタインの日記にあるベルクソンに関する感想であり、またベルクソンのアインシュタイン流の時間論に対する言及です。

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    アインシュタインは来日する船の中でベルクソンに言及している

     その触りを紹介すると、二人の決定的な差異はその「時間論」にありました。

     ベルクソンアインシュタイン流の時間に対して、それは結局のところ、「紙上の上に存するにすぎない」とも言っています。

     そして生きた時間を取り戻すためには「持続の中に復帰して、実在をその本質である動きにおいてとらえ直さなければならない」(『思想と動くもの』)というのです。

     ベルクソンは「時間と自由」という初期の論文の中で、次のように説いています。

    科学は、時間と運動からまずその本質的で質的な要素をーーつまり時間から持続を、そして運動からは運動性をーー除き去るという条件なしにはそれら(運動体)を処理できないのである。

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     ベルクソンのやろうとしたことは、この除去された持続と運動性の回復にあったと云ってもいいと思います。

     もっというと、生命というのが先にあって、その純粋持続から等質的な空間や物理的な時間が生まれてきたのであって、あくまでも「生命」がこそがこの世界の主役であるということを彼は強調したかったのだと思います。

    その意味からしても、彼の哲学はやはり「生命哲学」と呼んでいいのであります。

    ちなみに前にも紹介した前田英樹氏の「ベルクソン哲学の遺言」の第3章「砂糖が溶ける時間」では、その時間論が実にうまく書かれています。・・

     
    ベルクソンvsアインシュタイン

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     ハイデルベルクで「時間」について考える

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    桜に魅入られた小林秀雄

    人間が何かを見る、ということは、魅入られることだ。

    魅入られない以上、感動も、逆上もあるまい。

    魅入られたことを「かぶれ」とか「つきもの」という。・・小林秀雄

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     小林秀雄が文字通り、桜に取り憑かれていたことは有名だ。

     

     妹の高見澤潤子さんによると、小林は昭和57年3月の末、急に発病して入院したが、十何日か経ち、桜の見頃になった。

     

     自宅のしだれ桜が満開になる頃、小林があんまり桜の花を見たがるので、主治医が特別に週末に帰宅を許してくれたという。

     

     ところが、その前の晩、強い風雨があって、折角の花は殆ど散ってしまった。

     

     家の者はがっかりして残念がり、昨日までどんなに綺麗であったかをつぶやいたが、小林は食い入るように、ほとんど散ってしまった桜をながめていた。

     

     そして高見澤さんは、小林の批評が窮極のところ、何であったのか、伺わせるエピソードを紹介している。

     病院に帰って兄は、今年は桜がみられないと思っていたのに、おかげさまで、すばらしいお花見が出来てありがとうございましたと、何度も主治医に御礼をいった。

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     小林の云う「すばらしいお花見」とは、単なる御礼のための言葉に過ぎなかったのか。

     

     私はこう思う。

     

    ・・小林の心眼には、まざまざと桜の花が咲いていることが見えていたのだ・・と。

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     現象的には散ってしまった桜の奥にある「サクラの命」なるものを彼は確かに観ていたのだ。

     

     「サクラの命」は花びらを落としても、また来年咲くための準備をもう始めている。

     

     春から夏へ、夏から秋へ、そして冬枯れの景色の中でも、「サクラの命」の営みは花開く日のために黙々と続けられている。

     

     そこには一つの無駄も力みもない。

     ただ・・あるがままの世界、自然法爾の世界があるのみである。

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    一枚の葉っぱに全宇宙を見る

    若松英輔さんは、ドストエフスキーを「見霊者」と見做した井筒俊彦の言葉を紹介しながら、「見霊者」は、幻視者ではない。彼が見たのは幻影ではない。彼には確かに「現実」だった・・と書いている。・・『叡知の哲学』114頁

     確かにドストエフスキーが我々の現実とは違う“新世界”を見ていたことは間違いない。彼にしてみれば、その“新世界”は既に完璧であり、どこにも悪いものがない。

    そしてこの“新世界”の方が本物であり、普段私たちの見ている現実世界の方がニセモノかもしれないのだ。

     例えば、ドストエフスキーの名著の一つである『悪霊』では、キリーロフという自殺する男が、主人公で大悪党のスタヴローギンと次のような興味深い会話をしている。

    「あなたは木の葉を見たことがありますか、木から落ちた葉っぱを?」

    「ありますよ」(スタヴローギンが答える)

    「私はこの間、ふちの方がもう枯れてしまった、黄色い、いくらか緑がかったのを見ました。風で飛んで来たんです。

    私がまだ十ぐらいの頃、冬、私はよくわざと眼を閉じて、緑の木の葉が一枚、葉脈をくっきり浮きたせて、太陽にキラキラ輝いているところを頭に思い浮かべたものでした。

    私は目を開けて見る、しかしあまり素敵で、とても信じられないほどなので、また閉じてしまうのが常でした」

    「それはいったい、何かアレゴリー(比喩)ですか?」

    「いえいえ。どうしてですか? 私の云うのは比喩なんかんじゃありません。

    私の言っているのは木の葉です。

    ただ木の葉です。木の葉は素晴らしい。すべてが素晴らしい。何かもいいです」

    「何もかも?」

    「何もかも。人間が不幸なのは、ただ自分の幸福なことを知らないからです。

    それだけのこと。断じてそれだけです、断じて! それを自覚した者は、すぐに幸福になる、一瞬の間に

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    これがまさに絶望のどん底にいる二人の会話だとはとても思えないだろう。

    このキリーロフは癲癇もちで、その発作の時の体験を次のように話している。

    「その時の気持ちは、もうまったく明澄そのもので、そこに議論をさしはさむ余地なんか全然ありはしない。

    まるで突然、全宇宙をそっくりそのまま直観して

    「そうだ、これでよし」

    と肯定するような気持ちなんだ。

    それはちょうど、神が世界を創造するときに、創造の一日一日の終わるごとに

    「しかり、これでよし」

    と云われたのと同じようなものさ。

    ただ有頂天になってしまうことじゃない、なんとなくしいんと静まり返った法悦なんだ。

    その時には、もはや赦すというようなことはできない、なぜって赦すべきものなんか何一つ残らないんだもの」

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     ドストエフスキーの大作は混沌とした宇宙であり、登場人物の何気ないセリフに途方もない真理を語らせている部分もあるから、どんな些少と想われるセリフも注意して読む必要がある。

     それがたとえ、大酒のみであり、好色家であったり、大悪党の言葉であったとしても・・。

     特に先のキリーロフの人間が不幸なのは、ただ自分の幸福なことを知らないからです」はまさに名言である。

      ちなみに岐阜・オークビレッジの稲本正さんは、このドストエフスキーの箇所を読んで、「やはりドストエフスキーは天才だ」と思ったという。

    ・・「葉っぱ一枚の中にも宇宙がある」というようなことも書いているが、「都会で人間の内面を掘り下げながら、ついには宇宙の真理まで洞察しているのだなぁ」とも思った。
    ・・稲本さんの本より

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      一枚の葉っぱに全宇宙を見る
       ・・フランクフルトにて

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    魂の進化の法則・・

    ベルクソンが言う「知ラレザル大陸」とは、「死後の世界」と言ってもいいし、未だ発見されていない「宇宙の法則」とも呼んでもいいだろう。ベルクソンは次のように言う。 

     心霊学が確実なケースとして提出しているもののうち、ほんの一部しか受け容れなくても、心霊学がやっとその探索の緒についたばかりのこの「知ラレザル大陸」の広漠を窺うには充分な分量が残る。

    この未知の世界からの微光がわれわれへまで届いて、この肉の目に見えたとしよう。

    --この場合、ただ目に見え、手で触れられるもののみを、存在するものと考えならわしてきた人類に起こる変化は、いかばかりであろう。

    ・・「道徳と宗教の二つの源泉」

     この「知ラレザル大陸」を探索する上で、ガイドブックになるのが前回も紹介したラズロの著書『コスモス』である。

     ここで強調されているのは、この宇宙には実は驚くべき一貫性があるのではないか、ということである。

     すなわち宇宙に存在するすべてのもの(太陽、月、星、地球、生物、分子、原子、量子・・)はお互いにつながっており、しかも宇宙には進化するための一貫性が、あまねく存在する、というのである。

     そして『コスモス』によると、私たち人類の使命はコスモスの進化を促すことであという。

     私たちは全一世界(ホールワールド)の一部です。創造されるものであり、みんなでともに創造していくものであります。

    私たちは全一世界の組織と秩序に加わり、そこにもともと備わっていながら絶えず蓄積していく知性に触れて、その意識の成長に貢献するのです。

     この宇宙がただ一つの存在「サムシンググレート」から生まれてきたと仮定するならば、全てのものはつながっていて、しかも「進化」という一貫性があまねく貫いているということは十分に考えられることである。

     この世界を深く観察するならば、まるですべてのものがともに廻りながら、踊りながら螺旋階段を上っているようにも見える。

     私たちが目には見えないマインドを通して、自分の周囲に家族、同僚、物、出来事、運命などを心で引きつけているというのも、実はこの一貫性、つまり法則が宇宙を貫いているからではないだろうか。

     心霊学の説くところによれば、私たちはまるで鏡のように現在の魂の発達段階に合わせた人・事・物を引き寄せており、これも互いが学び合って己を磨き、さらに次のステージに立つためであるという。

     このいわば「魂の進化の法則」が私たち人間だけでなく、宇宙のすべてに遍く貫いているということを「新しい文明」では認めることになっていくであろう。

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    「宇宙的目覚めの時代」・・逆境で生まれる新文明

     惑星間の視点から見ると、現在の地球上の人類は大きな逆境にありながらも、その力を借りながら新しい文明の形をつくろうとしている。 

     フランスの哲学者、ベルクソンによると、生命はあらゆる逆境を乗り越える力をもっており、創造的に進化しようとしていると云う。

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     まさに東日本大震災や熊本地震などの痛手から立ち上がろうとしておられる皆様の活躍に私たちが感動するのも、どんな逆境に遭いながらも、それを乗り越えようとしている生命の力、「創造的進化」の力に共感するからに違いない。

  •  ここで大切なのが、山本良一教授のように「宇宙船地球号のグランドデザイン」を描くことである。

  •  山本教授は地球生命圏が環境危機にあるとともに、宇宙船地球号の操縦マニュアルとして「エコ文明」への転換戦略を大胆に提案している。

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     おそらく人類は史上初めて、宇宙的視点から創案した共通の「グランドデザイン」を描くことを求められている。

  •  これをヨーロッパの知の巨人、アーヴイン・ラズロ博士は「ワールドシフト」ととも呼んでいる。

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       「ワールドシフト」を説くラズロ博士

  •  ちなみに龍村仁さんによると、かつてアポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカートは次のように語ったことがあったという。 
     

  • 「私達人類は今、宇宙的誕生(コズミックバース)、宇宙的目覚めの時代にさしかかっている」

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     これは、「赤ちゃん(人類)は、生まれ出て(宇宙から地球を見て)初めてお母さん(地球)を自分とは別の存在である、と認識し、そこから、母の一方通行の愛に甘えるだけではなく、母に対する感謝の気持ちや愛を育み、責任感を持つようになる」(龍村さん)という意味だそうだ。

     とすれば、現代文明がトインビーの云う様々な挑戦を受けている現在の逆境は、人類が宇宙的に誕生するための「陣痛」であるとも言える。

  •  人類は「宇宙的目覚めの時代」へ入ろうとしているのである。

     以下、「逆境で生まれる新文明」1回目の序論と2回目以後の論考であり、グランドデザインを描く参考になれば幸いである。

  • ◎逆境で生まれる新文明/総集編◎

    平成23年4月18日付の日経新聞には、「トインビーをもう一度・・不都合な真実に『応戦』を」と題した興味深いコラム(土谷英夫氏)が掲載されていいた。

     そのコラムによると、英国の歴史家トインビーは文明は逆境から生まれると説いていたという。

    ・・文明は自然的環境や人間的環境からの挑戦(チャレンジ)に人々の応戦(レスポンス)が成功したときに興る。

    例えば「古代エジプト文明」は、気候の変化による砂漠化で生存の危機に直面した人々が、ナイル川沿いの沼沢地を豊かな農地に変えることで生まれた。

    ・・トインビー流に言えば、大地震・大津波という自然的環境からの挑戦と、原子力エネルギーに依存する人間的環境からの挑戦を同時に受けているのが、いまの日本。間違いなく66年前の「敗戦」以来の逆境だ。

    ・・「窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず」という「易経」の一節は、トインビーの文明論の核心をよく言い当てている。

    明治維新でも、終戦後でも、国のかたちを変える改革を断行した。いま変わらなければ、日本は衰退する。

     また、トインビーは挫折した文明の共通項に「自己決定能力の喪失」をあげているという。状況に振り回され、応戦できない文明は衰退するというわけである。 
      
     換言すれば、ポジティブに「応戦」できれば、今回の大震災は新しい文明やパラダイムが生まれてくる可能性もあるのではないだろうか。

     例えば惑星間というより大きな視点から見るとき、大震災後、下記の三つのパラダイム転換が起きてきているように思う。

     
    ①拡大したコミュニティー意識の誕生
    ②「自然と共生した文明」への進化
    ③新しい自己像の萌芽

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    逆境で生まれる新文明2・・拡大したコミュニティー意識の誕生 

    逆境で生まれる新文明3・・「自然と共生した文明」への進化

    逆境で生まれる新文明4・・新しい自己像の萌芽

    逆境で生まれる新文明5・・十牛図による新しい自分の発見

    逆境で生まれる新文明6・・惑星的思考へのシフト

    逆境で生まれる新文明7・・ラズロ博士の「ワールドシフト」

    逆境で生まれる新文明8・・課題解決先進国・日本文明のミッション

    逆境で生まれる新文明9・・ジネン(自然)の思想

    逆境で生まれる新文明10・・宇宙的目覚めの時代

    逆境で生まれる新文明11・・ベルクソンの「精神のエネルギー」 

    逆境で生まれる新文明12・・新しい精神の科学 

    逆境で生まれる新文明13・・新しい精神の科学2 

    逆境で生まれる新文明14・・慈悲の文明(悟りの文明)の誕生

    逆境で生まれる新文明15・・祈りの文明へ・・科学と宗教の対話

    逆境で生まれる新文明16・・祈りによる高次元の開拓 

    逆境で生まれる新文明17・・村上和雄氏の説く魂と遺伝子の法則 

    逆境で生まれる新文明18・・「サムシング・グレート」から考える 

    逆境で生まれる新文明19・・コスモス(宇宙)の一貫性 

    逆境で生まれる新文明20・・思考のすごい力 

    逆境で生まれる新文明21・・月面上の思索

    逆境で生まれる新文明22・・創造的に進化する宇宙

    逆境で生まれる新文明最終回・・「知られざる大陸」を求めて8

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    「スーパーセルフ」の開発が人類を救済する・・

     もし宇宙人なるものがいて、地球人の改造計画をするならば、どこから手をつけるだろうか。

     ある宇宙人は地球人の持っている自分像=セルフイメージの改革から手をつけるかもしれない。

    Amr12060700140000p1               「火星年代記」などの名作で知られる
                   SFの巨人、レイ・ブラッドベリ

     何故なら、現在の地球上の様々な問題の原因は、結局のところ、そのセルフイメージがあまりに狭く、低次元であるところにあるからだ。

     もしセルフが肉体としての自分というような極めて限定されたものではなく、宇宙に遍満するところのグレートセルフ、宇宙大生命だとしたら、その行い、習慣、ライフスタイルそのものが劇的に変わってくるに違いない。

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     何しろ、自分の肉体の周囲にあるあらゆる人々、草花、自然、海、道路、物・・など森羅万象が他ならぬ自分自身であり、どれもが尊い大生命の兄弟であり、礼拝せずにはおれない、かけがえのない存在になるのだ・・。

     よく言う「利他」という言葉も、このようなセルフイメージにあっては意味をなさない。むしろここにあっては、自分を礼拝し、大切にすることがそのまま「利他行」になるのである。

     ちなみに道元の言った「他己」とは、このような「スーパーセルフ」のことを指しているのだろう。

    ・・唱うれば、仏も吾れもなかりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

    ・・一遍上人

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     この「スーパーセルフ」=「光」なるものは、私たちの中にいつもある。 

     21世紀の人類が行うべきは、この内なる「スーパーセルフ」、つまり無限の資源の発掘である。

     一体、吾々の持つ力が如何なるものなのか、測ったものは誰もいない。

     何故なら、私たちの持つ潜在能力はおそらく無限であり、無尽蔵だからだ。

     あのイチローの見せるバッティング技術は、常に進化しており、彼は50歳まで現役でいる夢を持っているそうだ。

     彼はいわゆる人類の引いた常識という限定した線を書き換えることに喜びを見出しているようだ。

     が、これはイチローのような天才たちに限られた話ではない。

     私たちも今日一日、自分の持つ力(光)を120%出し切れば、確実に能力はアップするはずだ。

     何故なら80%しか出さない人は、いつも力を出ししぶることから、無尽蔵の能力の壺の蓋を開けることが出来ない。

     天才とは、この120%の可能性にかける人達のことを言うのである。


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         フランクフルトの朝

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    成功とは円熟すること・・小林秀雄の成功哲学

    成功とは、遂行された計画ではない。

    何かが熟して実を結ぶ事だ。

    其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。

    何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生む事は出来ない。(「還暦」)

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    天才的数学者、岡潔は、数学者は職業にたとえるならば百姓に似ているとと言ったという。

     アイデアという種を大地にまいて、丹念に手入れをする中で実るのを待ち、収穫をするからである。

     小林秀雄がここで言っている境地も、ある着想なるものが熟して実を結ぶことの大切さである。

     おそらく今の成功哲学がどこかに置き忘れているのが、この円熟の思想である。

     私たちは何かを計画し、遂行することによって、成功するのではない。

     あるテーマという種を丹念に育て、それが自ずと熟してくることによって成功するのである。

     それは小林が取り上げたゴッホ、ドストエフスキー、本居宣長などの天才論を見ればよくわかる。

     最初にある直感を得ながらも、小林は実に丹念に天才達と付き合い、熟するのを待つ。ただひたすら待つのである。

     この時間をかけて「待つ」という営みこそが、小林の批評の神髄である。

     みんなどうして、ファーストフードみたいに作品を料理したがるのか。

     早く料理しようとすればするほど、作品の命はすりぬけていってしまうではないか・・。

    そんな小林のため息が聞こえて来るのは私だけであろうか。

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    「惑星意識」への進化・・意識革命を起こす本

      地球人にパラダイムシフトを起こして意識革命を起こす三冊を紹介しよう。 

    いずれも「意識の拡大」、物の見方の革命を促している。

     まずは「地球環境問題を仏教に問う 温暖化地獄を仏教・密教は救えるか」で、山本良一竹村牧男, ,  松長 有慶の三氏という 環境学者×宗教学者×僧侶の対談本である。

     宗教、仏教、そして真言密教は地球環境のために何ができるのだろう・・大きな問いかけに三人の識者がそれぞれの思いをぶつけており、哲学書としても一級品と見た。

     そして地球環境問題を解決する上で、今後避けて通れないのは「個人のライフスタイルの変革」であり、そのためのヒントを、仏教、密教の教義の中に探っていくのだが、環境問題と言う21世紀最大の問題に、仏教の教義、組織形態、ライフスタイルなどが改めて照らし出されてその存在意義と新しい可能性が見えてくるところが興味深い。

     思うに環境問題は、科学と宗教の垣根を超えて、人類の意識レベルを「惑星意識」にしていく可能性を秘めている。

     特に弘法大師空海の説いた「即身成仏」というコトバが、環境問題によって新たな意味と可能性をもって蘇りつつある点は注目すべきである。

     大日如来と一つになることはどういうことなのか。

     そこに咲いている小さな草花も大日如来の分身であり、自分自身ということにはなるまいか。

     とすれば、人類は自分自身でもある地球の自然を自ら破壊していることになる。

     このような「意識の拡大」なしに環境問題の根本的な解決にはならないのではないか。

     ちなみに現在の環境問題の日本のオピニオンリーダーである山本良一氏は、真言密教のマンダラ図に触発されて「環境マンダラ」なるものを考案している。
          

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     二冊目は本ブログでも繰り返し紹介してきた小林秀雄と井筒俊彦という現代日本を代表する知性、哲学者の共通項に迫った若松英輔さんの叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦である。

    この本の帯にある・・

    「哲学者は詩人たり得るか? 

    日本古典の思想性を「詩」の言葉で論じた小林秀雄――。

    古今・新古今の歌に日本の哲学を見出した井筒俊彦――。

    二人の巨人を交差させ、
    詩と哲学の不可分性に光をあてる、清廉な一冊。 」

     という言葉にすべてが言い尽くされている。

     二人の哲学的巨人を交差させ、詩と哲学の不可分性に光をあてる時に見えてくる世界・・。

     このブログでも繰り返し紹介しているが、この二人の巨人が追求したのは、存在の実相に迫り、実際に体験するとともに、それを己の文体で表現するという営みである。

     イスラムの神秘哲学者が追求した「神秘家かつ哲学者」の道をこの二人ほど極めた人はいないように思う。

     その取り扱った対象は違っても、その対象に対する迫り方はあまりにも酷似している。

     例えばギリシャの哲人たちに、二人は「実践的思索者」という「真理の探究」への燃えるような情熱を見ていた。

     この情熱はあまりに大きく、ヘラクレイトスの火の体験のようなもので、この真理への飢えにまさしく焦がれたような哲人もいたはずだ。

     観照は存在探究の道に違いないが、最初にあるのは、根源からの招きである。観照は、人間が愛する人に向かって全身を投げ出す行為に似ている、とアリストテレスは言った。

    井筒俊彦が注目するアリストテレスは「神」の解析者ではない。それを「愛慕」する実践的思索者である。

    ・・アリストテレスの「神学」の底を流れるのは、絶対者への信頼と安住の確信である。そこには、浄土門の阿弥陀如来を彷彿させる母性的な神の姿すら浮かび上がる。

     神秘家の本分は、神を知解し、その甘美な経験に惑溺することではなく、その顕現を準備することである。

    なぜなら、「個人的救済の余徳は万人にわかたれて全人類的救済に窮極するまでは決して止むべからざる」ということこそ、アリストテレスが師プラトンから継承した哲学の使命だったからである。

     アリストテレスは、井筒俊彦に、観照が哲学の道であることを明示しただけではない。

    観照体験の究極は、個の制約と桎梏を超え、ついに「宇宙的実践」たり得ることを教えた。

    それは「人間的実践即宇宙的実践として、あらゆる存在者の重量を一に脊(せお)った人間の実践的活動の極致」に他ならない。

    一個の存在者が、真実の意味で「神充」を経験すれば、それは、世界の祝福を意味する。

    ここにナザレのイエスの登場を、あるいは釈迦が仏陀に変貌する、いわば人間の聖化を高らかに告げ知らせる預言者の声を聞くことはできないだろうか。

    『井筒俊彦--叡知の哲学』33~34頁

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     三冊目はあなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。 1秒でこの世界が変わる70の答え」。

     ひすいこたろうさんの本はほとんど読んできたが、この書はひすいさん流、「物の見方ガイドブック」の決定版と見た。

     とにかく、爆笑しながら、自分の「物の見方」が柔軟になっていくのがわかるのである。

    世界は白いキャンバスなんです。

    だからこそ、みんなが喜びを感じられるように、楽しくなるように、世界を自由に解釈すればいいんです。

    ・・どう解釈するか、認識するかで、現実の見え方がまったく変わります。

    あなたの「認識」こそあなたの「世界」そのものです。

    つまりあなたこそ、世界の救世主だったのです。

    だから、神社のご神体は鏡なんです。

    神様に拝んでいるとき、鏡に写っているのは拝んでいるあなた自身です。

    あなたが変われば、

    鏡に映るこの世界も一秒で変化します。

     

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