空海の「十住心論」について

 弘法大師・空海は「十住心論」で心の発達段階を十に分けて論じている。

 すなわち「第一住心 異生羝羊心 ( いしょうていようしん )」という幼稚な心の段階から「第十住心 秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)」という究極の悟りの心までが体系的に説かれている。

 面白いのは、「十住心論」というタイトルである。

 すなわち心の発達段階に従って、その住む世界が違うということである。

 たとえていうならば、十階建てマンションがあって、その住む階によって、見える光景が違うようなものである。

 換言するならば、今私達の見ている世界は、自分の心の住む場所、境遇に従って見えている世界であって、心のチューニングを変えてより高い境遇に住むことができることができれば、たちまち自分の周囲の環境が変わることになる。

 このチューニングの方法を様々な宗教は考案してきたわけだが、今自分の住んでいる境遇を分析することにより、自分の心の発達段階に気づくことができるはずである。

 さて、私たちのこの心の住む場所を雲の下の地球上から見るのではなく、太陽そのものから見ようというのが「太陽主義」である。

 いつも太陽の光の中で、全ての人々、物、事を見るとき、それぞれがそのままで光輝いていることが見えてくる。

 その意味では、みんなは大日如来という法身の子供、「小法身」(弁栄聖者)であり、太陽の子供たちなのだ。

 Photo04

          太陽の子供たち・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「汲めども枯れない井戸の泉」・・小林秀雄の文章

 祖父の小林は、生前こんな話をしてくれた。

「本というのは何回も読めるのだから安いものだぞ。

何回も読み返していると、その年代によって感じることも違う。

一冊の本で何度もいいことがあるんだから、これほど安いものはないじゃないか」

 発売当時、小林の著書『本居宣長』は4千円くらいしたが、

「4千円でも、10回読めば一回400円だ。

分からなければ何度でも読んでいいのだし、大体、何度も読まないと分からないように書いてあるんだからな」

 と笑っていた。そのときはつられて笑っていたが、「一回読んで分かるほど浅はかなことは書いていないんだ」と、真面目に話したときの顔を思い出した。

自分の考えの深さに誇りを持ち、文章の練り方にも自信を持っていたことが伝わってくる。

 これは小林秀雄の孫であり、白洲次郎・白洲正子の孫でもある

 白洲信哉氏の新刊白洲家の流儀 (小学館101新書 30)からの引用である。

「何度でも読む」ということでは、小林の「私の人生観」「本居宣長」「モーツアルト」「西行」などをもう何回読んだか、もう分からないくらい繰り返し繙いている。

 すると、そのたびにまた新たな発見と驚きとがある。

最近では「私の人生観」をそれこそ本がボロボロになるまで読んでいる。

 この作品は哲学者にとって読めば読むほど味の出てくる“奇跡の傑作”なのだ。

 確か水上勉氏の言葉だった思うが、小林の文章はまさに

 「汲めども汲めども枯れない井戸の泉」である。

 この“無尽蔵の泉”で、私は今までどんなに多くの気づきと生きる力とをもらったことであろうか。

05

    熱海の桜と菜の花・・

白洲家の流儀 (小学館101新書 30) Book 白洲家の流儀 (小学館101新書 30)

著者:白洲 信哉
販売元:小学館

Amazon.co.jpで詳細を確認

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神秘の夜の旅・・総集編

 「叡知の哲学」に続く若松英輔さんの著作「神秘の夜の旅」が出た。

 「叡知の哲学」が井筒俊彦という哲学的巨人の評論だったのに対して、今回は越知保夫という1961年、49歳で逝った詩人の評伝になっている。

 それも小林秀雄井筒俊彦マルセル、パスカルと云った大思想家たちを紹介しながら、この詩人の思想の精髄を見ようとしている。

 ちなみに越知はパスカルの「パンセ」を座右の書にしていたそうで、次のように書いている。

・・「パンセ」を読んでいると私は無数の謎に四方から見入られている心地がする。・・「小林秀雄論」

 これは、一種の書物による「実在体験」とも云える体験であり、実在という本物は自分を超えた「向こう側」から現れるのだ。

 越知の小林秀雄論などが優れているのも、小林自身の「実在体験」を詩人の直観を通して浮き彫りにしている点である。

 とすれば、若松さんによる越知の評論を通して、小林秀雄や井筒俊彦、マルセルといった超一流の哲人たちの眼差しを感じることができるのなら、これも一種の「実在体験」だと云えるだろう。

 若松さんという「霊性を探求する気鋭の批評家」に導かれて、「神秘の夜の旅」に出発してみよう。

神秘の夜の旅・・2 

神秘の夜の旅・・3 

「神秘の夜の旅」・・4 

神秘の夜の旅・・5  

神秘の夜の旅・・6

神秘の夜の旅・・7

神秘の夜の旅・・8

神秘の夜の旅・・9

Rimg0131

 

神秘の夜の旅 Book 神秘の夜の旅

著者:若松 英輔
販売元:トランスビュー
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小林秀雄「本居宣長」・・「古事記」編纂1300年に寄せて

 小林秀雄の大著「本居宣長」には、「古事記」の成立に関する鋭い考察がある。

 「古事記」編纂1300年に寄せて、かつて書いた拙論の中から少し長くなるが、引用してみよう。

 井筒俊彦が「コーラン」を解釈した方法論を借りるなら宣長=小林は、エクリチュールとして与えられている「古事記」のテキストをもとの状況まで引き戻して、神々が古人に親しく語りかける、または稗田阿礼が安万呂に話すという具体的な発話行為の状況において「古事記」の言葉を理解する。

 そしてそのような原初的テキスト了解の上でさらに一歩進んでその奥にあるものを探る。

 パロールとして「古事記」を読むことによって、その底に伏在し、それを下から支えている根源的世界了解、存在感覚、世界像というのものを探りだそうとするのである。

 宣長の「読み」は「古事記」というテキストを単なるエクリチュールとしてではなく、もとの阿礼が暗唱していた古伝を安万呂に親しく語りかけるという具体的なパロールの状況においてそのコトバを理解しようとするものであった。

 その宣長独特の「読み」を小林は独創的な読みとして「古事記」成立の経緯と合わせて詳しく紹介している。(同書、二十八章~三十章参照)

 ここでは、近代の「古事記」の読み方の土台となった津田左右吉氏の「記紀」研究が宣長のそれの対極として詳しく紹介されている。

 津田の「古事記」の序文の「帝紀及び本辞」に対する解釈があくまで文字、文献に写された物語ということに固執するのに対して、宣長の場合、その「辞」を「なべての地を、阿礼が語と定め」た口誦と信じた。

このいわば、固定化したエクリチュールなのか、それとも生成流動したパロールであるかといのうが両者の全研究のたもとを分けさせている。

 小林は次のように繰り返し、宣長の「古事記」研究というものがどういう意味合いのものであったのか、強調している。

《宣長が、「古事記」の研究を、「これぞ、大御国の学問の本なりける」と書いているのを読んで、彼の激しい喜びが感じられないようでは、仕方ないであろう。

彼にとって、「古事記」とは、吟味すべき単なる資料でもなかったし、何かに導き、何かを証する文献でもなかった。

そっくりそのままが、古人の語りかけてくるのが直かに感じられる、その古人の「言語のさま」であった。耳を澄まし、しっかりと聞こうとする宣長の張りつめた期待に、「古事記序」の文が応じたのであった。》

 そして小林が宣長の「古事記」の読み方の中で特に注目したのが、文字を初めて知った古代日本人が経験したであろう、特殊な「言語経験」についてである。

《「書籍と云フ物渡リ参来て」幾百年の間、何とかして漢字で日本語を表現しようとした上代日本人の努力、悪戦苦闘と言っていいような経験を想い描こうとしない、想い描こうにも、そんな力を、私達現代人は、殆ど失って了っている事を思うからだ。

これを想い描くという事が、宣長にとっては、「古事記伝」を書くというその事であった。

彼は、上代人のこの言語経験が、上代文化の本質を成し、その豊かな鮮明な産物が「古事記」であると見ていた。

その複雑な「文体」を分析して、その「訓法」を判定する仕事は、上代人の努力の内部に入込む道を行って、上代文化に推参する事に他ならない、そう考えられていた》

 そこで「古事記」序に書かれた「辞」とは、「古語」のことであり、宣長は安万呂の記した文字の奥に阿礼の言霊を想像し、それを救い上げようとしたところに宣長の独創性がある、と小林は考えた。

 この文字と肉声による言霊との緊張関係を身をもって感じたのが安万呂だったに違いない。いわゆる古事記序に言うところの「上古の時、言意並びに朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなわち難し」。小林自身の言うことをもう少し聞いてみよう。

《漢字の扱いに熟練するというその事が、漢字は日本語を書く為に作られた文字ではない、という意識を磨く事でもあった。

口誦のうちに生きていた古語が、漢字で捕らえられて、漢字の格に書かれると、変質して死んで了うという、苦しい意識が目覚める。どうしたらいいか。

 この日本語に関する、日本人の最初の反省が「古事記」を書かせた。日本の歴史は、外国文明の模倣によって始まったのではない。模倣の意味を問い、その答えを見附けたところに始まった、「古事記」はそれを証している

 従って宣長の冒険は、安万呂が苦労して記した文字の奥に宿る稗田阿礼の古語を、言霊をどう救いだすかということに向けられている。

安万呂の表記が、今日となっては謎めいた符号になっていても、その背後には古人の「心ばえ」、古言の「ふり」があり、上代において日本語は口誦のうちに完成していた。それを蘇らすために、宣長はその想像力を駆使したというのが宣長の「古学」の骨格になっている、と小林は見ていた。

1102902263

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小林秀雄「本居宣長」について・・2

 小林秀雄のライフワークとも云うべき『本居宣長』については、本ブログ「小林秀雄」のコーナーにその独創性について書いた論文を掲載しているのでそちらの方も参照して頂きたいが、足かけ12年もかけて完成した本を私が初めて手にしたのは、高校2年の12月だったように記憶している。

 当時としては4千円という破格の値段だったが、小林ファンの一人としては値段よりも「ついに出るものが出た」という感じで購入し、それから貪るように読んでいった。

 もっとも小林秀雄は、連載時の原稿から三分の一くらいに削り落としたわけであるから、1万2千円の価値はあると豪語したというが、実際にこの本を手にした感触は忘れられない。

 扉を開けば本居宣長を通して遠い時代の古代の人々の声がどっしりとした活字の奥から聞こえてくるようであった。

 この意味でも『本居宣長』が私に与えた影響の大きさは想像以上のものがあったように思う。

 高校生ながら、小林秀雄の命がけの息吹きを本の重たさ、感触を通して感じていたのかもしれない。

 それはとにか、編集担当者の池田さんのお話によると、まさしく小林秀雄はこの本に命をかけていた。

 「新潮」に昭和40年6月号から昭和51年12月号で連載を続けた後、小林は何の前触れもなく連載を終えることと、52年中に最終章を新たに書き下ろして本として出版することを告げたという。

 そこから連載原稿を惜しげもなく切り落としていく苦難の日々が始まったわけだが、池田さんは圧倒的な力の差は度外視して小林秀雄に分かりづらいところや削っておかしくなったところなどを指摘していったが、小林はほとんど全部、池田さんの要望には応えたようだ。

 そこには読者に伝わらなければ何もならない、というプロ意識とこの本にかける小林秀雄の使命感が感じられてならない。また自分の命がそう長くないことも予感していたのかもしれぬ。

 連載中、小林の耳に聞こえてくる声は「まだ本居宣長をやっているのですか」「長いですね」という声ばかりだったというが、小林秀雄はその孤独の中で自分の直観した本居宣長像の肖像画を丹念に描いていった。

 まさにそれは苦闘の連続だったようだが、彼の本居宣長像が近代の識者達のそれをはるかに凌駕しているのは、ひたすら本居宣長の書物を読みこなし、その意味よりも文体を味わうという地道な作業を続けたからである。

 やはり
「天才とは忍耐なり」で、長い時間をかけた努力を通して傑作は生みだされることを、小林秀雄のライフワークは教えてくれている。

 ちなみに小林秀雄自身はこの仕事を振り返って、
「論理の進行を追うより、文章の曲折を味わうのが先決ではあるまいか」(『本居宣長補記』)という問題意識で書いたことを指摘している。

 偉大な思想家の真実を把握するには、その体系や構造を取り出すよりも、大思想家の文章をひたすら熟読、味わうことこの方が、有効であることを身をもって示したとも言えるのである。

51zvm0sz3sl__sl500_aa300_

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小林秀雄「本居宣長」について・・1

 先日、脳科学者の茂木健一郎さんのブログで、小林秀雄の晩年の担当編集者、池田雅延さん(新潮社)の講演テープをお聞きした。

 池田さんは小林秀雄が
『本居宣長』を執筆していた頃のことを中心に、様々なエピソードを披露されているのだが、茂木さんが「戦慄」と書かれているように私も文字通り、震えるような感動を覚えた。

 小林秀雄の『本居宣長』に取り憑かれてもう約30年もの日々が過ぎたが、今回の池田さんのお話をお聞きして一人の読者として大変恥ずかしい思いがしたのである。

 というのも、小林秀雄は文字通り、『本居宣長』の完成にまさに命をかけていたことを池田さんから教えて頂いたからだ。

「新潮」に連載すること11年余り。

本にするときには、何と原稿約500枚を削ったというからすさまじいものがある。

この500枚とは池田さんによると、一つの小説本くらいのボリュームがあるそうだ。

Kobayashishinjin

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「好信楽」を極める・・小林秀雄「本居宣長」

宣長が求めたものは、如何に生くべきかという「道」であった。

彼は「聖学」を求めて、出来る限りの「雑学」をして来たのである。

彼は、どんな「道」も拒まなかったが、他人の説く「道」を自分の「道」とする事は出来なかった。

従って、彼の「雑学」を貫道するものは、「之ヲ好ミ信ジ楽シム」という、自己の生き生きとした包容力と理解力としかなかった事になる。

(小林秀雄『本居宣長』)

 別の所で小林は、宣長にとって源氏物語などの「歌」を極めることが、そのまま古事記の「道」を極めることになったとも言っていたと思う。

 所謂、宣長の説く「道」とは、自分の好きなことを信じ、ただひたすら楽しむ中で、自ずから拓けてきた道であって、自然法爾だったところは注目に値する。

 多くの成功者が語るのも、自分の好きなことをただ楽しんでやっていたら、自分でも思いもしない力が湧いてきて、人々のお役にも立ち、振り返ってみるとそこに確かに「道」があったということである。

 イチローも松井秀樹もただ野球が好きであり、彼等はそれを好み、信じ、そして楽しむ中で前人未踏の境地に立つことが出来たのだ。

 小林の批評も天才達の作品をただひたすら好み、信じ、楽しむ中で編み出された悦びの作品なのである。

 読者もそれぞれの「好信楽」を極めてみたらどうだろうか。

 その「道」は間違いなく、宇宙で唯一つの道であり、天も実はそのかけがえのない「道」を歩むことを希望されているのではないだろうか。

 何故なら、あなたの「道」は小さく見えても天の「大道」に繋がっているからである。

 一つの「道」を極めれば必ず同じ山頂に出ることは、達人や天才達の高き精神性を見れば分かる。

 宣長の説く「好信楽の道」こそは天の与えた使命、つまり天命だと言えるのではないだろうか。

 ちなみに今年は「古事記」が712年に編纂されて1300年の記念すべき年だという。

 万葉仮名という独特の表記法で日本古来の大和言葉や古伝説を遺そうとした先人たちの苦労を偲ぶとともに、この不思議な書物の解読に35年の時間をかけた本居宣長の偉業にも思いを馳せたいものだ。

 宣長のライフワーク「古事記伝」は、一日一日の「好信楽」の集大成だったのではないだろうか。 

本居宣長―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 3巻) Book 本居宣長―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 3巻)

著者:小林 秀雄
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宇宙から「生命」について考える・・

  •  宇宙飛行士・毛利衛さんはその新著「宇宙から学ぶーーユニバソロジのすすめ」で、生命について次のように言及している。
  • 生命は、地球という枠を超え、より広い宇宙大の普遍性をもつ。

    この知見は、人間や地球型生命中心の考え方を見なおすきっかけにもなります。

     毛利さんによれば、生命とは地球上だけの現象ではなく、太陽系のような惑星系に、「宇宙空間から飛来する物質を受け入れ、生命の誕生をうながす環境の整った惑星があったら、その惑星は生命誕生の舞台となる可能性があります」という。

     それが銀河系内であれば、地球の生命と同じようなDNAをもとにした生命が生まれるかも知れないし、別の銀河系であればもっと違う、私たちには未知の仕組みをもった生命体が誕生する可能性も考えられるという。

     毛利さんが宇宙飛行士として宇宙から生命について学ぶ視点を持ったように、私たち人類もこれから地球からの視点だけでなく、宇宙から「生命」について考える訓練が間違いなく要求されてくるであろう。・・下記のアーカイブ編参照

     それは人類の視野を飛躍的に広げるとともに、現代文明の特徴や人類の持つ思考のクセなどをあぶり出して、より高度な文明を構築していく原動力になっていくに違いない。

     ちなみに毛利さんによると、私たち地球上の生命は「挑戦」「多様化」「繁栄」という螺旋のサイクルをとりながら「いのち」をつないで、次第に大きな円を描きながら進化・上昇しているという。・・「宇宙から学ぶユニバソロジのすすめ」

     そして「こうしたらせん状の時間的・空間的なつながりが、生命の本質なのではないか。逆に言えば、生命の本質とは、こうしたらせん状の時間的・空間的なつながりを育んでいくことにあるのではないか」と指摘している。

     地球生命の約40億年の歴史を振り返るとき、私達生命は地球環境の激変に「挑戦」しながら「多様化」する中で「繁栄」してきたというのである。

    ★宇宙から「生命」について考える・・アーカイブ編★

  • 生命は宇宙から来た?
  • 地球外生命体の可能性・・
  • 宇宙的、地球的規模で生命を考える・・1
  • 宇宙的、地球的規模で生命を考える・・2
  • 宇宙的、地球的規模で生命を考える・・3
  • 宇宙的、地球的規模で生命を考える・・4
  • 宇宙の側から人類を考える・・小松左京さんの構想力について

    Key

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    開運の秘訣・・大特集

     今年は辰年ですが、うまく龍の背に乗って天まで駆け上がり、その倉を開けることができれば、開運することができるはずです。

  • この龍の背に乗って、運を開くのはいたって簡単です。

    本田健さんは『強運を呼び込む51の法則』という著書で次のように書いています。

    「運を上げるのに、難しい知識はいりません。自分が楽しいこと、気持ちのいいこと、人のお役にたつことをやればいいのです」

     中でも自分の今、与えられた場で使命を自覚して、人のお役に立つことを実践すれば、運命を大きく変える力があります。

     何故なら、そのような使命に生きる人は、周囲の人々から引き上げられ、支援されて運命がどんどん良くなっていくからです。

     ちなみに本田さんによると、運には

    1. 上から引っ張り上げてもらう運
    2. 横から支えてもらう運
    3. 下から持ち上げられる運

     の三つがあるそうです。

  • 下記のアーカイブ編で運を開くヒントをつかんで頂ければ幸いです。

  •  ★開運アーカイブ編★ 

    1. 開運の秘訣・・4

     ★運をつかむ習慣について

    1. 他人に配慮できる人は運がいい
    2. 「早起きすると人生が逆転する」
    3. 三種類の価値観を同時に採用する
    4. なんとなくイイ気分
    5. 楽観主義を養う
    6. 世界を明るくする魔法のコトバを持て
    7. 「運をつかむ習慣」補遺・・成功度を図る定規

      Rimg0088

  •               フランクフルトにて
  • | | コメント (0) | トラックバック (0)

    「進化・向上」の年に・・

     読者の家族の皆様、明けましておめでとうございます。

     今年は辰年にちなんで、龍のごとくより高い世界に飛翔する「進化・向上」の年にしてまいりたいと思います。

     昭和が産んだ大横綱にして、白鳳がこよなく尊敬する双葉山は、実は小さいころに右目を失明し、その後、多額の借金を抱えた父を助けるために行った船上での仕事で、右手小指の先をつぶしてしまいます。

     まさに相撲取りとしては致命的なハンディキャップを負っていたわけですが、彼は誰を責めるのでもなく、相撲界に入り、「相撲道」に精進していくのです。

     白鳳が尊敬してやまないのも、この逆境を乗り越えていった双葉山の「相撲道」でしょう。

     彼が「心・技・体」ではなく、「心・気・体」が重要であると説いていたのも、この道の広大無辺なることをよく知っていたからに違いありません。

     私達も実はこの一つの道に乗って、困難に負けずにたゆまず「進化・向上」していくならば、大宇宙の進化の流れに乗って、より高い世界へと駆け上ることができるのではないでしょうか。

     それでは、大いなる進化の流れに乗って、「進化・向上」の道を歩むにはどうしたらいいのか・・。

     下記の「大河の流れのように」という電子ブックでは、その具体的な方法について書いています。興味のある方は参照してみてください。

    「大河の流れのように」

    Rimg0121

    ハイデルベルクにて

    読者の家族の皆様にとって、

    光り輝く飛躍の年になりますよう・・心からお祈り申し上げます。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    充分に生長したか・・

     昨年も紹介したことですが、一年を振り返る上で、参考になる評価基準があります。

     それは飯田史彦氏が『ツイン・ソウル 死にゆく私が体験した奇跡』という本の中で紹介している基準です。

     その中で臨死体験した飯田氏が「究極の光」と対話するシーンがあります。

     その光の存在は人生の評価は次の三つだけだと断言するのです。

    1. 「充分に愛したか」
    2. 「充分に学んだか」
    3. 「充分に使命を果たしたか」

     この三つの基準で今年一年間を振り返るのもよいのではないでしょうか。

     たとえ失敗の年、失意の年、どん底の年だったとしても、これだけは言えます。

     「どんな体験もその数だけ、魂は学んで生長できた」・・と。

     その生長できた自分に対して、「よく頑張ってくれた」「よく戦ってくれた」と自分でご褒美を与えるのも、年末の恒例行事にしてみてはどうでしょうか。

     ちなみにピーター・セイジという天才的な企業家は、これからは「成長」と「貢献」のニーズを最優先することが幸福になる早道だと説いています。

     読者の家族の皆様の来年が神の祝福にあふれた年になりますよう・・

     心から祈念申し上げます。 

    Rimg0129 

      ドイツのハイデルベルクから愛をこめて

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    今年最大の気づき2・・みんな一つの命

     今年最大の気づきは、多くの聖者や哲人たちが瞑想などを通して把握したように・・この世界はサムシンググレートなる“一者”の表現する世界であり、その他のものではない・・ということだ。

    本当はただ一つの「いのち」しかないのだ。

    これをベルクソンは「大いなる創造力の流れ」と呼び、イブン・アラビーはその「存在一性論」の中で「存在」と命名し、宗教多元主義を説いたジョン・ヒックは「実在者」と呼称している。 

     村上和雄・筑波大学名誉教授は「サムシング・グレート」と呼び、私達人間は「サムシング・グレートの最高傑作」だそうだ。

    とにかく、このただ一つの「存在者」=サムシンググレートを私たちは生活の便宜上、時間や空間の枠をつけてバラバラなものとして捉える。

    私達、地球上の人類の特性は、この「分離性」「閉鎖性」にあると言ってもよいだろう。=拙著「ベルクソン・ルネッサンス」参照 

    これは大自然と戦い、生き残る上で獲得せざるを得なかった性質だが、21世紀の地球世界が現実的にも一つになりつつある今日においては、この性質にブラッシュアップをかけて、「一体性」「連関性」へと昇華していく必要があるのである。

    ちなみにこのことを最も深く考察したのが、井筒俊彦博士であった。このことは博士が企画し、成し遂げようとした西洋哲学と東洋哲学の対話・統合という仕事を見ればよくわかる。

     このような「一体性」を歌ったのが次の詩である。

    本当は「みんないっしょ」であり、

    ともに「歓喜の歌」を歌いながら

    ともにダンスし、

    ともに助け合い、生かし合い、

    そして無限に生長しようとしているのだ。

    我々の目の前から消えたと見える人々も

    本当はサムシング・グレートの御手の中にあって

    いつも護られて、生かされている。・・拙著「いつもいっしょ!」

    ちなみに宇宙飛行士の毛利衛さんは、

    私たち地球上の生命は「挑戦」「多様化」「繁栄」という螺旋のサイクルをとりながら「いのち」をつないで、次第に大きな円を描きながら上昇しているという。・・「宇宙から学ぶユニバソロジのすすめ」

    地球生命の約40億年の歴史を振り返るとき、私達生命は地球環境の激変に「挑戦」しながら「多様化」する中で「繁栄」してきたというのである。

    その意味では、今年は東日本大震災という巨大な自然の変化に「挑戦」し、ともに生きている「多様」な絆を確認して、一段階高い「繁栄」に至ろうとしたまさに「いのち」の一サイクルを回した年だったと云えるだろう。

    この一サイクルを回ることは、決して元の状態に戻ることではない。

    一段も二段も「生長」という階段を登って、次のステージに上がるための旅の途中に私たちはいるのである。

    Rimg0013

          熱海の海

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    今年最大の気づき1・・宇宙は大生命の大河

     この宇宙の実相とは、大生命の大河であり、全てのものは「無限生長の原理」の下に支配されて、無限に生長し、進展・進歩しようとしている。

     特に宇宙大生命の最高の自己実現としての人間は、いわばこの“生命の軍団”の中心メンバーであって、この生命の河に乗りつつ、この宇宙の創造・進展に大いに貢献しつつあるのである。・・ラズロの「コスモス」参照

     この宇宙の全てのものは、小は素粒子から大は銀河系まで一つにつながって、助け合いながら、ともに進化しようとしているのである。

     その意味では、私たちは決して一人ではない。

     宇宙のすべてのものは、私たちが創造・進化するための仲間なのである。

     

     この壮大な生命の大河について、聖経『真理の吟唱』「わが内に溢れる生命の大河を自覚する祈り」では次のように謳われている。

    《無限につづく大海原の沖合から波動し来る波のように、わが生命は大生命からの鼓動を受けて、常に強く脈々として鼓動をつづけるのである。

    大生命の大海原こそわが生命の活力源であり、わが生命は永遠に老いることなく、疲れることなく、常に活気に満ちて前進し発展し生長するのである。

     無限の生命はわれに宿りて常に内部よりわれを賦活し、あらゆる方面に進歩発達せしめ給うのである。

    わが内に大いなる生命の河あり、常に新たなる生命が内部より湧き出でて尽きることを知らないのである。》

     この「大いなる生命の河」を自覚するもの、「常に老いることなく、衰えることなく、疲れることなく、常に新しき活力を得るのである」(同祈り)。

     過去にどんな悲しみ、悩みあろうともこの「大いなる生命の河」の流れに乗る者は、新しき愛と智慧と活力の水を常に得て、「すでに無き悩みを再び心に捉えることなく、ただ光明に向かって邁進するのである」。

     今、自分の中に流れ入る大生命の大河の息吹きを感じて、甦る者は幸いなるかな。

     私たちがどんなに絶望の底で失意落胆しようとも、この生命の大河は絶えることなく、私たちをいつも温かく潤し、無限生長の道へと誘っている。

     読者の家族の皆様もこの大いなる大河の流れによって全心身を浄め、そして新生しようではありませんか。

     ちょうど、あのインドのガンジス河で沐浴する名もなき民のように・・。

    Rimg0151

        ハイデルベルクの大河にて

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    いつもいっしょ!・・総集編

    一度、縁あるものが

    たとえ死であっても

    永遠に会えないということはあるのだろうか。

    多くの聖者や哲人たちが瞑想などを通して分かったことは

    この世界はサムシンググレートなる“一者”の表現する世界であり、

    その他のものではないということだ。

    本当はただ一つの「いのち」しかないのだ。

    それを私たちは便宜上、時間や空間の枠をつけて

    バラバラなものとして捉える。

    本当は「みんないっしょ」であり、

    ともに「歓喜の歌」を歌いながら

    ともにダンスし、

    ともに助け合い、生かし合い、

    そして無限に生長しようとしているのだ。

    我々の目の前から消えたと見える人々も

    本当はサムシンググレートの御手の中にあって

    いつも護られて、生かされている。

    だから、必ず愛しき人と私は再会することができる。

    否、この世での出会いも

    本当はみんな「再会」なのだ。

    だから、いつでもどこでもみんな、いっしょなのだ。

    みんな、いっしょなのだ。

    永遠に一つなのだ。

     下記の坂村真民先生の詩は、この世界の真実を見事に詠いあげている。

    いつもいっしょ

    いつもいっしょ

    これがわたしの信仰理念

    木とも石とも

    蝶(ちょう)とも鳥たちとも

    いっしょ

    人間はもちろん森羅万象(しんらばんしょう)

    いつもいっしょに生き

    いつもいっしょに息をする

    だから一人であっても一人でない

    沈むことがあっても

    すぐ浮きあがる

    ふしぎな奇跡(きせき)が起きてくる

    いつもいっしょ!

    ああこの愛のことばを

    唱(とな)えてゆこう

      (「 花ひらく心ひらく道ひらく 」 講談社+α新書より)

    Rapasuisen

     アカオハーブ&ローズガーデンから

    ★いつもいっしょ・・アーカイブ編★

  • いつもいっしょ!・・6 2011.05.17
  • いつもいっしょ!・・5 2011.05.15
  • いつもいっしょ!・・4 2011.05.07
  • いつもいっしょ!・・3 2011.05.05
  • いつもいっしょ!・・2 2011.05.03
  • | | コメント (0) | トラックバック (0)

    「プラス1の法則」・・総集編

    幸福になるのに時間はいらない。

    今すぐに幸福になる方法がある。

    たとえ今の境遇が悪いことだらけでも

    真っ暗闇であっても

    たった一つでも、光明面があることを

    信じて

    観つけて

    そして言葉に出せば

    不思議にその境遇が光に変わる。

    私自身のことでいえば、

    かつて高校生の時、絶望のどん底にいたときに

    ある方にかけられた一言で救われたことがある。

    君は一見、不良に見えるけど、本当は物事を深く思索している素晴らしい高校生だ・・

    10あるうちの9が悪いことであっても、

    そのうちの一つが善いことであることに

    気づいて感謝すれば

    残りの9も光に変わるのである。

    この法則のことを私は、「プラス1の法則」と呼びたい。

    人生はまだ捨てたもんじゃない。

    「プラス1」を見つけることさえできれば・・。

    Rimg0082                緑の多いフランクフルトにて

    ★「プラス1の法則」・・アーカイブ編★

  • 「プラス1の法則」・・7 2010.09.13
  • 「プラス1の法則」・・6 2010.09.07
  • 「プラス1の法則」・・5 2010.08.29
  • 「プラス1の法則」・・4 2010.08.24
  • 「プラス1の法則」・・3 2010.07.30
  • 「プラス1の法則」・・2 2010.07.21
  • | | コメント (0) | トラックバック (0)

    «涙を超えて・・総集編